第5話 職場いじめ
職場いじめ
とんだ失態だ。
今夜の肴にとって欠かせない食材を買い忘れるなんて。
「コンビニにあるかなぁ。」
もしなかったら、駅近くのスーパーまで歩くことになる。
歩く手間などはどうでもいい。問題は、配信の時間に間に合わなくなるということだ。
せっかく今日は定時に退社できたというのに、このケアレスミスのせいで台無しになってしまう。
神に祈る気持ちでコンビニに入り、食品コーナーを覗く。
「あった……。」
あったのだ。青のりが。
今夜の肴はたこ焼き。
たこを買い忘れないようにということばかりが頭を占めてしまい、うっかり青のりを切らしていることを失念していた。
3年前にリサイクルショップで見つけた卓上たこ焼き器を使って、今日は1人たこ焼きパーティを配信する予定だ。
生地を作り、たこもぶつ切りにしてある。
たこ焼きソースのほかに、サルサソースやおろしポン酢、タルタルソースに明太子マヨネーズといった味変のレパートリーもばっちりだ。
あとは焼くだけという段階で、青のりを思い出し、今に至る。
青のりは正直「なくてもいい」という意見も少なくないが、あいるんは俄然「ないと困る」派だった。
こってりとしたソースやマヨネーズに、青のりを振りかけることで磯の風味がプラスされ、たこの旨味を引き立てる……気がする。
100円ショップで購入したガラス製のジョッキに氷をたっぷり入れて、ウィスキーを注ぐ。
そこへ炭酸水を注げば、ハイボールの完成だ。
たこ焼き器や生地、バリエーション豊富なソースが並ぶ机へ向かい、配信を始めた。
いつもの口上を述べ、たこ焼き器に生地を流し入れる。
「今日は見てのとおり、たこ焼きでーす!味変用のソースも色々用意したよー!」
――おいしそう!
――たこ焼きいいなぁ。
――大阪行きたい。
流した生地にたこを入れながら、ちらちらとコメントも確認する。
「たこ焼きに合うお酒悩んだけど、ハイボールにしたよー。」
ジョッキの氷をカラカラと鳴らしながら、作ったハイボールを視聴者に見せた。
――一緒!
――ビール一択。
――私はレモンサワーかな。
――赤ワインも意外と合うよ。
たこ焼きに合うお酒を次々にあげる視聴者たち。
「赤ワイン?!今度試してみようかな!実は本日あいるんやらかしまして、青のり買い忘れちゃったんだー。」
――青のりはなくてもよくない?
――それは一大事。
――買ってきたの?
「急いでコンビニ走りましたよー!せっかく今日は定時退社っていうレア日だったのに、危うく配信遅れるところだったー!」
話しながらあいるんは、千枚通しでくるくるとたこ焼きをひっくり返していく。
――そもそも定時で帰れるのが当たり前。
――あいるんのところブラック?
――いじめられたりしてない?
「ブラックではないけどホワイトでもないかな(笑)。いじめられてはないよー。でも職場によってはいじめに悩む人もいるみたいだね。今日はそんな職場いじめのお話だよ!」
「ねえ、知ってる?柳沢さん自殺したんだって。」
声を潜めて切り出したのはパート社員の小沢さんだった。
柳沢亜里沙(やなぎさわ ありさ)は、以前働いていた派遣社員だ。
大人しい性格で、黙々と作業をこなすタイプだったが、自己主張の強い社員が多いこの会社ではいじめの標的になるまで時間はかからなかった。
結果彼女は鬱病になり退職。
それが約1年前のことだ。
「もしかして、あの騒動も柳沢さんの呪いだったりして!」
小沢は楽しそうに不謹慎な言葉を吐いた。
あの騒動とは、他部署のパワハラがバレて数名がリストラされたことを指しているのだろう。
訴訟にまで発展し、主犯格である女性社員はリストラ。被害者からの慰謝料や会社からの賠償金の請求を無視したことで、つい最近差し押さえにあって発狂しているところを多くの社員が目撃している。
「どこ情報なんですか?それ。」
同じ部署で働いていた派遣社員が自殺したという話に、内心衝撃を受けていた本林(もとばやし)は聞いた。
「木村さんが言ってたのよー。知り合いが柳沢さんと近所らしくてね、結構な騒ぎになったらしいわよ。」
わざとらしく気の毒そうな表情を作り話す小沢に対して若干の不快感を覚えつつも、話に耳を傾ける。
「……私たちのせいじゃないわよねぇ?」
小沢がこう話すのは、柳沢の自殺の原因に対して、身に覚えがあるからなのだろう。
柳沢は、当時急な欠員が出てしまったため、他部署から急遽移動してきた派遣社員だった。
他部署での評判がよかったので即戦力になるのではないかと、人事部が判断したためだ。
正直いつ辞めるかわからない派遣社員よりも、長期間働いてもらえそうな正社員が欲しかったが、おそらく人件費をケチったのだろう。
柳沢は確かに仕事の覚えが速く、派遣社員ながらも正社員と同程度の仕事量をこなしていた。
そのためこちらもつい多くの仕事を任せてしまったことは否定しないが、正直鬱病になるほどの仕事量ではない。
「物静かな人だったし、元々そういうきらいがあったんじゃないですか?」
彼女が辞めた当時は、自分たちがいじめたんじゃないかという不名誉なうわさが立ったものだが、冗談ではない。
仕事量は多かったかもしれないが、正社員である自分はもっと多くの仕事を日常的にこなしている。
負担が大きいなら、派遣会社でもとおして相談すればいいだけの話だ。
「あの人少し他力本願なところあったし。それに、私たちに原因があるなら警察なり会社なりが事情を聞きに来るだろうし。」
本林の言葉に、どこか安堵したような笑顔で「確かに―!」と声をあげる小沢。
不安が解消されたことで気がすんだのか柳沢の話題はそこで終わり、今度は副主任の悪口に切り替わるのだった。
仕事が終わり、ロッカールームで着替えていると、ふいに柳沢の話を思いだす。
ロッカールームには他の社員はおらず、静まり返っている。
「……私たちのせいじゃないわよねぇ?」という小沢の言葉が脳裏によぎるが、「そんなわけない」と着替えを続けた。
「自殺して恨まれるほどのことなんかしてないし。」
と呟いてロッカーの鏡を見ると、背後に女が立っていた。
「ひっ」と小さく悲鳴をあげながら勢いよくうしろを振り返ると、そこには同じ部署の後輩である木村が驚いた顔をして立っている。
「すみません、今声をかけようと思ったんですけど、驚かせちゃったみたいで。」
考え事をしていたせいか、木村がロッカールームに入ってきたことに気づかなかった。
「聞きました?柳沢さんのこと。」
おそらく自殺のことを言っているのだろう。
「聞いたよ。びっくりした。」
「ですよね。知り合いが自殺とか今までの人生にないので最初信じられませんでしたよ。」
悲しそうな顔で話す木村の姿を、本林は冷めた気持ちで見つめていた。
(白々しい。)
木村は柳沢よりも後に入ってきたが、派遣社員である柳沢を明らかに見下していた。
柳沢から仕事を教わっている最中、一切返事はせず、メモを取るそぶりすら見せない。当然教わった内容を覚えていないのでできないわけだが、一貫して「柳沢さんが教えてくれなかった。」と言い張るのだ。
正社員から指導を受けるときは、いかにもやる気のある新入社員といった感じだったうえ本林たちの部署の派遣社員は柳沢だけだったためか、あまり問題視されなかった。
柳沢がそのことを周囲に話すということをしなかったということも大きいだろう。
(柳沢さんももっと声をあげるとかすればこの子もそこまで調子に乗らなかったと思うけどね。)
小沢もそうだが、木村もどこか柳沢の自殺を面白がっているように見えた。
はっきり言って、こういう人間にはなりたくない。
木村は話を続けようとしたが、関わりたくないという気持ちから「今日早く帰らなきゃいけないから。」と手早く身支度を整えてロッカールームを後にした。
翌日、ロッカーを開けた本林は悲鳴をあげた。
人殺しと書かれた紙と一緒に、黒い髪の毛がロッカーの中に散乱していたのだ。
それは本林だけではなく、木村と小沢も同様だった。
社内ではちょっとした騒ぎになり、同時に様々な憶測が飛び交った。
「相当恨み買ってないとここまでされないよね。」
「そういえば、あの3人の部署もなかなか人が定着しないよな。」
「あの人たち、ほかの部署にはいい顔してんのにねー。」
どうして自分がこんな目に合わなくてはならないのかと、憤慨する本林の横で、小沢と木村は真っ青になって黙っていた。
(完全にとばっちりじゃない!)
自分はあの2人とは違う。調子に乗って仕事を押しつけ続けた小沢とも、露骨に嫌がらせをしていた木村とも違い、友好的な態度を取っていたはずだ。
「私は悪くない。」
自分に言い聞かせるように本林は呟く。
その日を境に誰かの視線を感じるようになった。
仕事中はもちろん、運転中でも視線を感じ、危うく事故を起こすところだった。
ストレスから不眠になり、仕事中にもミスが増え、このままでは自分も死を選んでしまうのではないかと思い始めた頃。
小沢が会社に来なくなった。
連絡がつかず、最初こそ噂に耐えられず休んでいるんだろうと周囲も対して心配していなかったが、そこから1週間無断欠勤が続いたため楽観視できない事態となったのだ。
緊急連絡先である遠方に住む息子へ電話をしたところ、小沢の自宅まで様子を見に行ってもらえることになった。
結論から言うと、小沢は自宅にいた。
首を吊った状態で。
死後1週間が経過しており、無断欠勤の初日にはもうすでにこと切れていたそうだ。
部長から話を聞いて部署全体が騒然となるなか、ただ1人本林だけが青ざめて何も言えずにいた。
その日は1日仕事に集中できず、残業となってしまったが、まったく仕事に身が入らない。
小沢は自殺したのだろうか、それとも誰かに?
様々な考えが脳内をぐるぐると巡るなかで、小沢の言葉を思い出す。
「柳沢さんの呪いだったりして!」
全身に鳥肌が走り、「馬鹿馬鹿しい」と思い直すも、その言葉がどうしても頭から離れない。
本林はデスクの引き出しを開け、新しいものに交換し忘れていた連絡先一覧を取り出す。そして、おもむろに電話の受話器を取り、どこかに電話をかけた。
数回の発信音の後に、「はい、柳沢です。」と男の声が聞こえる。
「もしもし、私○×商事の本林と申します。以前こちらで働いていた柳沢亜里沙さんの同僚でして、最近柳沢さんの訃報を聞いたもので、ぜひお焼香をあげさせていただきたいのですが……。」
精一杯悲しそうな声を作り、一気にそう伝えると、相手の男は少し沈黙を置いて答えた。
「はい?あの、色々と言いたいことはありますが、○×商事の本林って妻をパワハラした社員の1人ですよね?聞いてますよ全部。妻が黙っているのをいいことに、ろくな謝罪もせずに今更どの面下げて連絡してきたんですか?」
(パワハラなんて人聞きの悪い。薄給の派遣社員に仕事振ってあげただけじゃない!小沢さんほど頻繁に押しつけてないし。)
そう心の中で毒づきながら、どう言い訳するか考えていると、柳沢の夫と思われる男はさらに続けた。
「大体訃報とかお焼香とか何言ってるんですか?失礼じゃないですか!妻は生きてます!」
一瞬男の言っている言葉の意味が理解できなかった。
(妻は生きている?ってことは柳沢さんは死んでないってこと?)
予期せぬ言葉に思考停止していると、受話器の向こうで小さく「代わって」と男に話す、聞き覚えのある女の声が聞こえた。
「お電話代わりました。お久しぶりです本林さん。そちらで派遣社員として働いていた柳沢です。」
驚きの余り、本林が何も言えないでいると、柳沢は語気を強める。
「あの、先程主人も言いましたが、今更何の御用でしょうか?散々人に残業押しつけて、聞こえるところで悪口言って、虫の居所が悪いと露骨にひどい態度を取って!木村さんを焚きつけたのも本林さんですよね?あなたが嫌がらせに便乗したせいで、状況が悪化して鬱病になったんですよ。」
柳沢は涙声になりながら、なおも捲し立てる。
「鬱病で辞めるって伝えたあともお構いなしで残業押しつけてきて、体調崩して休んだ翌日あなたが私になって言ったか覚えてますか?『大袈裟なんだよ』ってそう言ったんですよ!」
(だってあれは、小沢さんが鬱病の診断書なんていくらでもでっちあげられるとか言うから、てっきり仮病なんだと思って……。)
心の中で言い訳を続ける本林をよそに、柳沢は堰を切ったように止まらない。
「やっと解放されたと思ったら今度は何?訃報だのお焼香だのふざけてるの?くだらないいたずらしてる暇あるなら謝罪の1つでもしにきなさいよ!あなた自分はまともな人間とか思ってそうだけど、あの職場の中じゃ一番陰湿で幼稚な卑怯者だから!」
そういうと、ガチャンという音とともに電話が切れた。
ツーツーという音だけが聞こえる受話器を持ったまま固まる本林は、すっかり混乱していた。
(柳沢さんは死んでない?じゃあ、なんであんな噂が……。違う、他の社員たちは誰も柳沢さんが自殺したなんて話してなかった。噂していたのは、私と小沢さんと……。)
「木村さん……?」
本林の口から自然とその名前が出た瞬間、首筋にカッターナイフがつきたてられた。
痛みから悲鳴をあげ、椅子から転げ落ちる。
うめき声をあげながら血が噴き出る首を押さえて見上げると、そこには無表情で自分を見下ろす木村がいた。
「ひどいですよー、本林さーん。」
表情を変えずに木村は話しかける。
「柳沢さんが鬱病で辞めたの、小沢さんと2人して私のせいにしましたよね?自分たちだって、楽しそうに憂さ晴らししてたくせに。」
話しながら近づいてくる木村から、息を荒げながら床を這いずって逃げようとする本林。
「おかげで私、同期のなかで孤立しちゃって。だから少し怖がらせてやろうと思ったんですけど、本林さんずっと、『私は関係ない』みたいな顔してるからムカついてー。小沢さん死んだらさすがに怖がるかと思ったんですけど、柳沢さんが死んでないことバレちゃったんですね。」
木村は落ちた受話器を一瞥して淡々と話し続ける。
「私就活全然上手くいかなくて、やっと受かったのがこの会社なんです。バレたら困るんですよ。」
完全に自分都合な言い分を話し終えると、カッターを思い切り振りあげた。
「いじめかっこ悪いよ!駄目!絶対!」
そう厚く語って、ハイボールをぐいっとあおるあいるん。
――中学時代思いだす。
――いじめはただの犯罪行為。
――いじめ加害者こそカウンセリング受けた方がいい。
「あぁー、海外だとそういう考え方らしいね。確かに、人をいじめて楽しむとかまともな精神状態じゃないかも。」
たこ焼きにタルタルソースをかけながらコメントに相槌を打つ。
――あいるんはいじめとか受けたことある?
――意外と暗い学生時代送ってそう笑
「余計なお世話だしー!まあ、少なくとも1軍ではなかったよね(笑)。ぼんやり過ごしてたからあんまり覚えてないけど。」
笑いながら反論し、たこ焼きを口に放り込む。
「じゃあ、今夜はこの辺で!皆ゾクゾクできたかな?おやすみー!」
配信を切ったあいるんは、おもむろにベッドの下から本を取り出した。
布製の表紙には箔付きされた文字で、「▼▼高等学校 卒業文集」と書かれている。
「懐かしー。」
慈しむような眼差しであいるんは卒業文集を眺めた。
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