第3話 マナと魔法の第一歩

 ファルメルは優しい顔を向け、チャチェの左手につけたブレスレットを触る。


「これは魔封じのブレスレット、いかなる力も外に漏らさない様抑えつけます。天使の力を収めた今、このブレスレットはチャチェ殿のマナを減少させています。自分のマナが見えますか?よく、目を凝らしてみてください」


 チャチェは左手を前に突き出し、手の周辺の空気を凝視する。すると、蒸気の様なものが揺らめいているのが分かる。


「蒸気の様なものが揺らいでる」

「そう、それがマナです。それを全く揺るがず、尚且つ今の十分の一くらいにまで抑えてもらいます。寝ていても、リラックスしていても、全く揺らがない状態を目指すところから始めましょう」


「理由を聞いても?」


「無駄な殺生をせずに済みます。ずば抜けた強者は目立ちますよね、目立つ冒険者は政治に利用されたり、政治介入していないにも関わらず戦争の火種になります。最悪の場合魔女狩りに遭い世界から追われる可能性もあります。そう言った面倒ごとを避けるためにも、普通の冒険者を装っていた方がいいと思いますよ」


「なるほど」


 チャチェが納得した様子を見て、ファルメルは内心ホッと胸を撫で下ろす。強大な力は善にも悪にもなりうる、ファルメルにとって、この子は、人間味が少なく、何を考えているか分からない人物だった。


 会って間もない自分の言葉を受け入れるかは賭けであったため、成功して安堵したのだ。


「納得していただけた様で良かったです。不必要な争いに巻き込まれない為にも、力を抑える修行は丁寧にやっていきましょう」


「分かった」


「一つお聞きしたいのですが、天使というものに寿命はありますか?本来なら想定されていない肉体に入っている様ですが、受肉した事で何か変化はありそうですか?」


「天使の寿命か……僕の世界の人間界では七五〇歳〜一ニ〇〇歳と言われているけど、実際に寿命で死んでいる天使は見た事ないかな、僕も死んでないし、受肉した結果ぼくにも寿命なるものが発生しているのかと言われると……分からない、初めてのことだから」


 その言葉に、ファルメルはふむ……と口元に手をやり、何か考るように動きを止めた。少し経ったあと顔を上げ、チャチェを見据えて、ある提案をした。


「では、チャチェ殿の寿命がおおよそ一ニ〇〇歳まで、もしくは無期限にあるとして、今入っている肉体も相応に持つと仮定しましょう。持たないかもしれませんが、持たなかった時より、持ってしまった時の方を対策すべきだと私は思います」


「衆目に晒されるから?」


「そうです。このソレイユ大陸には大まかに五種の人形種族が居ますが、短くて八〇年程〜長くて二千年生きる種族が混在しています。チャチェ殿の見た目は人間族に1番近いですが、彼らは八〇〜百年程しか生きられません。そこに老いも遅く寿命も長い人が現れたらどうでしょう?注目されると思いませんか」


「つまり、この大陸で一ニ〇〇年以上生きる種族に擬態すればいいんだね」


「そうなります。それがハイエルフ、私もハイエルフの一人なんですよ」


「失礼だけど、年齢を伺っても?」


「もうかれこれ一五〇〇年生きていますね」


「残りの時間で、僕の修行に付き合ってもいいのかい?」


 その言葉とともに、微かに揺れるチャチェの瞳をファルメルは見逃さなかった。彼自身が話してくれた境遇や経験を思い返し、この少年の瞳が酷く澄んでいて、感情を宿していないのは彼に心がないのではなく、自我を得てから間が無く心を育ててくれる人がいなかったからだと気がつく。


 なんと悲しい子だろう、ファルメルは自然とそう思った。そんな思いを悟られないよう、微笑み、優しくチャチェの手を取った。


「こんなに純粋で知識欲に溢れた弟子を取れて、何を嘆くことがありましょうか。私はね、嬉しいのですよ。自分の人生が終焉に向かおうとしている今、こんな素晴らしい子が自分の元にやって来てくれて。私がこの世界の生き方も、この世界ならではの知識もチャチェ殿にお教えしましょう」


「僕からしたら子は君の方なんだけどね、でもありがとう、これからよろしく」


  取られた手を握り返すと、チャチェも微かに微笑んだように見えた。とても些細な表情の変化で、注意深く見ないと分からないほどの微笑み。それを見たファルメルはより一層笑みを深いものにすると、チャチェの手に手を重ね、優しく話しかける。


「では、そろそろ私はお食事の用意をしますね。起きたばかりだからスープがいいでしょう。少し待っていてくださいね」


「食事?僕に食事は必要ないよ」


「肉体があるのなら、栄養を取らないと。それに、必要なくとも食事というのは心を豊かにしてくれますよ」


「心……」


 そう呟いて、何かを考えている様子のチャチェに、それでは待っていてくださいね、と言葉をかけると、ファルメルは扉の向こうへ姿を消した。


 チャチェは初めて聞いた言葉のように頭の中で心という言葉を反芻していた。自分が自我を目覚めさせるまで持っていなかったもの、それを豊かにするという食事。知識としては知っていた、生命あるものは皆、ものを食べて生きている、栄養を摂取するためだ。


 だがそれが心を豊かにする。心というものがどんなものか想像もつかない今の自分の心も豊かになるのだろうか、そう思いながら、食事を作られるのをただじっと待っていた。

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