THE ORION

黒羽感類

儀式

アカラスは、三ヶ月の息子を抱えながら妻の前を慎重に歩いていた。


神がいるという噂の山中、闇に溶け込むように黒いマントで体を包み、フードで顔を隠した。


それは妻のサキも同じことで、なるべく下を向き、尚且つアカラスから離れないようにしていた。


時折、サキは息子が目を覚ましていないかと心配になり、アカラスの腕の中でスヤスヤと眠っているのを確認すると安心したのだった。








夜も深くなり、初めて登る山は、薄気味悪さが増すばかりだ。


日が落ちて、この山を下り始めてから、一切の生物を見ていなかった。


この山では人や動物をはじめとした生き物は皆、眠っているのかもしれない。そうアカラスは感じた。


どこにも気配を感じない。アカラスは静かにサキへ語り始めた。








「この国の人間は原罪を恐れて、神話を信じていると思うか?」


サキは返事をせず、聞くに留まった。


「原罪はきっと事実だろう。でも誰もそれを考えながら生きちゃいないんだ。神話だけじゃない。魔法も現実に存在していて、それを扱える者もいる」


話の間も二人は確実に歩を進める。


「魔法という存在を信じるとか信じないとか、そういう話題すらない。だから原罪の有無は意識から消えていく」


「・・・」


「僕たちが原罪を知っていて、理解していて、それでももっと信じるものがあるから、神話を信じ、円環から抜け出すんだ」


「・・・」


「サキは失敗したけれど、僕は信じるよ。人は神話、物語と共にある」


サキは立ち止まり、アカラスの服を掴む。


アカラスは振り返り、サキを見つめ、肩に手を置く。


「わかってる。君の意志を残すと決めたんだ。全て上手くいく」


アカラスとサキは、朝日が昇る前に目的地へと着くため、速度を上げて山を下った。








途中、幾度か息子が目を覚まし泣きそうになった。


崖のような急斜面に行く手を阻まれるなど自然の脅威を感じながらも、静かに二人はその都度問題を解決して、目的地へと辿り着いた。


「着いたよ。サキ」


サキは木の影に隠れて視線を前へ向ける。


そこには大きな建物があった。


その見た目からサキは、アカラスと住む小さな村にある宮殿を思い出した。


息子をサキに預け、アカラスは一人麓の先にある建物に入り、人がいないことを確認するとサキへ建物の中に入るように手招きをした。


サキは息子を抱えたまま、建物の中へ入ってアカラスの後をついて行く。


建物の中は明かりがないため暗かった。


二人は暗闇に目が慣れていて困ることなく進むことができた。


建物の奥に行くと、扉があり、開くと廊下に繋がっていた。


廊下の両サイドには幾つか扉があったが、アカラスは見向きもせず廊下を進む。


廊下の突き当りには一つだけ両開きの扉があり、そこへ手をかけた。


「ここだ」


アカラスは扉を開け、アカラスと息子を抱いたサキは部屋に入った。


アカラスは言う。


「オリオンをここに」


アカラスは使命を背負ったような眼差しをしていた。






         ◇◇◇






キラノト村を東から出るとすぐにアフノスの森があって、入って少し歩くと三つに道が分かれている。


一番左の道のちょっとした傾斜を登るとキラノト村を見渡せる丘にでる。


十歳になったオリオンは、毎日ここで父と魔法の修行をしている。


青々とした草原にポツンとリンゴが一つ置いてある。


オリオンはリンゴから五メートル離れた場所からリンゴへ向かって両手を伸ばす。


当然届く筈はないが、父・アカラスは真剣な眼差しでそんなオリオンを見つめる。


「どうだ? 何か感じたか?」


「なにも感じないよ父さん」


「ならもう一度やってみろ」






オリオンは再びリンゴに向かって両手を伸ばした。


力んだ表情を見せるが何も起こらず、その場に座り込んでしまう。


「どうしたオリオン」


オリオンは俯いたまま首をふる。


アカラスはチッという舌打ちをした。


しかし、それは過ちだとすぐに気付き、訂正するように笑顔を取り繕った。


アカラスはオリオンの肩に手を置き、落ち着いた声で語り掛ける。


「オリオン。お前には才能があるんだ。諦めずに挑戦しよう」


「でも、一回も成功しないじゃないか」


「焦るな。真面目にやっていれば必ず…」


「別に俺は焦ってないよ」


「・・・そうか」


オリオンの言葉にアカラスは思う所があったがそれは飲み込んだ。


オリオンの表情を察するに気持ちが切れているように感じられたアカラスは、今日はこのまま続けても意味がないと考えた。






「オリオン。今日の分を村へ届けてくれ」


「わかった。先行ってるね」


アカラスはオリオンを先にキラノト村へ帰らせ、丘に一人残った。


父として師として。どうしても上手くいかない。


イラつきを感じながら風を体に受けて村を見渡す。


狭く貧しいだけの景色が広がる。


このままで良い筈がないとアカラスは思う。


なんとしてもオリオンを最高の魔法使い、いやそれ以上の存在に育て上げなければいけない。


しかし、アカラスは魔法使いではなかった。


魔法を使ったことも受けたこともないアカラスは、どのように教えればいいのかわからなかった。


唯一魔法のような力を見たのは、十年前のあの日だけ。






         ◇◇◇






アカラスと分かれたオリオンは、荷車いっぱいの草や花、木の枝を運んでいた。アフノスの森で採れる植物たちだ。


これらの植物は、村で薬草として用いられる。


アカラスとオリオンでキラノト村の薬草採取を担っており、その薬草を村唯一の調合師の元へ運ぶ。


オリオンは六歳の頃から毎日父と朝早く森に入り、夕方まで植物を採る。


その後は、丘へ出て魔法の修行をさせられていた。






オリオンには、何故自分が魔法の修行をしなければいけないのかがわからなかった。


そもそも父が魔法にこだわる理由もわからない。


何故、自分が魔法使いにならないといけないのか、何故自分に魔法使いとしての才能があると言うのか。


魔法の修行には正直嫌気がさしていた。


それは父への不満などではない。オリオンはその負の感情を父へと向けようとは思わなかった。


何故ならオリオンは父であるアカラスを尊敬していたからだ。


何よりも父のようになりたいと考えていた。






六歳の時、初めてオリオンが採取の仕事を手伝った。


お金もなく食料も少なく、若者も殆どいないこの村で他人のために生きることの大切さを教わった。


父は森に入って植物の採取をするだけが自分の仕事だとは考えていなかった。


村の近くをうろつく野生の動物の駆除をしたり、村の壊れた家を修理したり、病気の村人の看病をしたりと様々な村のための行動をしてきた。


父が言うように、他人のために生きようとオリオンは強く決心していた。


だからこそオリオンは魔法使いになる意味がわからなかった。


村のためを思えば、大工になることが正しいと思っていたからだ。


オリオンは将来大工になろうと考えていたのだ。








オリオンは荷車を引いて森を出て、二百メートル程先の村へと向かった。


途中、村へと二十メートルとない所で見知らぬ後ろ姿が見えた。


背が高く背筋もピンと伸び、その後ろ姿は気高く見えた。


オリオンはその後ろ姿に近付いていき、少し迷ったが話しかけることにした。


「なにしているの?」


するとその人は振り返った。

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