第37話 曾祖父・ゾン
ゾン、と呼ばれた男は、人の姿へと戻ったジルヴァラを見て肩をすくめた。
「ティウが目覚めたと聞いたから急いで帰ればミズガルへ行ったとノアに聞いてな。慌ててこちらへ来てみればティウの結界は攻撃態勢だわ、犬助はフェンリルになってるやら……こりゃデコピンしかないだろう?」
「な、な……」
場にそぐわないほどに楽しそうに、そしてキッパリと言うゾンにジルヴァラはどう返事をいいのか分からず混乱していた。
ジルヴァラの額はじんじんと脈打つように痛い。デコピンの衝撃と痛みで正気に返れたとはいえ、軽率にフェンリルになってしまった事を後悔した。
いつものゾンは、赤髪と赤鱗でトカゲ族として擬態している。それをわざわざ黒髪と黒鱗にして現れたのは、注目されていたティウとジルヴァラの視線を逸らすためだろう。
ジルヴァラがフェンリルになった時にほとんどの者達は逃げ出していたが、アルドリックは兵士ともみ合い、まだこの場に残ろうとしているのが見えた。
「わ、悪かった……でもティウが、ティウが……」
ジルヴァラは震える手でティウを抱きしめる。ティウの胸元は静かに上下していて穏やかな呼吸をしているのが分かったが、それに反してジルヴァラの心臓は脈打つように激しい。
百年前にティウが倒れたあの時の光景が思い出されて最悪の事態ばかり想像してしまう。
「前回の様な深刻な状態には見えんが……んん~? どれどれ……」
ゾンはティウの額に手をかざす。手から小さな魔法陣が現れ、ティウの身体を照らした。
ほんの少しの時間だったが、ジルヴァラには長い時間に思えた。
「なるほど……そういう事だったか」
何かに気付いたゾンが顔を上げ、ティウの結界を見る。
「ティウは大丈夫なのか? なあ、じーさん! どうなんだ!?」
「まあ、焦るな。とりあえずティウを寝かせられる所へ移動するぞ。そっちで説明してやる。それにここじゃ、人族共が鬱陶しくて面倒だからな」
気付けばかなりの人に目撃されてしまった。これではもう、ティウを隠しておけない。
自分はもっと反対するべきだったのだ。百年も経てば人族達も忘れているだろうと思っていたのに、こんな面倒に巻き込まれるなんて。ジルヴァラは己の軽率な行動を呪った。
ゾンにも迷惑をかけてしまった。賢者の一族はその姿を見られないように、常に擬態して隠れているというのに、ティウから意識を逸らすために、その正体を晒させてしまった。
ゾンはトカゲ族の格好で擬態しているが、顔は人の顔をしているので半分人化している状態だ。
元々、半分ドラゴン族の血を受け継いでいるのもあって、素といえば素の姿だった。主な擬態は髪や鱗の色だけともいえる。
ゾンはジルヴァラ同様にブラックドラゴンの姿に獣化できる。
ドラゴンの中でもブラックドラゴンはドラゴンの頂点に立つドラゴンであり、今や伝承でしか伝えられていない存在だった。
黒光りしている鱗は炎の魔力の粒子を纏い、全属性の中でも特に炎に特化した存在であることが見て取れた。
大きさは自由自在に変えられるのだが、今回は移動しやすいよう、高さ四メートルほどの小型のブラックドラゴンへと獣化した。
ゾンが獣化した途端、わずかに残っていた人々も悲鳴を上げて逃げ出した。
ゾンもジルヴァラもそうだが、この世界では第二の姿に変化できる者は希少種かつ上位の種族である。
上位種を怒らせると街が一瞬で消し炭になるとまで言われているので、変化できない者達は恐れているのだ。
『乗れ』
ゾンの言葉でジルヴァラはティウをそっと横抱きにして、ゾンの背中へと飛び乗った。
「お、お待ちくださいッ! ティウ様は……!?」
息を切らしたアルドリックが叫んだ。自分を護衛していた兵士と近衛を振り切って戻ってきたようだ。
『ああ、思い出した。お前はあいつの末裔か』
ゾンから発せられる威圧の言葉には抑えきれない怒りが滲んでいる。
百年前、ティウがこの結界を施したきっかけを作った男だった。
記憶力が桁違いゆえに覚えておくと怒りに支配されそうで、なるべく忘れていられるようにと外に出していたのに……また思い出してしまったとゾンは苦い顔をしている。
「その漆黒の魔力……賢者の一族の方とお見受けします。ティウ様はご無事なのでしょうか!?」
ゾンの威圧に気圧されそうになりながらも、アルドリックは震える足を叱咤してティウの無事を確認しようとした。その様子を見て、ジルヴァラとゾンは百年前の男の姿と重ねていた。
『……あの時も言ったが、ティウの意思を尊重してこれ以上我々は関与しない。それは今後も同様だ。ティウが目覚めたからといって、調子よく縋ってくるような事をしないでもらおう』
「そ、そうではありません!! たしかに我々は百年もの間、ティウ様の結界に守られておりました。しかし、それには代償が伴っていたと充分承知しております…私はティウ様のお身体を案じているだけなのです!」
『ふん、どうだか……。まあいい、すぐに分かることだ』
ゾンはバサリと翼を広げ、ふわりと浮いた。そしてくるりと身体を回転させ、結界へと向き直る。
「じーさん?」
『お前は耳を塞いでいろ』
「なっ」
ゾンは鋭い牙を持つ大きな口をガバッと開き、音を音として拾えない謎の咆吼を放った。
「グッ……!」
超音波の様な振動を発した咆吼がティウの結界に響き渡る。結界を構成している魔法同士を繋いでいるハニカム構造の筋が一瞬光った気がした。
脳を揺さぶられたような衝撃にジルヴァラは目眩を感じるが、腕の中にいるティウを離すものかと腕に力を込めた。
『追い掛けてきて我らを怒らせるなよ』
ゾンはアルドリックに忠告し、ミズガルから北の方角にそびえ立つ霊峰へと一瞬で飛び立っていった。
*
ドラゴンが飛び立った咆吼を呆然と見送るしかできなかったアルドリックは、力尽きたようにその場に膝をついた。
ガクリと力を失った足は未だに震えている。ホッとしたと同時に大量の汗が噴き出し、ようやく息が吸えると思った。
周囲を見渡せば、結界の防御機能で負傷した民達がぐったりと横たわっている者達がいた。
結界の反撃で賢者ティウの石像は粉々になり、周囲には抉られた建物の瓦礫が散乱している。
一生懸命に自分を守ろうとした兵士や近衛達も気絶しているようでピクリとも動かない。
「賢者の……一族……」
黒を纏う、賢者と呼ばれる一族の噂。各国の王族達が密やかに噂している話だ。
王族の間では、賢者に伝手があるものが次の王になれるとそれは躍起になっていた時代もある。賢者を探し出せと命令した王もいるほどだ。
半分おとぎ話のような話を、この国が証明してみせたのは今からちょうど百年前。
この世のありとあらゆる知識、技術といった、全ての智を欲する賢者の一族は、それぞれ得意分野が分かれており、エキスパートが揃っていると聞く。
人々に隠れて各地を転々とし、知識を欲し、授けてくれた者にはその見返りとして様々な助言をしていく。
その中でも賢者ティウは癒やしと結界魔法に優れ、人々を守ることにその身を捧げた賢者だった。
「やはり……やはりティウ様だった……!」
アルドリックは服の下に隠れたペンダントを握りしめる。祖父から秘密裏に譲り受けたこの王家の宝は、賢者が造ったものだと言われていた。
これまで、己の身をずっと守ってくれたペンダントの形をした魔道具は、賢者ティウが百年前にこの国の王となった人物に授けた物だと伝え聞いている。
「賢者ティウが目覚めた……」
アルドリックは顔を上げて結界を見た。わずかだったほころびが、かなり広がっている様に見える。
先ほどのドラゴンは結界に何かしていたようだが、それはきっと賢者ティウのためなのだと漠然と思った。
アルドリックは未だに震える足で立ち上がり、重い身体を引きずりながら、倒れている者達を介抱するために無理やりにでも足を動かした。
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