第12話 君が彼に与えた無言の「NO」


 深く被った黒い帽子。

 それに合わせるような長い黒いコートと赤黒いシャツ。


 胸元には銀色の十字架と指輪のアクセサリーが鈍く光り、細く白くまばらな髪と帽子の下から見え隠れする漆黒の瞳。


 ――この男は何者だ?



「終焉の夕陽――」


 その男は、夕焼けを見上げながら語り始めた。


「人の心が生み出す闇が、世界樹を侵し始めている」


 声は静かだけど、背筋が凍り付くような冷たさを感じた。


「人間の子供は残酷なものです。特に『権力を持ってしまった精神が中途半端な子供』は。原因は彼の親にあるのでしょうが、それだけではありません。『届かない相手』の存在が、彼をそんな『魔物』にしてしまった……そう思いませんか? 澤谷アヤカ」


 アヤカを知ってるのか? 少し視線を向けると彼女の顔色が少し悪い。


「この人……そうだ、この人はタクミ君のスケッチブックを……」


 そう、呟き震えるのを見て、僕はアヤカの前に立ち男を睨みつけた。


「悪いけど、名乗りもしない奴をアヤカに近付けるわけにはいかない」

「失礼。私の事はシオン……そう、呼んで頂けますか?」


 男・シオンはアヤカに視線を向けたまま言葉を続けた。


「天才に勝つことは出来ない。それを理解し諦める事は簡単だ。そして皆『ただ文句を言う愚か者』に成り下がる事を選ぶ――その方が楽だからです。彼だけではありません。恐らくその天才少年を救う事の出来なかった全員が、同じように己の小ささに「絶望」しているはずだ」


 男の指が僕の方へと向けられた。


「君もでしょう。理不尽である事に気付きながら、この世で「ごく少数」である絵画の天才を君は守ることが出来なかった――君が彼に与えた無言の「NO」がどれだけの絶望を彼に与えたか、君は理解していますか?」


 ――言い返す事が出来なかった。

 そう、僕は「絶望」していた。レオ君の暴力からタクミ君を救うことが出来なかった事。そして――権力に負けた事に。


「……何故、それを僕とアヤカに言うんだ?」


 自分の声が震えている事はすぐ分かった。


 ――落ち着け。軽く深呼吸をする僕を見ながらシオンは一瞬だけ面白そうに目を細めた。


「君は世界が緩やかな崩壊へと進んでいる事に気付いていますか? そして、それに抗う『メーファスプロジェクト』が、この学園の地下研究所で密かに進んでいる事を」

「メーファス……? お前はあの侵入者の? お前が首謀者なのか!?」

「いいえ、我々を統括するのは――」


 その瞬間――男の口元が微かに笑った気がした。




「芹沢ユウジ」




 ――ドクン。


 心臓が一際大きく脈打つ。


 バサバサとカラスが一斉に飛び立つ音が耳を裂き、視界が一瞬暗転したような気がした。


 ――『絶対統制者』――芹沢ユウジが、この学院内に!?





「リュウ?」

「――!!」





 気が付くと、あたりは静かな体育館裏。シオンの姿は消えていた。



「消えた? 今の男……シオンは何者なんだ?」


 ――アヤカはあの男を知っているようだった。問いかけようか悩んでいると、アヤカの方から口を開いた。


「私……あの人に会ったことある。でもどうしてだろう? 思い出せないの」


 一瞬胸がざわついた。

 アヤカは「検診」の間の記憶がいつも抜け落ちている。あの男と顔を合わせたのは、その「検診」の最中だったのだろうか――?


 ――最先端のクローニング技術を用いた人体実験が、この学園で行われているらしい。

 ――ネーファスプロジェクト……鍵となるのは澤谷アヤカ、としか……


 「検診」は、僕の雇い主である澤谷さんがアヤカに定期的に受けさせている検査で、僕がそれについて質問する事は禁止されていた。

 疑いが核心に変わっていく。でも、あの優しい澤谷さんがアヤカに人体実験を受けさせているなんて事、あるのか……?


「世界樹を知ってた……あの人は妖精なの?」

「アヤカ、世界樹っていうのは」

「私の生まれた『精霊界』にある、大きな木なんだけど……」


 アヤカが少し歩き、木々の間から覗く「赤い夕陽」に目を細める。


「終焉の夕陽……世界樹のエネルギー循環を止める闇が大きくなってる? そこまで人の心の闇は大きくなってるって事なの?」


 やがて振り返った彼女の表情は、少しだけ不安そうに見えた。


 ――どうしたの? リュウ。

 いつものアヤカなら、僕の心を読んだかのように、優しく問いかけてくれただろう。でも、今のアヤカは――


「世の中は便利になっていくけど、人は幸せになるどころか悲しかったり、嫉妬したり、心を病む人が増えていってる。私たち妖精が人間界でエネルギーを蓄えて世界樹に循環しているはずなのに、それが追いついてないみたい」


 ――人の心が生み出す闇が、世界樹を侵し始めている。


 世界樹……闇……終焉……正直さっぱりわからない。でもさっきのシオンの言葉から、あの夕陽は「世界樹」というものと何か関係があるんだと思う。そして、シオンはアヤカの「検診」で恐らく彼女と顔を合わせたことがあるんだ。

 もし……もし、だ。アヤカはこの世でたった一人の「妖精」という存在。その、彼女を狙う存在がもし


 ――この学院と関係あるとしたら?

 ――その中に澤谷さんがいたら?


 そして


 ――芹沢ユウジがいたとしたら……?


 途中まで考えて頭を振った。本当にそうだとしたら、あまりに多勢に無勢……想像するだけで気が遠くなるような話だ。

 アヤカの方を見ると、微かに微笑むのを見て少しだけ肩を撫でおろす。


「君のことは、何があっても僕が守るから」


 それはほとんど自分自身に言い聞かせるような言葉だった。だって、これは自分自身で決めた事――


 ――ユメのように悲しませない、アヤカだけは。そう、誓ったんだ。




 直後、遠くから慌ただしい足音が近づいてきた。


「お前達、3―Bの生徒だな。教室に戻りなさい」


 中等部3年の学年主任の先生だった。


「先生、真田君が怪我をしていて……保健室に」


 事情を説明したかったけど、先生はいらだった様子で僕に駆け寄りタクミ君の顔を覗き込んだ。


「悪いがそれどころじゃない。手当は後だ、とにかく教室に戻りなさい」


 ――様子がおかしい。何かあったのか……?


「仕方ない、とりあえず教室に戻ろう」


 頷いたアヤカと共に、僕は教室へと足を運んだ。




 


 足早に歩く先生の背中を追いながら、違和感が体をざわつかせた。


 やっぱりおかしい――どうしてそんなに急いでるんだ?

 理由を聞きたい気持ちを抑えながら歩いていると、隣を歩くアヤカの足が急に止まった。


「あれ?」


 彼女の視線が腕のスマロに注がれている。


「どうしたの?」

「スマロの様子がおかしいの」


 アヤカがスマロを起動すると、本来なら姿を現すはずのミントグリーンの淡い色の子猫――アヤカのAIが姿を現さない。代わりに表示されているのはDNAシンボルの映像だった。


「校章の模様に似てるね」


 アヤカがタップしても、いつも画面を彩る肉球のモーションも表示されず一切の応答がなかった。


「澤谷、余計な事はするな」


 いらだったような教師の声。アヤカは戸惑い画面を閉じ「すみません」と小さく呟く。



 ――そして、途中通りすがったのはデジタルパネルの横。タクミ君の絵画が展示されている場所だ。


 それは大きな樹の下に金髪の少女が座っている絵だった。

 ライトブルーの瞳に羽を纏い、微かに微笑むその妖精は……どことなく、アヤカに似ているような気がする。


 ――一瞬、胸がちくりと痛んだ気がした。


 なんだ? この感覚。正体の掴めないその感覚に戸惑いを覚えた。そして、ふと頭に浮かんだのは、この絵を見ていたレオ君の姿だった。

 彼はこの絵を見て、こう呟いていた。


 ――タクミ、お前は自分が特別だとでも思ってるのか?

 ――あいつの絵か……くだらねぇ。


 まるで嫉妬心をそのまま口にしたような言葉だった。そして、同時に思い返したのはシオンの言葉だ。


 ――人間の子供は残酷なものです。特に『権力を持ってしまった精神が中途半端な子供』は。原因は彼の親にあるのでしょうが、それだけではありません。『届かない相手』の存在が、彼をそんな『魔物』にしてしまった……そう思いませんか?


 あの男……シオンは、タクミ君がレオ君をあんな風にしたって言いたいのか?




 窓の外へ視線を向ければ「赤い夕陽」が空を赤く染めている。その眩しさに、思わず目を細める。


「ごめんアヤカ、タクミ君を背負ってて時計が見れないんだけど……今何時だっけ?」

「えっと、9時半だけど……」


 ――朝の9時半の夕陽。


 それはいつもの幻想的な夕焼けとは全く違う、不気味な赤だった。そして、あの男――シオンの不吉な言葉に気を取られていたせいだろうか。


 僕は、スマロの異常な動きの「意図」に気付くことができなかったんだ――

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