後編

「助けてもらうの、二度目だね」

 すでにあたしから手を放したその人は、息を切らしながら尻餅をついたかのように座り込んでいる。今日もパーカーのフードを目深にかぶって。

「……不法侵入も二度目」

 初めて聞く声は、状況のせいで不機嫌に皮肉めいていた。

 あたしの手の中の携帯の光が照らし出す彼の左手の肌は、灰色がかった黒だった。


 外に出たら満点の星空! なんてことはなかったけど、雲一つ纏っていない上弦の月が見下ろしていた。

「ここは親父の別荘……というより、研究所だったとこ。今はオレの隠れ家になってる」

 手袋の持ち主、もといメグル博士の息子であるメグルタマキは、さっきよりは和らいだけどやっぱり不機嫌そうな顔であたしを見ていた。元々こういう顔つきなんだろうな。

「あたしの母親が言ってたんだよね。名高きメグル博士に似た人をこの建物周辺で見たことあるって。そのときは、他人の空似だろうと思ったの。都心から離れたこんな場所に有名人がいるなんて思わないし、いたら大騒ぎになるだろうからね」

 母の見た博士に似た人が本人なのではないかと思ったのは、夕食で遺伝子組み換えの話をしたときだ。

「違う生物同士の細胞を繋げるのはそう難しくないんだよね」

「今じゃありふれた技術だな」

 それがどうした、という顔でこっちを見返すタマキ。

「突飛すぎるかなと思ったよ。もし、人間の細胞に他の動物の細胞を繋げる実験が隠れて行われてたとしたら? ってね」

「どこでやるんだよ、そんなこと。バレたら大問題だろ」

「やってたんでしょ、ここで。何度行われてるかは知らないけど、被験者にはあなたも含まれてるよね。その左手、おそらく他の動物の細胞が入ってるはず」

 古今東西「降参」を意味するハンズアップをしてみせたタマキの左手には、あたしが持ってきた黒レザーの手袋がはめられている。

「君と初めて会ったときのちょっと前だよ。元あったオレの左手は事故でちぎれた」

 事故の話を淡泊に終わらせたのは、そのことにもう心を使いたくないからだろう。

「これはオレの歪んだ意見だけどさ、すごい賞取るようなやつはどっかずれてるんだろうな。事故後に親父は『新しい腕を作る手術をしよう』って言いだしたよ。どうするんだって聞いたら、『ヤモリの細胞を使えばいい。身体の一部を作りなおせる能力があるから』って」

「ヤモリの細胞の再生医療利用の研究はすでにされてるみたいだけど、実用化はされてないよね?」

「道徳だとか倫理観だとか問題がわんさか出てくるからな。でも、親父はオレの左手でそれを試した」

「手術をしたのは、瓶があった部屋?」

「あそこも昔は病院みたいに綺麗で清潔だったんだぜ。今じゃボロボロだけどさ」

 棚にずらりと並んでいた瓶の中身は、メグル博士の研究の結果だったのだ。

「法とか道徳の問題はともかく、手術は無事成功したのね」

「その代わり元の肌の色とは全然違うから、今度はそっちのコンプレックスで悩まされることになる」

 それは仕方のないことなのだろう。ヤモリでも、再生した新しい身体の一部は元の色とは違ってくるから。

「……あのときはごめんね。逃げたりして」

「いいよ、別に。オレが君だったとしてもそうしてる」

 幼かったあたしは、タマキの黒い手を見て「あたしとこの子は違う」と恐れた。真相に気づいた今は、それを心から後悔している。

「本当、あの人は馬鹿だよな。義手にすればいいものを」

「そんなことないと思うけど」

「ほう? その心は?」

「だって、今の左手にもちゃんと血が通ってるでしょ」

 タマキが落としていった手袋の内側には温もりが残っていた。

「襲ってきたのも人間だけど、助けてくれたのも同じ人間」という、あのときのあたしを安心させてくれる大切な真実だった。

「……そうかよ」

 そう言ったタマキがどんな表情をしていたのか、下を向かれてしまったからわからなかった。

「あの日はお父さんの国葬があったからいたんでしょ?」

「まあな。変なやつだったけど、大事な親父であることに変わりはないから。……しかし、あそこにいたのがまさか君だとは思わなかった」

 腐れ縁だな、と笑うタマキ。

「ありがとうね、本当に」

 コンクリートの地面についた、タマキのありのままの左手にそっと触れる。

「どういたしまして」

「違うよ。あなたの細胞と無事繋がってくれたヤモリくんの優秀な細胞に言ったの」

「何だよ、それ」

 コンクリートの硬い地面の上、隣り合って座っていたあたしたちは声をそろえて笑った。

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ネバーエンディング・ジェネティック 暇崎ルア @kashiwagi612

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