第11話 いつも犠牲になるのは少数派だ



 gifted――ギフテッド


 「圧倒的な観察力と記憶力」

 「光や影の配置を正確に記憶し再現する力」

 「再現だけではなく独創的な色彩でそれを表現する創造性」


 この学院の教授たちはタクミ君を「数百万、いや数千万人に一人の逸材『創造性ギフテッド』」――天才と呼んだ。


 例えば、ある有名な画家が内戦中の空爆による惨劇を描いた作品は今では「反戦運動の象徴」となり、今や教科書にも載る名作であるように。その才能を持つ者が生み出す芸術は見る者の感情を揺さぶり、他者への共感や理解を促すそうだ。


「時代を超える独創性――それは世界の宝だ」


 大人達はタクミ君の絵にその可能性を見出し賞賛したけど、それが「少数派」である彼にとって祝福であったかどうかはわからない。


 現実は――あまりに残酷だった。





 アヤカの体を支えながら教室に戻っていると、騒がしい教室から担任教師が足早に立ち去ろうとする姿が目に入った。

 

「先生、何かあったんですか?」

「あ、ああ羽瀬田、澤谷。一時間目は自習だ」


 動揺した様子に嫌な予感がして教室に向かおうとすると、先生の咎めるような声が僕の足を止めた。


「羽瀬田! 世の中には「暗黙のルール」というものがある……君はそれがわからない生徒ではないだろう」


 『暗黙のルール』――つまり見て見ぬふりをしろという意味だ。


「私だって、あの子の才能がどれほど貴重か知っている。でも矢崎財閥はこの学院に大量の融資をしてるんだよ。上層部がこの問題を見て見ぬふりをしている以上、私一人では何もできないんだ」


 まるで免罪符のようなその言葉に返答することなく教室の扉を開くと――そこには胸倉を掴まれたタクミ君と、嘲笑するレオ君がいた。


「お前、いい気になってんじゃねえよ!」

「ぼ、僕はいい気になってなんか……!!」

「やめろ!!」


 咄嗟に前に出てレオ君の腕を掴んだけど、彼は見下すように視線を軽く僕の方へ向けた。


「なんだリュウ、止める気か」

「暴力は校則違反だ」

「暴力~~?」


 顔をしかめたレオ君は、クラスメイト達に大声で呼びかけた。


「おい、お前ら。これは暴力か? それとも「正当防衛」か?」


 ――正当防衛。タクミ君がレオ君に暴力なんて振るうはずがない。こんなの言いがかりに違いない。


「ほら! 民主主義!! タクミが先にやったって思う奴は拍手しろ!!」


 教室内はしんと静まり、皆が困惑した表情で周りを見回した。

「これ……拍手しなきゃいけないのかな……?」と誰かが呟いたけど、その言葉に返事をする生徒はいない。皆どうしたらいいか分からない……そんな様子だった。


「拍手! 拍手! みんなレオさんに続け!!」


 2人の男子生徒が大げさに拍手をし、野次を飛ばすように笑い飛ばす。困惑していたクラスメイトたちは次第に1人2人と拍手を始め、やがて教室内は皆の拍手喝采で満たされていった。

 ――矢崎レオに逆らえば彼の親による社会的な抹殺が待ってる。拍手していれば少なくとも自分が標的になることはないと、皆が思っている事が痛い程伝わってきた。


「見ただろ? これは正当防衛だ、手を離せ」

「……ッ!!」

「なあ、リュウ」


 レオ君が僕の耳元で小さく呟いた。


「俺はいいんだぜ? お前がいなくなればアヤカにも学校で自由に手が出せるからな?」

「――!!」


 ボディガードである事が周囲に漏れれば僕は職務を解雇されるだろう。そうしたら、アヤカは――

 そう思った瞬間力が抜けた僕の腕をレオ君が乱暴に外し、再びタクミ君の胸倉を掴み黒板に叩きつけた。


「タクミ、お前も文句ないだろ? 悪い奴には罰が必要だよなぁ!?」


 制服を乱暴に引きちぎろうとした彼の手を止めるように、タクミ君は慌てて反論する。


「や、やめて!! 僕、制服の替えがないんだ」

「ああ、お前んち貧乏だもんなぁ? この間破けたところもママが繕ってくれたんだっけ? その年でマザコンかよ」


 ビリビリと音を立てて制服が引きちぎられ、やせ細った上半身が露わになった瞬間――タクミ君の瞳が一瞬アヤカに向けられた。


「お、お願いします……ここで破かないで」


 ――アヤカにだけは見られたくない。その訴えに気づいたのだろうか? レオ君の表情が一瞬歪んだような気がした。


「お前、また賞を取ったんだって? 俺たちがいくら努力しても手に入らないものを簡単に手に入れて。いいよなぁ「天才」ってやつは」

「ぼ、僕は天才なんかじゃ」

「ああそうだよな。今の時代にお前みたいな絵の具の匂いをプンプンさせてる絵描きなんて時代遅れもいいとこだ。ここは選ばれた生徒が集まる場所なんだ!! 制服買う金もない貧乏人が、偉そうにしてんじゃねえよ!!」


 タクミ君の腹にパンチを叩き込み、乱暴に腕を掴んで無理やり立たせると教室の外へと連れて行く。


「見たか? 今のタクミの顔」

「タクミの素っ裸、写真撮ってSNSにアップしてやろうぜ」


 取り巻きの2人がレオ君の後を追い教室を出ていき、教室内はしばらく静寂に包まれた。




 やがてクラスメイト達は先程までの事を記憶から拭い去るかのように、無言で自習を始める。その様子を見ながら、僕は胸の中に言葉で言い表せない「何か」が渦巻き困惑していた。


 ――どうして、もっと強く言えなかったんだろう? 


 アヤカに危害が及ぶからか? 職務を失うのが嫌だったからか? 何が正しいのかは分かってる。でも、この……何かに縛り付けられているかのような感覚は――


 ――反抗は無意味と理解しなさい。


 過去の芹沢ユウジの言葉が一瞬蘇り、それを振り払うかのように軽く頭を振ると、タクミ君のロッカーに手を伸ばし体操着を取り出した。


「アヤカ、タクミ君の後を追おう」


 頷いたアヤカと一緒に、教室の外へと駆け出した。







 ――体育館裏でレオ君とすれ違ったのは、その15分後の事だった。


「これはバズりそうだな」

「いいね、稼げるんじゃね?」


 レオ君の取り巻きの2人が、まるで正義のヒーローにでもなったかのように笑い飛ばしている。でも彼らの前を歩くレオ君の顔は、どこか煮え切らない様子だった。


「レオ君、タクミ君は?」

「あっちにいるんじゃねぇか? アヤカ、お前もあんな情けねぇ奴気にしてないでさ」

「リュウ、早く行こう」


 アヤカは足早に体育館裏に走る。すれ違いざま、僕の耳に微かに舌打ちが聞こえて、レオ君の方を見た時


「お前みたいな天才がいなければ、俺は……」


 かすれた声と一瞬苦悩に揺らいだ瞳……でも彼もまた、すぐ背を向け歩き去って行った。






「タクミ君――!!」


 タクミ君の姿を見つけたアヤカはすぐに後ろを向いた。


「アヤカ、僕が」


 体育館裏で座り込んでいるタクミ君は制服は全部はぎとられ、上半身には複数の痣。あの後も何度か殴られたんだと思う。


「リュウ君、いつもありがとう」

「体操着持ってきたからこれ着て。口もゆすいだ方がいい」


 背中を支えながらペットボトルの水を口元に差し出すと、タクミ君は小さく頷き水を含んで吐き出す。吐き出された水には、血が混じっていた。


「珍しいね。リュウ君がそんな顔するなんて」

「顔?」

「いつも無表情な君がそんな悲しそうな顔するなんて、今の僕そんなにひどいかな?」


 思わず自分の顔に触れた。眉間に少し皺が寄ってる……気がする。タクミ君は苦笑いを浮かべたけど、僕もアヤカもその冗談に笑う余裕はなかった。


「レオ君のしてる事は暴力だし、犯罪だ。証拠を集めて然るべき場所に持っていけば」


 そう。彼らがしている事は犯罪だ。でも


「やめてよ。母さん、僕をここに入れる為にすごく働いてくれたんだ。揉め事なんて起こして退学になったりしたら、悲しむよ」






 ――ふと、空からちらほらと白い雪が降り始めた。


「雪……まだ秋のはじめなのに。優しい誰かが涙を流してくれてるのかな」


 ぼんやりと空を見つめるタクミ君。アヤカの方を見ると、後ろを向いたまま肩を震わせている。多分……この雪は彼女の悲しみに精霊が反応して降らせたものなんだと思う。


「妖精がタクミ君を心配して泣いてるのかもしれないね」

「妖精?」

「そう、君の絵が大好きな妖精だ」

「その妖精なら知ってるよ」


 タクミ君の視線がアヤカの背中に向けられた。


「いつも言ってくれるんだ、僕の絵が好きだって。そして僕の心の色がとっても綺麗だって。だから……頑張れるんだ」


 アヤカが妖精である事を、タクミ君は知らない。彼が言う「妖精」が誰の事かはわからないけど、その言葉を聞いたアヤカが膝から崩れ落ちて大声をあげて泣いた。そんな彼女を見てタクミ君は、柔らかく微笑んだんだ。





 なぜこんな事が起きるんだろう? そう思った直後レオ君の言葉を思い出した。


 ――「お前みたいな天才がいなければ、俺は……」


 何故だろう? 自分の中にも似た感情……「誰かを羨み、責める事があるんじゃないか?」――そんな問いが頭を離れない。

 保健室に連れて行くためにタクミ君の体を背負うと、彼は安心したように寝息を立てた。ほっとして校舎の方へ歩き始めた時――


「誰だ?」


 そこには黒い帽子と黒いコートを着た長身の男が立っていた。


「その少年が何故そんな目に遭うか、教えてあげましょうか?」


 表情が見えない――その男の影は、降り続ける雪の中で、どこか不吉に揺らめいていた。



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