1章 若者とマイノリティ
第4話 15歳――ある放課後の密かな戦い
僕――羽瀬田リュウは、ここ・ハーモニア大学附属学院中等部の3年生。
そして今僕がいるのは中庭の一角。大学キャンパスのように広大な敷地を持つこの学院はところどころ木々が植えられ、ちょうど体育館の陰になるこの場所は「侵入者」が身を顰める絶好の場所と言ってもいい。けど、彼ら自身が「獲物」になった時、その立場は一変する。
僕の短い黒髪の上に、ひらりと葉が一枚落ちた。
ゆらゆらと空中を滑り落ち、静かに肩先へと落ちる。それに注意を向ける事もなく、僕は深い青の瞳をじっと細め、視線の先の「侵入者」の動きに集中していた。全ては「その瞬間」を捕らえる為だ。
――嫌だ。
幼少時から愛用しているナイフ・コンパクトブロントを握り直すと、胸の奥底から湧き上がる「嫌悪感」が一瞬体を支配する。妹を失い、孤独と恐怖から逃げ出したあの日からずいぶん経つけど、この感覚が消える事はない。
「人を殺す事に躊躇せず、自身の命にすら無関心であれ」
「ゼロの領域」は任務の為に作り出す、感情や雑念を排除した絶対集中的な状態だ。瞑想から学んだ一定の呼吸状態に入ると、失敗への不安や恐怖、音や感覚も消え去り、残るのは目の前の「任務」だけ。
狙うは相手の注意が一点に注がれ時生まれる「死角」――木漏れ日が男の顔を照らし瞬きをした瞬間、目の前の世界が静止したかのように感じた。
――今だ!!
木の陰から一気に前に出て、腰を低くして背後へ。男が視線を向けた右方向から、ちょうど180度対角になる場所。
姿を見せず、背後から接近し、気付かれた時には終わらせろ。違和感を感じた男が振り向く。それが「獲物」の全てが終わる瞬間だ――!!
「どこから来た?」
顔を引きつらせたまま視線だけ後ろに向けようとした男。喉元に当てたナイフを軽く皮膚に寄せると、額に汗を滲ませ「降参」を宣言するように手を上げた。
しかし、男の口元は微かに緩む。それを確認した瞬間首元に手刀を下ろした。
――仲間が近くにいる。
太陽の光が木々の隙間から差し込み、風に揺れる枝の音と生徒達の笑い声が遠くで微かに響く。
意識を失った男の体を受け止め、ゆっくりと地に下ろしながら、あたりを見回す。すると微かな足音が聞こえて、元居た木の裏に身を隠した。
「――誰か、いるのか!?」
自分が「獲物」になった時の恐怖は、僕自身も体験したことがある。背筋が凍り付き、一気に血の気が引き、肌が一瞬でざわついていく、あの感覚は、できれば二度と体験したくない。目の前の2人は、今まさにそんな感覚なんだと思う。
ナイフを右手で握り直した時、一瞬強い風が吹いた。
――きた。
風に揺られた枝が一瞬あたりをざわつかせ、男たちの視角と聴覚を避けるように低い姿勢からの接近。その若干湿った土を蹴りつける音に、1人が気が付いた――瞬間
「――がはっ」
みぞおちに命中した肘が男の腹の骨を軋ませる。一瞬の呼吸困難による判断力の低下は、戦闘不能に等しい状態だ。そのまま首元に手刀で強打を与え、意識を奪う。
「何ッ――!?」
もう一人の男が振り向くと、奴の目の前には崩れ落ちた仲間。
およそ一メートルの距離で一瞬交差する、男と僕の瞳。銃を向けようとする男へ、ナイフを持った手に力を込め――急所の頸動脈めがけ、振り上げた。
「目的を言え」
銃より先に急所を捕らえたナイフの切っ先が喉元の寸前で停止し、木漏れ日に照らされた刃の照り返しが男の頬を照らす。息を潜めて接近し、「獲物」が気が付いた時には「仕事」を終わらせる。これは過去に訓練を受けたとおりだ。
「が、学生……?」
「殺されたいか?」
ナイフの切っ先を若干当てると、男の首元から血が一滴。それと共に、額に冷汗が滲む。
「地下研究所の調査だ」
「地下研究所?」
「最先端のクローニング技術を用いた人体実験が、この学園で行われているらしい。その存在を突き止める事が、俺たちの任務だ」
「それは、どこにある?」
「まだ見つけてない。だが、高等部のどこかにあるらしい」
「その研究内容は?」
極秘事項なのだろうか? 男は一瞬口をつぐんだ。
「ネーファスプロジェクト……鍵となるのは澤谷アヤカ、としか……」
「アヤカ!?」
澤谷アヤカ――それは僕の警護対象の少女の事だ。彼女が人体実験の中心人物だなんて、聞いたことがない。
「こ、この学校に通う資産家の娘の……それ以上は、知らない!」
「お前たちの他に、何人侵入してる?」
「……俺たち3人で、全員だ。ほ、本当だ!! 俺たちは雇われただけだ……詳しくは、知らないんだ」
しばらくナイフを突きつけていたけど、本当にそれ以上は知らないみたいだ。
「――がっ!!」
手刀を繰り出し気絶させ、男が動かない事を確認すると、支給された通信機器を使い学園内に不審な人物がいないか確認する。男の言葉が間違いない事を確認して一息ついたところで「着信」の文字が表示された。
――そこには、僕の依頼主である「澤谷ソウイチ」の名前。
「リュウ、検診が終わった。すまないが、ちょっと来てくれないか?」
「澤谷さん、不審者がいます。身柄の確保が必要です」
「侵入者? 場所は?」
「中等部体育館裏です」
「わかった、すぐに人を向かわせる。君はアヤカの護衛を頼む」
「はい」
電話を切って、一息。
時計を確認すると15時13分。侵入者の発見から討伐まで、およそ3分だった。
「時間、かけすぎた。腕訛ったかな」
ゆっくりと息を吐いて体を「ゼロの領域」から解放すると、現実の世界が一気に戻ってきた。緊張が解けた瞬間、僕の黒髪を揺らす風や木々が枝を揺らす音、顔を照らす木漏れ日の光……全ての感覚が戻ってきて、額にじわりと汗が滲みだし、肩の緊張がほぐれていく。
木々に覆われた空間を出ると、太陽の光が眩しくて一瞬目を閉じた。
白を基調とした校舎にダークブラウンのレンガで舗装された小道。芝ではなくゴム製のマットが敷かれた校庭からは部活動をする学生たちの賑やかな声。まさに、平和そのものだ。でも――
「アヤカを、守らないと」
僕は澤谷アヤカのボディガードの、羽瀬田リュウ。
彼女を守ることは依頼人である澤谷ソウイチ――アヤカの父親から受けた使命であり、過去に失った妹への償いでもある。
妹を失った時の絶望が胸によぎる。
救えなかった事で自分を責め続けてきた僕にとって彼女を守る事は、唯一の生きる意味なんだ。
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