六等星を追う

道裡 亨

六等星を追う

別名、夜道のトラップ、と勝手に呼んでいる縁石ブロックに躓いたのだと気付いたときには、すでにコンクリートに尻を強打した後だった。横断歩道のない所で車が来ないのを良いことに横切ったのが罰当たりだったか。街灯は見事そのトラップだけを照らし忘れていたようだ。運よく歩道の方に身体が乗っかったので安全はとりあえず確保されたものだと強烈な痛覚が支配する脳でぼんやり思う。

「……いってぇ」

むなしく独り言が反響する暗闇。目は宙へ向かう。涙が零れないようにと無意識に向けた先だった。ぼやける視界の中に星が瞬く。俺の目に数多の星の光が飛び込んでくる。

偶然とはいえ、星を意識して見たのはしばらくぶりだった。最後に見たのは彼女と別れた日だったと思う。そう、夜の長さを教えてくれた、彼女。


彼女―マキちゃん―と付き合ったのは青々とした草木が綺麗な頃だった。大学時代の友人であるヤマトの紹介で知り合い、一か月ほど付き合う付き合わないのそわそわした時期を経て交際がスタート。俺にとって大学一年生の時に別れたユミカ以来の恋人で、四年も経てば恋愛のノウハウをすっかり忘れていたものだからどうアプローチを掛けていいのかさんざん悩んだ。そんな煮え切らない態度の俺のことを、「優しいと優柔不断の雑種」と名付けたマキちゃん。彼女は星が好きだった。それを知ったのは付き合って四ヶ月目のデートのことだった。


「プラネタリウム?」

デートのバリエーションも尽きてきた頃。マキちゃんは俺が提案したどのプランにおいても毎回好きになった時と同じ笑顔で「楽しい!」と言ってくれた。それでも、何か新しいことを提案したくなるのが俺の性で。とはいえ、情報弱者で優柔不断だからなかなか女の子が楽しめそうなこともできていない気がする。

ふとマキちゃんと入ったカフェでショップカードが広げられているコーナーがあった。彼女とともに足を止めて次のデートプランを練る。ここ行ったよね。近くにこんなお店あったんだな。意外と案内を見ているだけでも、各店の個性が光っていて面白いものだった。

「うん、プラネタリウム。期間限定かなあ」

A5サイズのチラシ。プラネタリウム、という文字がセンターに飾られたそれにマキちゃんは目を止めたらしい。

「……星、かあ」

声のトーンが半音ほど下がったのが自分でもわかった。

「岳くん、あんまり星すきじゃない?」

マキちゃんはその半音をきれいに読み取り、そう聞いた。

「好きでも嫌いでもないけど退屈かな、とは思うな」

星座の形を知らないし、そもそもあんなにたくさんある点の中からどうやったら形を作れるかもわからない。作ったところで何が面白いんだろう。星を見ることや夜景を見ることはロマンチックと称される二代巨頭だが、どちらも俺は良さがわからなかった。

「それは彼女といても?」

「彼女といても、見ようって思わないかな」

「そっかあ」

今度はマキちゃんのトーンが、一と半音下がった。

「……私は星、大好きなんだよねえ」

……しまった。


その後のデートは悲惨なものだった。俺は何をするにも空回り、マキちゃんは何をされても微妙な笑顔しか返してくれなかった。その表情は初めてみる気がして、胃が痛む。早々にデートを切り上げ、自宅に帰った俺はインターネットで「天体観測 楽しい」なんて調べる。しかし、調べれば調べれど楽しさがわからなかった。散歩も、二人でベンチに腰掛けおしゃべりも楽しいが、星を見ることの楽しさは何一つとして理解できない。

何か大きなことをしてしまった焦りのようなものだけがぐるぐると渦巻いていた。

「……あれ」

ふと横に置いた携帯を見るとマキちゃんからメッセージがきていた。

「あさって、二十一時、南町の公園で待ってるね!」キラキラの絵文字とにっこり笑顔の絵文字がたくさん。

南町の公園といえばここから歩いて二十分強のところにある小さな公園だ。俺の家よりは少しだけ丘にある。

夜だから迎えにいかなくていいのか、と問えばすぐだから、と即レスポンスが来た。確かにマキちゃん家寄りだからよく考えてある。

先ほどの焦りはもう身を潜めていた。マキちゃんが絵文字をたくさん使うときは楽しいことをするときだからだ。俺も気を入れ替えて明後日を待つこととしよう。


二十一時。快晴。とはいえ夏の終わりにしては茹だるような暑さではなく散歩して体を動かしたらすこし暑い、といった体感温度だ。公園の入り口で彼女を待つと数分もしないうちにやってきた。俺を見つけると、勢い良く手を挙げ小走りで向かってくる。

「岳くん、こんばんは!待たせた?」

「今来たところだよ」

「そう?ありがと!……さて、岳くん。早速本題です」

「うん?」

「夜の公園に呼び出し、何かと思ったでしょ?なんだと思う?」

この公園は、園内に街灯がない。それほど小さい公園だ。周りの歩道には街灯があるからそこの灯りで人の顔が視認できるレベルだった。そんな乏しい灯りの中でもマキちゃんはにっこにこの笑顔をしている。

「散歩……?にしては遅い気がしてた」

「確かにね。正解は……」

マキちゃんが急に俺の腕を掴んで、歩道から1番距離があるところへ引っ張っていく。突然で足がもつれかけながらもついていくと、街灯の灯りが少し遠ざかる。

「正解は天体観測、だよ。本当は望遠鏡とかあったらもっと綺麗に見えたりするんだけど……。あんなに大きいのは持ってないし持って来れないし。この公園なら灯りが比較的暗いから、星見えやすいかなって思ってさ」

「天体観測って……」


マキちゃんにならって空を見ると確かに、浮かぶ点の主張が強い様にも思える。

「星の面白さを岳くんにも伝授する会にしようとおもって。さ、星見るぞー!」

マキちゃんの高らかな宣言とともに、天体観測デートがスタートした。

「まずはね、夏の大三角からみてこうね。あのめっちゃ光ってる白いのがデネブ。それの少し上のめっちゃ光るのがベガ。さっきのデネブから右側にまた光ってるのがアルタイル。見えそう?」

三角、三角と頭で唱えながらマキちゃんが指差す方向を必死に目で捉える。星に疎い俺とはいえ、夏の大三角、という名前くらいは聞いたことがあった。大体どれもめっちゃ光っている様に見えるが、その中でも特に明るい星を探す。

「なんとなく、わかったかも」

「おお!上の方のベガがこと座、右に見えるのがわし座のアルタイル。織姫と彦星だよ。もっと山の方とか星が綺麗なところ行ったらわかるんだけど、二つの間に天の川が流れているのが見えるんだよ」

マキちゃんの少しウキウキしたような高揚した音声案内が左から聞こえてくる。知らなかった。本当に織姫と彦星の間に川が流れているだなんて。

「七夕の伝説は本当なんだなあ」

「そうなの。一番最初に説明したデネブがはくちょう座っていってね、天の川の架け橋なんだよ」

そうなんだ、と相槌をしながら、星からマキちゃんへ目をそっと移す。本当に楽しそうに薄暗闇でもわかるほど笑顔をほころばせながら空を指差すマキちゃんが愛おしい。マキちゃんが俺に説明したかった趣旨とは違うだろうけど、なんだかそんな幸せが嬉しかった。

「それからね、このアルタイルから南にガッと下がると……うわー、見えにくいけど見えるかな?赤い星があるでしょ、めちゃくちゃきれいなやつ!」

ガッと、の部分で腕をぐっと振り回す。急にこっちに飛んできて少し笑ってしまう。

「あ、うん。見えた……と思う。あれは?」

「あれはね、さそりの火」

「さそりの火?」

急に和名?

「アンタレスっていうんだけどね、さそりの火はかの有名な宮沢賢治さんが名付けたんだよ」

そういってマキちゃんは流暢に話し始めた。


アンタレスっていうのは、さそり座の中の星の一つなの。星座ってギリシャ神話なんだけどさ。冬の星座で有名なオリオン座はしってるよね。なんか点々が三つ並ぶやつ。そのオリオンを殺したのがさそり。オリオンはすっごい偉そうな人で、それを一回更生しようっていうのでさそりに殺させたんだよね。オリオンを刺した功績で、さそりは星座になれたんだよ。すごい話だよね。アンタレスはさそり座の真ん中らへんにあって、赤いから、さそりの心臓と呼ばれることもあるんだ。で、じゃあなんで火っていうかっていうと、銀河鉄道の夜、知ってる?そうそう、宮沢賢治の。あの銀河鉄道の夜の中に、さそりの火っていう一編がでてくるんだよね。そのさそりは、イタチに追われて井戸に落ちちゃうんだ。だけど祈るの。「自分は今までいくつものの命を取ったかしれない」「自分がイタチに捕まりそうになった時は一生懸命逃げた」「自分の身体をくれてやったら、イタチも一日生き延びたろうに」ってね。すごくない?その後にさ、「こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次にはみんなの幸のために私の身体をお使いください」って言ったの。そしたら燃える光となって、あんなに美しく空に輝いているんだよ。


俺は率直に「面白い」と思った。あんなに無数の点に、形と意味を持つ人の心が面白いと思った。そしてそれを面白いと思うマキちゃんがとても豊かな人間だと思った。

マキちゃんにそれを話すと「初めて言われた!」とちょっと照れたような声が返ってきた。

「私ね、小さい頃、小学二年とか?のときにお父さんと星を見に行って、この話聞いたの。それを十五年後彼氏に話している。同じものをみながら、同じ話を誰かにしている。すごく幸せなことだなって思えるの」

そう言ったマキちゃんの顔は、暗がりでもわかるほどに穏やかで幸せそうな笑顔だった。


マキちゃんとはその年の冬に別れた。寒い日だった。俺の転勤が決まったことが決め手だった。その時も空を見上げてもうマキちゃんとこの星を一緒に見ることはないんだなって涙したことを思い出す。オリオン座は俺たちが別れたあの時と同じように勇ましく立っている。

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