「みんな俺を置いて大人になるな協会」設立にあたって。

曇天

僕もシュトーレンも大人になれない。

 シュトーレンを貰った。


 おそらく合法の白い粉に包まれたその物体は、スキー場の雪に埋めて冷えるのを待つコカ・コーラを連想させた。


 シュトーレンとは、11月の終わり頃からクリスマスまでの4週間において毎日1切れずつ胃に収める、いわば「食べるアドベントカレンダー」とも言うべきお菓子だった。

日が経つにつれてシュトーレンの中に入っているフルーツが熟成し、味わい深さが増すらしい。 


 つまり、セブンカフェでコーヒーを飲むためにボタンを押すような、世界にとってプラスであるのかマイナスであるのかさえも分からない作用しか与えていない日常を過ごす僕たちが、生まれたての赤ん坊から人生の酸いも甘いも噛み分けた立派な大人になった状態まで、ありとあらゆるライフステージのシュトーレンをたったの1ヶ月で観測し、毎日無責任に胃に放り込み続ける、それが僕たちとシュトーレンのあるべき関係なのであった。 


 そのため僕も、スタバで受動的にダークモカチップフラペチーノを買うような人生の寄り道をすることもなく、真っ直ぐ大人へと成長していくシュトーレンへのせめてもの敬意として、毎日うやうやしくシュトーレンの体を切り開いて、それはそれは噛み締めて食べさせて頂こうと思っていた。 


 そのような思いを抱いて始まった僕とシュトーレンの生活1日目の朝、 僕はいきなりシュトーレンを2切れ食べた。


 明らかに1切れでは満足できないと思ったのだ。おこがましいにも程がある。

味は抜群に美味しかった。

中に入っているフルーツの甘さと、表面を包んでいた粉、その正体は砂糖であったのだが、その甘さが見事に調和して、甘いのに甘すぎない、完璧な味だった。 


 初日のシュトーレンは赤子である。赤ちゃんであるのにこの美味しさ。

であるなら、終活のフェーズに入ったシュトーレンは想像を絶する味であろう。 


 だが、


  「もっと食べたい。」


  欲望との付き合い方を心得ていない20歳の僕は、生意気にもこう思ってしまった。 


 そして15時のおやつタイム、欲に塗りたくられてしまった僕は、

シュトーレンをもう1切れ......いや嘘である。  


全部食べてしまった。


  こうして、僕のもとにやって来たシュトーレンが大人になることはなかった。 


 シュトーレンを食べるには、僕自身があまりにも未熟だった。

シュトーレンが大人になるのを待てば、もっと美味しいシュトーレンを食べることができるのは僕にも分かっていた。

しかし、長く噛み締めることのできる幸福よりも、刹那的な楽しさを僕は選んだのだった。 


 このようなシュトーレンをめぐる僕の生き方を振り返ったとき、


 それは人生における今の僕の生き方そのものだった。 


 「青春」という言葉がある。

大学生である僕はおそらくその言葉の対象者たり得るのであろう。

だが、僕に青春の渦中にいる実感はない。

であれば青春とは幻なのだろうか。

いや、おそらくそうではない。


 青春というものを噛み締めることができていないのだ。


  青春を感じるには、僕たちはあまりにもがむしゃらで、駆けていた。

一歩一歩立ち止まって、自分たちが生み出し享受している青春を咀嚼することができれば、 

「あぁ、オレたち青春してる!」

と湧き上がることもできるだろう。


  だが、そのようにするには、僕たちはあまりにも若い。

欲望に突き動かされ、やりたいこと、自分の信じることに必死で、走り抜けるしかないのだ。


  人生においても僕たちは、シュトーレンを1日で食べているのだ。


  恋愛もだ。


  まずは食事から、そして次は近場でデート。

そのような段取りをきちんと経て、その後にようやく告白。

それが模範とされる恋愛の作法なのであろう。


  だが、僕はそのような恋愛ができない。

その場の勢いに任せてしまうのだ。熱に乗せられてしまうのだ。


  クリスマスなどという、あまりにも分かりやすいイベントがあるからいけないのかもしれない。


  だから僕は、恋愛においてもシュトーレンを1日で食べているのだ。


  大人であれば、1日1日をしっかり歩んで、自分の口に入れる幸福を味わっているだろう。

デートの店を予約して、プレゼントを渡して、しかるべき場所で文法に沿った告白をするだろう。

シュトーレンを毎日1切れ食べて、移ろいゆくその姿を目と口の両方で深く楽しむだろう。


  だが、それでも僕は、シュトーレンを1日で食べたいと思った。


 走り抜けたいと思った。


  僕たちが1日1切れのシュトーレンを食べて満足することができないように、おそらく大人たちも1日でシュトーレンを食べきることができないだろう。


  僕たちには僕たちの、大人たちには大人たちのシュトーレンの食べ方がある。  生き方がある。


  まだ、僕もシュトーレンも大人になれない。 


 シュトーレンには悪いが、もう少しの間だけ、

僕と今日をただがむしゃらに生きていってほしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「みんな俺を置いて大人になるな協会」設立にあたって。 曇天 @donten_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ