第46話 本に綴られた手紙

 アルドリックの言葉にティウの頭は真っ白になってしまった。


(ある男って……やっぱりシュガストのことだよね……)


 記憶が戻ったとはいえ、ティウの中ではシュガストと別れてからそう時間は経っていない。動揺を隠しきれず、ティウの手は震えていた。

 ティウの様子に気付いたジルヴァラがティウの肩を軽く抱き寄せた。ハッとして顔を上げたティウは、ジルヴァラの顔を見てあれから百年経っていることを思い出す。


「ティウ様、お手を拝借できますでしょうか?」


 アルドリックが分厚い本とペンダントを差し出してきたので、ティウは慌てて受け取った。自分の手の中にある懐かしい魔道具を見る。

 自分の記憶からはくすみ、傷だらけになったペンダント。守護の魔法はかろうじて感じられるが弱々しい。百年の歳月で効果が消えかけていた。


「本ですか? それにこの魔道具は……」


「この魔道具には幾度も命を助けられました。賢者の皆様のご協力を頂いた事も含めまして一族を代表してお礼を申し上げます」


 腰を折ってお礼を言うアルドリックに、ティウは微笑んだ。


「お役に立てれて良かったです」


「シュガスト王とティウ様は恋仲だったとお聞きしております。だからこそ、こうして目の前に立つ子孫である我々の存在が疎ましく感じられるでしょう。ですが、どうか誤解しないで欲しいのです」


「誤解……?」


「血は確かに繋がっておりますが、私共はシュガスト王の直系ではございません。シュガスト王の従兄弟に当たる人物の子孫なのです」


「え?」


「シュガスト王は眠りについてしまったティウ様を待つと……生涯独身で過ごされました」


「…………まさか」


「ティウ様を誤解させてしまった。謝罪したいと……そう、ずっと仰っておられたと聞き伝えております。そしてその本はシュガスト王の日記……だと思っていたのですが、ティウ様宛の手紙のようでしたので、厳重に保管しておりました」


「この本が、手紙……?」


 ティウは困惑して固まってしまった。あの時の光景が脳裏に過り、思わず手の中の本と魔道具を持つ手に力が入った。

 表紙を確認すると、『ティウへ』と書いてあった。本当に手紙のようなタイトルだ。


 表紙をめくり、一番最初の頁をめくれば、そこにはこう書かれていた。


『ティウへ

 会えない日々を綴るように君に手紙を書こうとして……ふと思い立って本にすることにした。

 君は手紙よりも、本が好きだと思うから』


「シュガスト……」


 その本の中にはティウが眠ってからシュガストが亡くなるまでの間、国としての出来事をまるでティウに手紙を書くように形で綴られていた。


 返事の来ない手紙を、生涯ずっと書き続けていたシュガストの気持ちが痛いほどに込められている本で、ティウは涙が止まらない。


「だって、お妃様を迎えるって……王様になって……もう、私の事なんて忘れていると思ってた……」


 もっときちんとシュガストと対話をするべきだったのだ。「嫌だ」と直接言うべきだった。

 タイミングが悪く、衝動的に結界を施してしまったのだと気付いて、ティウの目から後悔の涙が溢れて止まらなくなった。


「私、シュガストの事を忘れたくてあの結界を……シュガストとの大切な思い出を全てをつぎ込んじゃったのに……」


「ティウ様……」


「ティウ」


 ジルヴァラがぼろぼろと涙をこぼすティウを抱きしめて慰めた。


「ティウが結界を施してすぐ、国に魔物が大量に押し寄せたのは話したよな? ティウの結界が守ってくれたけど、魔物に包囲されてしまって膠着状態になってしまったんだ。その時にノアやゾンのじーさん達が駆けつけてきてくれて一掃してくれたが……あの時、ティウが結界を施してなかったら、この国は魔物の群れに蹂躙されて消えていたと思う」


「ジル……」


 ノアもティウの頭を撫でながら教えてくれた。結界を張ったのは消して無駄ではなかったのだと。


「そうだよ、ティウ。あの小僧の話を聞いて後悔してしまったかもしれないけれど、この結界のお陰でこの国は間違いなく救われた。それほどまでにあの時の魔物の数は尋常ではなかったからね。記憶を犠牲にしたからこそ、救われた命もたくさんあるはずだ」


「じーちゃん……でも私が……私がもっと早く目が覚めていれば……」


「それはもう考えたって仕方がないよ。ティウが目覚めたのは結界の維持に回せるだけの魔力が枯渇してしまったからだ。だが目覚めるのが早ければ早いほど、それは魔力が枯渇するのも早いということ。そうなればもう二度と……目が覚めなかった可能性の方が高い」


 ノアの言葉を聞いて、アルドリックも驚いたようだ。痛ましい表情をしながらも、アルドリックはシュガストの話を続けた。


「シュガスト王はこの結界を有り難いと常日頃から感謝をしておりました。その一方、ティウ様が犠牲となった事を後悔していた。彼はずっと、空を……この国を覆う結界を見上げていたと記録に残っております」


「シュガスト……ごめん……ごめんね……」


 ぼろぼろと涙をこぼすティウを、ジルヴァラが宝物を守るようにぎゅっと抱きしめる。


 その場にはしばらく、ティウのすすり泣く声だけが響いていた。




          *




 ジルヴァラの腕の中でしばらく泣き続け、次第に落ち着いてきたティウだったが涙が止まる気配はまだなかった。

 赤く腫れた目で、アルドリックにお礼を言った。


「ごめんなさい……教えて下さってありがとうございます……」


 しゃくりあげながらも感謝の言葉を何とか伝えられたティウは、手の中の魔道具に守護の魔法を入れ直す。今度は以前よりももっと長く、そして頑丈に。魔道具自体にも守護をかけた。

 これで壊れにくくなるので、もっと長い時をこの国と共に歩んでくれるだろう。


「ティウ様!?」


 驚くアルドリックを見上げて、ティウはその魔道具をアルドリックに差し出した。


「シュガストの想いを継いでくれてありがとうございます。これはアルドリックさんが持っていて下さい」


「……よろしいのですか?」


 ティウはこくんと頷いた。


「本当は分かっていたの。一緒にいても遅かれ早かれこうなるって……。じーちゃん達も口を酸っぱくして人族と関わるなって言ってくれてた。でもそれを無視して、今が良ければって……そんな安易な気持ちだったって……今は……まだ気持ちが落ち着くまで時間がかかりそうだけど、頭では理解しています」


「ティウ様……」


「一緒にいられたとしても、時が経てば経つほど隣にいるのが苦痛になっていったかもしれません。だって……私とシュガストは種族も寿命もはるかに違うから」


 止まらない涙をこぼしながら、そう告白するティウにアルドリックは何も言えなかった。


「私の魔法が少しでもあの人の役に立てれたなら、それで充分だったんです。それに、そのペンダントがあの人をちゃんと守ってくれたんだって思えば……嬉しいな」


「それは間違いございません。幾度もティウ様が守って下さいました」


「私はあの人の国を想う気持ちを応援したかった。だから、一緒にいて隣で助けられたらって思ったんです。だからシュガストの意思を継いで、この国を想う人に……アルドリックさんにそのペンダントを持っていて欲しいです」


「分かりました。まだまだ若輩ではございますが、必ず後世にも継いでみせましょう」


 アルドリックは膝をついて、臣下の礼を取りながら厳かにティウからペンダントを受け取った。


 まだもう少しだけ、ティウは自分の気持ちが落ち着くのには時間はかかってしまうだろう。

 それでもこの話を聞く前と聞いた後では、明らかに気持ちが変わっていたのは事実だった。


「私も……これで前に進めそうです」


「ティウ様……目覚めて下さって、安心いたしました。長らくこの国を守護して下さりありがとうございます」


 アルドリックが感謝の言葉を口にした瞬間、その後ろにシュガストの姿が重なった。

 目を見開いたティウには、シュガストは少し悲しそうな、でも心から安心した姿が映っている。


 もう、二度と会う事はできないと思っていたティウも、シュガストのその顔を見て、ふっと心のつかえが取れた気がした。


「はい……!」


 ティウの流していた悲しみと後悔の涙が、懐かしい人と会えた喜びの涙へと変わった瞬間だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

100年後の賢者たち 松浦 @matsuura_00

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ