第5話 僕はアヤカのボディガード
ハーモニア大学附属学院は、この国の科学の最先端が集まる場所だ。全寮制で初等部から高等部までの校舎が配置されている。
中等部の校舎は「ネオ・クラシカル・モダン建築」と呼ばれている。クラシックな建築スタイルと現代的なデザインを融合し、白に所々青が添えられたモダン且つシンプルな校舎は、科学技術の発展をイメージさせる配色だ。
校章は「無限」や「永遠」を象徴する円の中心にDNAシンボル。その周りに配置された星や六角形を囲むように葉や枝のモチーフ。全体を銀色と青色で構成され、その下にはラテン語で校風の「Per Scientiam et Futurum」(科学と未来を通じて)が刻印されている。
「スマロ、澤谷さんの居場所を表示して」
腕に付けた学生証兼通信機器スマロ――正式名称Smart Hologram Pass(スマートホログラムパス)を起動すると、目の前に16インチほどの画面のホログラムが表示された。
――そしてその中心には、猫耳の付いたスライム型のゆるキャラがいる。
「こんにちは、リュウ。澤谷ソウイチの位置を検索します」
「loading」の表示と共にぷるぷると揺れだしたこのゆるキャラ「すニャいむ」は、スマロに搭載されたAIだ。春に生まれた子猫の設定らしく、右耳にはピンクのガーベラの髪飾り。初期設定は無機質な人型のシルエットなんだけど「もっと可愛い姿にしてあげよう」というアヤカの提案でこの姿に落ち着いた。
ロードを待ちながら校舎の方へ目を向けた。
列柱やアーチを用いたファサード(正面のデザイン)に、ガラス素材をふんだんに使用した校舎。この校舎に憧れる子供は多いらしい。
……職務とはいえ、過去に人殺しをしていた僕がこんな場所に身を置いているなんて、正直未だに違和感を感じる。
「リュウ、このまま直進してください」
「ありがとう」
スマロの指示通り、校庭の脇のレンガで舗装された細道を直進した。
――芝の上に設置されたベンチで談笑する2人の男子生徒の会話が聞こえてきた。
「なあ、今度矢崎さんが肝試しを計画してるんだってさ。七不思議を探検するツアーだって。ちゃんとスマロのスケジュールに入れとけよ」
「はいはいっと。スマロ、今のスケジュールに入れといて」
「了解しました。スケジュールを更新します」
「これでOKっと。でも本当にやるのか? 七不思議なんて噂だけで誰も見た事ないらしいじゃんか」
「世間と権力者に研究を潰されて、妻も子供も失った科学者が使っていた「不気味な地下研究所」に足を踏み入れると……? どうなるんだっけ?」
「実験材料にされるんだってさ!」
「こえ――!! 殺されるのかな!?」
さっきの侵入者が言っていた「不気味な地下研究所」とは、よくある学校内の七不思議のひとつだ。僕も入学してから2年半、そんな場所は見た事がない。それに……
――ネーファスプロジェクト……鍵となるのは澤谷アヤカ。
ネーファスってなんだ? アヤカが人体実験の中心人物って、どう言う事だ?
「澤谷さん!」
高級そうなダークブラウンのスーツに、優し気な表情を浮かべた壮年の男性――澤谷ソウイチが細道のむこうから歩いてくる。彼が僕の雇い主。そして――
「アヤカ!?」
彼の背中で、金髪の少女が眠っている。彼女が僕の警護対象の澤谷アヤカだ。
「何があったんですか!?」
「心配はいらないよ、少し疲れたみたいでね」
澤谷さんは軽く微笑みながら、アヤカをベンチの上に下ろした。
陽の光に照らされ、彼女の金髪がキラキラと輝く。華奢な背中を支えると、肌が少し冷たい。秋の初めのこの時期に、体がここまで冷えるのはおかしい。それに……
「リボンがまた、なくなってますね」
エメラルドグリーンに近い色のブレザーとふんわりとしたデザインにローズピンクに赤のチェックが入ったスカート、紺のハイソックスはいつも通り。
――でも、彼女がいつも髪を結っているお気に入りの若草色のリボンがなかった。
とりあえず、風邪をひかないようにブレザーを脱いで上から羽織らせると、小柄な彼女の体には大分大きかった。昔は同じくらいの身長だったんだけど、な。
「いつものように、アヤカの髪に結ってあげてくれるかい?」
澤谷さんがポケットから替えのリボンを取り出し、それを受け取った僕はいつものように彼女の金髪の一部を結った。これも、いつも通りだ。
「すまないが、急な仕事が入ってしまったんだ。今夜の食事の予約をしてくれていたんだろう、申し訳ないけど別の日に変更できるかね?」
「わかりました、お店に連絡しておきます」
「もしくは、君が代わりに行ってくれても良いのだが……」
ちらりと視線を向けられ、僕は視線を逸らした。今日アヤカと澤谷さんが行く為に予約したレストランは、僕みたいな一般の人間が行けるような店ではないからだ。
「いやいや、ただの独り言だよ。ありがとう、アヤカを頼んだよ」
世界各地に孤児院を経営する資産家である澤谷さんはその界隈では有名な人なんだけど、こんな風に雇った人間ひとりひとりにも敬意を払う人格者だ。
小さく頭を下げ、セキュリティゲートの方へ歩く澤谷さんの背中を見送りながら、この後アヤカが起きた時どんな言葉をかけるべきかを考えた。
――正直、気が重かった。
アヤカが月に数回受けている検診。
父親である澤谷さんが学園に顔を出す数少ない日であるこの日を、アヤカはとても楽しみにしていたからだ。
「顔色が、悪いな」
僕は雇われた人間の1人に過ぎない。そして「検診」の内容について質問する事はタブーとされている。だけど、いつもより顔色の悪い彼女を見ると疑問が膨らんでいく。
――もし、アヤカの検診と侵入者の言っていた人体実験が関係しているとしたら……彼女は一体どんな目に……?
「ん……ここは……?」
彼女のお人形のようなライトブルーの瞳が開き、ぼんやりとしたまま顔を上げた。
「あ、あれ……? ここは」
「大丈夫?」
肩を支えたまま顔を覗き込むと一瞬目が合い――白い肌が一瞬で真っ赤に染まった。
「ふっ……ええええええええっ!!?? リュウ!!??」
「アヤカ、危ない!!」
弾かれるように体を離したアヤカの体がバランスを崩してベンチからずり落ちる。咄嗟に彼女の上半身を抱きとめると、驚いた顔をしたまま硬直したように動きを止めた。
「大丈夫?」
――顔が赤い――体調チェックが必要だ――!!
妹を失ったあの日の記憶が一瞬にして蘇り、一瞬胸が強く締めつけられた。それに警護対象である彼女の体調の僅かな変化も見逃さない、それはボディガードとしての職務でもある。
困惑している彼女の体をベンチにしっかり座らせると、正面に立って額に手を当て体温のチェックをする。触れた瞬間少しだけアヤカの体が跳ねて、彼女は真っ赤になったまま視線を逸らした。
――熱は、ない。
「リュ、リュウ……」
「じっとしてて」
僕はアヤカのボディガードとして些細な変化も見逃すわけにはいかない。でも――それ以上に、彼女の事が心配だった。
アヤカの顔がますます赤くなる。何か言いたげな彼女を見ながら少しだけほっとし、脈拍のチェックの為細い手首に指を添えて――少し鼓動が早い、かな。最後に瞳孔の色を確認する為に、顔に手を当てて瞳を近づけると――
「――だ、大丈夫ッ!! 大丈夫だから!!」
静止するようにアヤカの両手が僕の体を離し、荒い息切のまま顔を伏せている。
……何か、問題があったのだろうか?
体調チェックの続きをしたかったけど断固拒否されてしまい、中断せざるを得なかった。
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