第9話 他愛もない朝
闇が水で洗われるように光に押し流されていく。そんな光は木々の隙間を縫って、チャチェが寝ている部屋の窓にも届く。小鳥たちが朝を告げ、一日が始まる。
チャチェは、瞼を閉じていても感じる木漏れ日と、小鳥のさえずりで目を覚ます。ゆっくりと瞼をひらけば、そこに見えるのは見慣れぬ天井。どこだっけ……と考えを巡らせていると、扉をノックする音が聞こえる。
「チャチェ、起きていますか?」
ファルメルの優しい声が、ドア越しに届く。
「うん、起きる」
チャチェはベッドから起き上がり、眠い目を掛け布団を整え置いた。
「顔を洗って朝食にしましょう。部屋から出てきてもらえますか?」
「今行く」
少し急いで扉を開けると、先ほどの声と同じように優しい顔をしたファルメルが立っていた。
「おはよう、チャチェ。水場まで案内します。朝食を食べたら家全体を案内しますね、本当は昨日すべきだったのですが……」
「気にしてないよ」
申し訳なさそうに眉を下げるファルメルに、チャチェは表情を変えずに首を振る。
「ありがとう、チャチェは私の家族になったも同然ですから、遠慮せずに家でくつろいでくださいね」
にっこりという言葉が似合う顔で言われたチャチェは、不思議そうに首を傾げる。
「家族? 僕とファルメルに血縁は無いよ」
「私の弟子になってくれたのでしょう? それなら、家族と言っても過言でないくらい、大切な存在ですよ」
「そうなのか、そういうものなのか」
「そういうものですよ」
そう言うと、ファルメルは背を向けて歩き始めた。水場までの案内が始まったのであろう。タオルを手に、ゆっくりと歩みを進める。チャチェは歩きながら家の中を観察する。大きな家ではないが、綺麗に片付けられており、広く感じる。
文明は自分が元いた世界より進んでいないように思える。昨日の夜を照らしていた照明はガス灯のようだったし、暖房器具も暖炉以外見受けられなかった。科学の代わりに魔法や魔術が発展した世界なのかもしれない。そんなことを考えていると、目的地に着いたのかファルメルが立ち止まる。
「ここで顔を洗えますよ、隣の扉を開ければお風呂もあります。反対側はトイレ。水の使い方は分かりますか?」
「蛇口を捻るんじゃないの?」
「えぇ、蛇口を時計回りに捻れば、水が出てきます。この世界では井戸水が一般的ですから、分からない人もいるのです」
「じゃあ、この家の水道は、誰が引いたの?」
「水道を引く? 水は中に入っている魔石から生み出されているのですよ。魔石のマナが尽きると、こうかんします」
「水源から家に水の管を通す技術はないってこと?」
「とんでもない。井戸水だって手汲みしているのです。そのような技術はありません」
見かけの科学力と、実際の科学力の差に呆気に取られる。家の中に置いて安全なガス灯のような明かりや、手の込んだ料理が作れるキッチンが有るのだから、水道くらい有ると思っていたチャチェは固まっていたが、ふとある考えがよぎる。
「この家は魔法で便利になっているの? なら、今栄えてる魔術はそう言った生活の助けになっていないの?」
「この家の便利な物は、知り合いの魔法技師に作っていただきました。魔術にも似たような物はありますよ。ですが、どれも高価でなかなか普及していないのです。どれも魔石が必要になりますし、交換も必要ですから」
「そうなんだ……風呂に入る習慣とかもないの?」
「お風呂は、公衆浴場を使うのが一般的ですね。個人で風呂を持つことは、商人の間で成功の証とも言われているのですよ」
ここはかなり独特に、文明が進化を遂げた世界に来たのかもしれない。と思うのと同時に、自分が転移した先がファルメルのところでよかった、とも思う。ファルメルはもしかしたら、だいぶ位の高い人なのかもしれない。複雑な心境を抱いたチャチェは、とりあえず顔を洗う事にした。
「ありがとう、なんとなくこの世界の生活が分かったよ」
チャチェはタオルを受け取る。
「いえいえ、ちゃちぇはとても発展した世界からやってきたのですね」
「そうみたい」
「私は先に朝食を温めて来ますね」
バシャバシャ顔を洗うと、複雑な気持ちも洗い流されるような気分になった。自分の知識は、この世界ではかなり価値のあるものになる。基本的には使わない心持ちだが、必要とする場面も有るかもしれない。
出しどころを考えて使わなければ、魔女狩りにも発展するかもしれない。この世界に人間が居るかは知らないが、人間はいつだって人智を超えた存在を恐れ、それを排除することに余念が無い。
考えがまとまったわけではないが、そろそろファルメルが料理を温め直した頃合いだろう。濡れた顔をタオルで拭う。自分の知識については、ファルメルを交えて、改めて考えよう。
ひとまずの結論も出て頭もスッキリしたチャチェは、足はやにリビングへ向かう。ファルメルを待たせてしまっているかもしれない。
「ファルメル、おまたせ」
「顔を洗ってさっぱりしましたか?」
「うん、したよ。色々考えるべきことが増えたけど、とりあえずは放っておく事にした」
「そうですか、私でよければ何時でも頼ってくださいね」
テーブルには焼かれたパンとサラダとスープ、燻製肉と玉子のグリルが用意されていた。お互いに席に着くと、今日は暖かくなりそうですよ、なんて他愛もない話をしながら、食事を摂る。
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