第13話

 城がいつも以上になんだか騒がしい。


 ここ最近、妙に忙しいことばかりが続いている気がする。


 検問所の前、ライシはそんなことをふと思った。


 結局、なにが起きようとしているかまでは把握できておらず。ただ一つ言えるのは、とてつもなく厄介なことが起こりそうな気がして仕方がない。


 助けるつもりは毛頭ないライシだが、一応警告ぐらいはしておいた。彼らだって余計ないざこざに自ら関わろうとするほど酔狂ではないだろう。



「――、というわけでなんだか今日は忙しいから近寄らないほうがいいですよ」


「君は本当に魔族なのかい?」



 再びやってきたハロルドとその一行の表情は、心底呆れていた。



「人の好意は素直に受け取っておくべきだと思いますよ?」


「いや、それはわかる。わかるんだけどね、それが君だからこっちは困惑してるんだよ」


「まぁまぁ、世の中にはいろんな魔族がいるってことで片付けておいてください」


「……あの、ちょっといいですか?」



 女僧侶が――名は、リスというらしい。


 おどおどとした態度が非常に目立つ彼女が、おずおずと口火を切った。



「本当にあなたは……アスタロッテの息子なんですか?」


「……どうしてそう思うんですか?」


「だって、あなたの瞳……私、以前同じ瞳をした人を見たことがあるような気が……」


「……なに?」



 ライシはリスを食い入るように見やった。



「リス、それは本当なのかい?」


「た、多分……記憶に違いがなかったらですけど……」


「……その話、ちょっと詳しく教えてもらってもいいですか?」


「は、はいぃ……!」



 自信がないのか、紡がれる言葉の一つ一つがひどく弱々しい。


 けれどもライシはそのことについて一切の言及をしなかった。


 重要なのは話の内容である。これは今後の人生を大きく左右するかもしれない。ライシはなんとなくながらも、瞬時にそう察した。


 リスの話は、確かにライシにとって有益な情報となった。


 遥か極東端の海に浮かぶ島国にて同じ目をした一族を見たことがある。


 いつ、どこで目にしたのか。肝心なのは具体的な情報だ。それがリスの会話からはすっぽりと抜けていた。


 とはいえ、わずかでも情報が得られたのは大きな収穫であるのになんら変わらない。


 遥か極東端の海に浮かぶ小さな島国――名を、フソウコクという。はじめて耳にする名前だが、地図に記されたその形状はあまりにもライシが知る日ノ本と酷似していた。よもや異なる世界でも似たような国が実在していとは。果たして誰が想像しよう。



「……目的は特に決まってなかったが、これで決まりだな」



 フソウコクにはおそらく、自分の本当の生みの親がいるに違いない。


 今更両親に会ったところでなんとなるのか。特に興味もなければどうだっていいというのが本音ですらある。


 ただ、何故捨て子にしなければいけなかったのか。わざわざ故郷より遠く離れた地――アスタロッテの元でなければいけなかったのか。その部分だけがどうしても知りたい。


 理由さえ聞きさえすれば後はどうでもいい。捨てた相手を親とは思えないし、思うつもりも微塵もないのだから。


 城に戻るや否や、家臣たちがいつになく慌ただしく働いていた。


 基本掃除は当番制だが、この日は全員が一丸となってせっせと取り組んでいた。


 仮にも魔王の息子がすぐ前にいるのに、それにすら気付かないほど彼らには一寸の余裕もない。



「こんなところでなにをしているのだ、小僧」


「あ、アモン。今日って何かありましたっけ?」


「なにも聞いていないのか? 今日はアスタロッテ様の盟友、ファフニアル様がお越しになられるのだ」


「え? 母さんの……!?」



 次の瞬間、ライシは眉をしかめた。


 アスタロッテにはたった一人の盟友がいる。


 灼焉皇帝しゃくえんこうていの異名を持つその魔王はファフニアルといった。


 黒き炎はありとあらゆる物理法則を無視し、触れれば最後骨さえも燃やし尽くすまで決して消えない。


 そんな強大な力を持った者と母親が盟友であるのだから、義理の息子ながらに凄いと思わざるを得ない。


 もっとも、今となっては盟友というよりはママ友という関係性が一番しっくりとくるだろう。


 母親という立場だからこそ、互いに積もった話もある。そこに水を差す気はライシも一切ない。


 強いて言うのであれば、たった一つだけ懸念すべきことがあった。



「ちょっと待ってください。ということはアレですか? もしかして、あいつも来ちゃったり――」


「するだろうな、確実に」


「あ~やっぱりですかぁ……」



 ライシは大きな溜息を吐いた。


 シルヴィがここにやってくる。このことについてはライシは否定する気は一切なかった。


 久しく顔を合わせていなかったし、ほんの少しだけ楽しみでもある。


 ただしそこにアリッサたちが関われば彼女たちはたちまち台風の目と化す。


 絶望的までに両者の仲は非情に悪い。最悪の二字ですらも生ぬるいぐらい劣悪な関係である両者は、これまでにも凄烈な喧嘩を繰り広げてきた。その時の被害は甚大の一言に尽きよう。



「……今から帰ってもらうってことできないですかね」


「逆に尋ねる。果たしてできると思うか?」


「無理ですね。それこそ奇跡でも起きない限りは」


「ならばその奇跡が起きるのを祈って待つか?」


「そんな悠長なことをしてられるだけの余裕があれば、それもありでしたね」



 今日はいつも以上に気苦労しそうだ。ライシは深い溜息を吐いた。


 自室に戻る。使い慣れたベッドにごろりと大の字に寝転がった。


 清潔感ある白い天井も今となってはもうなんの感慨もない。


 これからどうするべきか。ライシは一人沈思した。



「シルヴィにアリッサたち……こいつらが鉢合わせするのは避けられない。かといってウチの親バカと向こうの親バカは頼りにならない。俺が放っておいたら城が最悪消し飛びかねないし……というか、その時点になっても笑って許しそうだなぁ、あの魔王ヒトたちは」



 ここで妙案の一つでも浮かべばまだなんとかなったかもしれない。


 現実はそう甘くはない。結局なにも思い浮かばないままついに、その時がやってきてしまった。



「久しいなアスタロッテ! その様子だと相変わらず元気にやっているみたいだな」



 そう口火を切った女性は、全身より炎を燃え上がらせていた。


 ファフニアルは火を司る悪魔である。常に紅蓮の炎を迸らせているので、彼女の姿格好はほぼ全裸に近しい。


 肝心な部分はさすがにしっかりと隠れてはいるのもの、目に毒なのは言うまでもなかった。アスタロッテと同じぐらい容姿端麗でとても一児の母とは思えない。



「ファフちゃんも久しぶり~! 元気そうでよかったわ」


「はっはっは! 我はいつもこのとおりよ」


「ささ、遠慮せずにあがってあがって。たくさんお話したいことがいっぱいあるんだから」


「それは我も同じよ。っとそうだ、今日は土産に自家製の酒を持ってきたぞ。後でゆっくりと堪能してくれ」


「まぁ! わざわざありがとうファフちゃん~」



 人類より恐れられた魔王がするような会話ではない。


 そう思ってしまうぐらい二人の会話はとても穏やかなものだった。



「……おかしいな」



 ライシはもそりと呟いた。


 この場にいるべき人物の姿がどこにもなかった。隠れているのか――あれは見た目に反してすごく寂しがり屋だ。あの手この手を使って気を引こうとする性格から、身を潜めているとライシは判断した。


 だが、いくら周囲に視線を凝らしても隠れている様子は欠片さえもなかった。



「もしかして、今日はいないのか?」



 だとすればこれは嬉しい誤算だ。ライシは内心でガッツポーズを取った。


 シルヴイがいなければ争いはまず起きない。


 アリッサたちの面倒は見なければならないだろうが、それだけならば容易だ。


 今日こそは何事もなく平穏に終わってくれる。今晩はぐっすりと枕を高くして眠れそうだ。そう確信してしまったからこそ、ライシは拳を高らかにあげた。



「――、だ~れだ」



 不意に視界が暗くなった。目元をそっと包む温もりはほのかに暖かくて心地良い。


 背後よりしたたったその一言で、ライシの掲げた拳はゆっくりと地に落ちた。


 現実はやはりそう甘くはなかった。神様は本当に意地悪をするのが好きらしい。



「……聞くまでもないだろうに。シルヴィだろ?」


「へへっ。せいか~い」



 晴れた視界に映るその少女の笑みは、太陽のように優しく明るかった。

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