第2話 「絶対統制者」――芹沢ユウジ



 ――いつも犠牲になるのは、少数派の人間だ。


 2045年・夏。薄暗い地下の一室で、僕は冷たい壁の隅に座り身を預けていた。

 

 「影縫い」は、まるでこの国の影に潜むように存在している。

 組織の戦闘員の1人である僕の部屋は、無機質なコンクリートに囲まれた窓すらない四畳半ほどの広さの部屋だ。分厚い壁の奥から微かに聞こえる繁華街の賑やかな音が聞こえる。


 蛍光灯がほのかに室内を照らし、ぼんやりとした光が僕の影を床に落とす。夜いつも思い返すのは、妹の笑顔――微かな繁華街の音を聞きながら、僕は皮肉げに呟いた。


「今日も、平和だ」


 そう、この世界は平和なんだ――表向きは。でも、その裏で犠牲になるのはいつも少数派の人間だ。


 ――邪魔なら最悪消してしまえばいい。


 そんなニッチな需要に目を付けた社会の「闇」による副産物である「影縫い」の主な仕事は、裏の世界で望まれる「処理」を行うことであり、僕はそれを実行する戦闘員の1人だ。


「リュウ、時間だ」


 監視の男が部屋の扉を開けると、廊下の照明の光が室内に差し込む。


「なんだ、また床に寝てたのか。ベッドが支給されてるだろ」

「すみません」

「今日は芹沢様から直々の呼び出しなんだ、さっさと準備しろ」


 地べたで眠る理由を僕は口にしない。仕事を寝過ごしたりすれば、彼らは「おしおき」と称して容赦なく体罰を与える。そんな状況でゆっくり眠るなんて、できるわけがない。

 部屋の隅に目を向ければ、枯れてしまったピンクのガーベラが空き缶にささっている。


「仕事を頑張れば、休みがもらえる」


 この間の休みは一カ月前。この花はその時にユメが笑顔で「お部屋に飾ってね」と渡してくれたんだ。ユメの笑顔は僕の心の中でこの花と同じように輝いてる。まるで僕の中で唯一「人間らしさ」を失わせない支えとなっているように。



 ――僕がそこに在籍する事になったのは、まだ10にもならない頃の事。親が借金のカタに僕と妹のユメを差し出したのがきっかけだ。


「ユメを助けてください!! 僕が出来ることならなんだってします!! お願いします!!」


 持病が発覚して真っ先に殺されそうになった妹を守るために、その道に足を踏み入れる事を余儀なくされた。

 無謀だとその場にいた大人は笑ったけど、僕は必死に与えられた訓練と仕事を繰り返し、一年もすれば皆が「殺しの天才」と賞賛しだした。


 「殺しの天才」――子供心に、ひどい皮肉だと思った。


 殺しのテクニックは、実に単純明快だった。

 音を出さずに近づき喉笛をナイフで切り裂く。これが僕の「殺し」の工程。仕留められなければ心臓を。逃げるようなら足の健を。その全てを約3秒で可能にする為に必要なのは「走り込みを含む接近や隠密のテクニック」と「ナイフの最も効率的な使用法」――つまり、単純作業の繰り返しだ。


 例えて言うなら毎日同じパンを作ったり、同じ部品を組み立て続ける工場勤務のサラリーマンと同じ作業だと思う。それが僕の場合は人殺しだった、それだけの話だ。


 それを子供にさせる理由? 大人達が言うには「子供にしか出来ない事」があるらしい。

 なぜそんなことが必要なのか? 簡単だ、表では政治や金持ちたちが笑顔で握手を交わし、マスコミが彼らを称賛する。でも、その背後では不都合な事実を隠すために、僕たちが動いている。彼らはスキャンダルや問題を解決するため――「邪魔者を排除」する為に、僕たちのような人間を利用するんだ。


 それは多数派に対し声を上げる少数派を無言で排除する行為――人はそれを『悪』と言うと思う。もしそうだとしたら、悪いのは命令した大人達依頼主か? それとも僕たち実行犯か? それとも別の何か……?


 ――その問いに、正解なんて存在しないと思う。







 「絶対統制者」――それが影縫いを統括する男・芹沢ユウジの陰の呼び名だった。



 その日、芹沢さんは僕を含む同年代の子供数人を古ぼけた教会に呼び出した。

 都会から車でおよそ2時間。辺りは見渡す限り木々と山に囲まれ、村であっただろう草ぼうぼうのその場所に自分たちの乗る高級リムジンが停止する。そんな場所に連れて来られた子供達が想像するのは、ひとつだった。


 ――殺される。


 仕事に失敗した同僚が「お仕置き」と称され、二度と戻ってこなかったのは何度も見てきたからだ。でも、その時の芹沢さんは少し違っていた。


 手に握られているのは小さな十字架。細身だが人より長身である壮年の男・芹沢ユウジ。紳士のような佇まいとかけ離れたような冷酷さと、躊躇なく拷問や暗殺の指令を出す残虐性。彼の姿を組織内で目にすれば、その威厳と重厚感のある口調に軽く体が震える。そんな無言の威圧感を放つ彼の背中が、この日に限っては小さく見えた。

 

「祈るなど、普段の私からは想像がつかない……といった顔をしていますね。人間ですから時に弱さを見せる事は必要なのですよ。私も例外ではございません」


 ――弱さ?


 十字に手を切り、思いにふけるように沈黙する芹沢さんの背中を、僕たちは無言で見つめた。まさか、死者を慈しんでいるのだろうか? 「絶対統制者」である彼が?


「君たちは世の中を毒す真の敵が誰か、わかりますか?」


 芹沢さんの問いに答える者はいなかった。


「私くらいの年になると人間は2種に分かれる。世界を救う「天才」と、ただ国に寄生する「愚者」です。「多数派」である彼らは欲望のまま「少数派」の犠牲を望み、未来を食い尽くす。一方私のような「天才」は、腐敗を取り除く為に手を汚し革命を起こす。そして君たちは私の作る未来の為に共に血を流す駒……反抗は無意味と理解しなさい」


 未来の為に血を流す。もちろん、反抗するつもりなんてない。僕たちはそう答えた。すると――


「それが賢い判断ですが、少しだけ昔話をしましょう。ある少年が虐待を受けていた。彼は親の愛を得るために勉強に励んだが、親は少年を金のために売り飛ばそうとした。愚かさに気付いた少年は感情を捨てることを決め、親を殺してしまった。そして成長した少年は知恵を生かし権力と財を手にした。言ってることが理解できますか?」


 それは芹沢ユウジの子供の頃の話なのだろうか? 


「いいえ」


 僕たちの答えに芹沢ユウジはため息をついた。


「少年は、その時初めて知った。感情は無力、愛や絆など幻想に過ぎない。そして犠牲のない変革など存在しません。感情に縛られない者だけが世界を動かすことができる。もし残酷だと感じるなら、それは君たちが『愚者』である証拠です」


 何かを達成する為に犠牲は仕方がない。それが僕達であっても、芹沢さん自身であっても……?


「「天才」も人間だ。神に祈るのは許しを乞うためではなく、咎を背負う覚悟を得る為です。神ですら私の行動に干渉はできないでしょう。さて……では君たちはどうですか? 運命を打開しますか? それとも無意味と理解し反抗を諦めますか?」


 正直矛盾していると思った。


 ――反抗は無意味。


 それは「影縫い」に来てから鉄の鎖のように皆の心を縛りつける絶対の真実。皆抵抗をする事すら忘れ、残された道は従う事のみ。こんな八方ふさがりな現実を叩き付けられているのに運命を打開……そんな事、できるのだろうか?




 ――そんな僕の転機は、妹のユメが死んだことだった。



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