第3話

 翌日はあいにくの土砂降りで、狩りは中止となった。


 かわりに女性王族たちが豪華なお茶会を催し、カリーナ姫をもてなすことになった。

 だが、肝心の姫が体調不良で欠席と、姫の侍女がわたしの元へ告げに来た。

 わたしは侍女に尋ねた。


『それは心配ですね。カリーナ姫のお部屋に、お医者様をお連れしてもよろしいでしょうか?』

『いえ、結構です。今日はどなたにもお会いしたくないと仰せでした』

『まあ。では、お食事はお部屋に運ばせましょうか?』

『結構です。お構いなく』


 侍女は、ふいっと行ってしまった。


 わたしはあっけにとられてその後ろ姿を見送った。

 大事な王女様の具合が悪いのなら、医師を呼んでくれとあちらから頼んできそうなものなのに……それとも、この国の医療を信用していないとか?

 たしかに隣国の方が医療の面ではずっと進んでいるけれど。


 ともかく、わたしは女官長にこのことを伝えた。


「カリーナ姫が体調不良でお茶会を欠席、ですか? 医者もいらないと? それはそれは……」


 女官長はあからさまに眉をひそめた。

 うしろで聞いていた女官たちは目くばせし合い、ひそひそと囁き交わした。


「きっと仮病よ。女性だけのお茶会なんて行きたくないのでは? やはり美しい王太子殿下がいらっしゃらないと」

「そうよねえ。ジョゼット様は王太子殿下のお気に入りだと、隣国でまで噂になっているそうだし。カリーナ姫はお嫁入りの下見にいらしたのに、殿下ではなくそんな方とお茶なんて、ねえ?」


 ぎろりと女官長が部下たちをにらむと、噂話はぴたりと止んで静かになった。

 女官長がわたしを振りかえる。


「お伝えいただきありがとうございました。ジョゼット様も、今日は自由になさってくださいませ」

「……わかりました。失礼いたします」


 わたしは顔色を変えずに女官の控え室を出たが、内心では滝のような汗をかいていた。


 隣国で、わたしが王太子殿下のお気に入りだと噂になっている?


 それは本当なのかしら?

 もしそうなら、カリーナ姫がわたしを気に入らないのは当然だ。

 お兄様の元へお嫁に来るつもりなら、そのお兄様が大事にしている女など、この上なく邪魔な存在だろう。

 地味な格好だから姫ににらまれていたのかも、なんて、とんでもなくおめでたい考えだったということになる。


 ふと、廊下の鏡に映った自分の姿に目を留めた。

 胸元には、お兄様からいただいた銀のペンダントが光っている。


 聡明で万事にそつのないお兄様が、その噂話を知らないはずがなかった。

 だがそれなら、このペンダントをわたしに贈った理由はなんだろう。

 お兄様のことだから、何か深いお考えがあってのことなのだろうけれど。


 わたしは正殿を出て、王太子の宮殿へ向かった。

 この雨だから、狩りは中止だとすでに参加者全員に知らせが出ている。


 お兄様は執務室で仕事をしているようだった。

 扉の前にわたしの知らない近衛騎士が立ち、護衛をしている。

 リシャールだったら手紙を託そうと思っていたのだけれど、さすがに初対面の相手には頼みづらい。

 近衛騎士はわたしに敬礼をすると、笑顔を見せた。


「姫様、殿下に何かご用でしょうか?」

「あ、いいえ。なんでもありません。お仕事ご苦労さまです」


 再度びしっと敬礼をされ、わたしはぴんと背筋を伸ばして通り過ぎた。

 リシャールの愛想のカケラもない対応に慣れているので、近衛騎士からあんな風に丁寧に扱われると、なんだか調子が狂う。


 そのリシャールは休憩中のようで、探し回ると、宮殿の談話室に他の騎士たちと一緒にいた。

 広い談話室には女官たちや宮廷官吏などもいて、それぞれがくつろいでいる。

 わたしは騎士たちの一団に近づき、声をかけた。


「お話し中ごめんなさい。リシャール、ちょっといいかしら?」

「姫様」


 リシャールは嫌そうな顔をするまいと努力しているように見えた。

 他の騎士たちはわたしを見ると姿勢を正し、軽く会釈をした。

 わたしも小さくドレスのスカートをつまんで挨拶をする。


 リシャールはすぐさまわたしを談話室の反対側の隅に連れていった。

 はぁ、と小さなため息をつきながら。

 彼は腕組みをしてわたしを見下ろし、尋ねた。


「何のご用ですか」

「この手紙をお兄様に渡してほしいの」

「お断りします」


 わたしが手紙を出したとたん、にべもなく断られる。

 清々しいまでの塩対応だ。


「ど、どうして?」

「今は非番なので」

「あの、それならあとであなたに渡せばいいかしら」

「お断りします」


 二度目だ。

 少しは仲良くなれたと思っていたのに、ひどくないだろうか。


「リシャール、そんなこと言わないで……」

「あなたも私になど言わず、直接ご本人にお伝えしたらいかがですか。その方が私が迷惑を被らず……いえ、あの方がお喜びになるかと」


 途中は早口で聞き取れなかったけれど、とにかく、彼には手紙を届ける気がないことだけはよくわかった。

 でも、リシャールの言う通りにお兄様に会いに行けば、噂話に拍車をかけてしまう気がする。


「……休憩中に邪魔をしてごめんなさい」


 受け取ってもらえなかった手紙を握りしめ、わたしは談話室を出た。



 ***



 通訳兼案内係という仕事もなくなり、せっかく書いた手紙も渡せなかったわたしは、雨の中とぼとぼと離宮の方へ歩いていた。

 傘を差してくれる侍女も連れていないので、一人で雨に濡れながら。

 

 せめてカリーナ姫のお見舞いに行こうと思ったのだが、具合が悪いのに異国の姫が濡れそぼった姿で現れたら、よけいに悪化させてしまいそうだ。

 こちらには、ただでさえ半分平民という負い目があるのだ。やはり出直した方がいいかもしれない。

 離宮の近くでそんな風に思案していたら、当のカリーナ姫を見かけた。


 あちらは侍女を連れているが、なぜか傘も差さず、人目を忍ぶように植木の陰をこそこそと移動している。


「どうしたのかしら?」


 何かお困りなのだろうかと、近づいて声をかけた。


『カリーナ姫、いかがいたしましたか?』

『きゃっ!』


 姫はビクッと震え、わたしを振りかえると大きく目を見開いた。


『あ、あなたは……ジョゼット姫? こんなところで何をなさっているの?』


 それはこちらのセリフだ。

 カリーナ姫の美しい赤毛は雨に濡れ、雫を垂らしている。

 けれども赤茶色の瞳はきらきらと輝き、白い頬は上気して、目を瞠るような美しさだった。

 侍女はこれまでと同じように、何も言わず控えめに姫の後ろに侍っている。


『わたしは自分の部屋へ戻るところです。カリーナ姫はどちらへ?』


 再度質問をしたわたしに、カリーナ姫は鋭い視線を向けた。


『散歩をしているのです』

『このような雨の中、傘も差さずに?』

『放っておいてください』

『……差し出がましいようですが、もし何かお困りでしたら、わたしでよければお力になりたいです。カリーナ姫は、わたしたちの大切なお客様なのですから』


 他国の宮廷で、雨の中を濡れながらさまよっているのだ。よほどの事情があるのだろう。

 そう思って口にした言葉に、カリーナ姫はしばし逡巡していた。

 そして、すがるようにわたしを見た。


『…………わたくしを助けてくださいますか、ジョゼット姫?』


 わたしはにっこりほほえんだ。


『ええ、喜んで』

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