推しの夢を見たら寝ろ
みとけん
切り抜きエピソード
【切り抜きエピソード】不人気Vtuber・綺之りんり
このエピソードは第1話~第3話を切り抜き・編集した内容になります。
試し読みなどの際にお読みください。
***
第30話 偽物の楽園
りんりを両腕に抱えて長い廊下を全力で走っている。足が地面に付く度に、彼女の首が僕の胸元でゆらゆらと揺れていた。いわゆるお姫様だっこというやつで、走りにくいんだけど彼女の腹に刺さったブレードが抜けない以上こう運ぶしかないのだ。
既に意識が微睡み始めている様子の彼女が、僕の顎の下で目を瞬かせる。
「真島さん……? 今、何処に……?」
「敵がいたところに戻ろうとしているんだっ。エレベーターの下に……」腕からずり落ち始めたりんりの体を、うんしょと抱え直す。「君が敵にやられたら、どこかのチェックポイントでリスポーンする筈さ。それで、君の異常が直るかもしれない」
言いながら、希望的な観測であるとも思う。サイバーダンスのゲームオーバーで確認している事象は、今のところプレイヤーの座標の変化でしかない。プレイヤーのアバターが再読み込みされる保証は全くないのだ。
「い……いけません。真島さん……」腕の中のりんりが、力なく僕の首に腕を回した。「そんなことをしたら、またここまで戻ってくるのが……大変です! また、ボスが出てきちゃうかも……」
「構うもんか。苦しんでいる君をただ眺めているよりマシさ」
「…………」
長い廊下の突き当たりに辿り着いて、角を曲がる。ここからもまだエレベーターシャフトまでは長い道のりが続いているのだ。
……待てよ? りんりを抱えた状態でエレベーターシャフトを降りられるのか?
いや。ひょっとしたら、僕が見逃していただけで階下へ降りる階段があるのかもしれない。それに、エレベーターシャフトの闇の中に落ちるだけでもゲームオーバーが発生する可能性はあるじゃないか。
「……真島さん」
「何!?」
「LRって……素晴らしい技術です……」
廊下を走りながら、薄らと開いた彼女の目を凝視した。
「私みたいな……出来損ないのVtuberでも、真島さんみたいな人と触れ合える……」
「そんな話、わざわざ今しなくたって良いだろう」
「私、この……世界に来て。は……、少しだけ、本当に……なれた気がしていたんです。本物に……」
僕はさっき通り抜けてきたエレベーターの前で立ち止まった。来たときは開いていたのに、扉が閉まっている。
りんりを廊下の片隅に横たわせて、隙間に張り付くように全身全霊で開こうとするがびくともしない。……最早、マップの背景と化してしまっているのか。
「ここからじゃ敵が湧いていた所に戻れない」行く当てもなくその場を足踏みするように歩き回る。「こうなったら、もうコンソールから中断するしかないのか……? くそっ」
「真島さん」
それまでぼやっとしていた彼女の声色が、突如本来のキレを取り戻したので思わず振り向いた。廊下の壁に身を預けながら、強い目線で僕を見つめている。
「あなたに……、LRを直すことが出来るなら、お願いします。この世界を、無かったことにはしないでください」
「何を言っているんだ、君は」
「この世界は、……多分本物に、なれない人たちを救うから……」
次の瞬間、彼女が廊下に頽れると共に姿が見えなくなった。
――彼女が、消えたんだ。跡形もなく、何の痕跡も残さず。
***
第1話 目覚めのこんりんり
「あの……大丈夫ですか?」
「あ、あえっ」突然話しかけられて、喉はますます麻痺したようだった。しかし、彼女の声を聞いて喉が声の出し方を思い出したらしい。思わず「綺之、
りんり……」と口にする。
ひょっ、と視界の中心に立っていた彼女が驚いたように体を引いた。
「えっ? 私の名前!」
と、彼女が動揺した途端。また異変が起こった。
目の前の彼女の顔が一瞬ぼやけて、次の瞬間には、彼女の見てくれは周囲の現実的な人間とそう違わないものに変化している!
まず、分かりやすい変化が顔。トンボみたいな瞳はパッチリとした二重になっていて、全体的に顔が小さく、現実的になったようだ。それに続いて衣装……カーディガンの表面に毛玉、ブレザーは肘の辺りが少してらてらとしている。体……顔が小さくなったことに合わせて、七頭身くらいになっただろうか。スカートの丈も太ももから膝の少し上くらいまで伸びている。
何が起こったんだ?
よく分からないが、目の前の綺之りんりが、本当の人間みたいになってしまった。唯一残った二次元的な部分は瞳の色と――グラデーションの髪色。
こうなると、ちょっと派手めのオドオドとした少女という印象だ。
「……もしかして、私の配信見てくれてるんですか?」
少女が、上目遣いに、少し照れたような顔で聞いてくる。
「あっ。うん。まあ」
「あ! ありがとうございまーす! へへ……」
当たり前のように後頭部を掻いて照れるので、こっちが面食らってしまった。
「……え? 本当に、綺之りんり、さん?」
「あ、はい」
「……」
「……」
お互い口端を機械的に持ち上げたまま見つめ合った。周囲では相変わらず話し声と靴がアスファルトを擦る音が絶え間ない。
「あっ、あっ」と、突然綺之りんりがあたふたした。――と思ったら、右手の人差し指をくるりと回して、「彗星高校二年! 図書委員長の綺之りんりです! こーんりーんり-!」
最近はすっかりご無沙汰になった挨拶に、おお、と思わず身を引いてしまう。そんな様子を見てか、人差し指を立てたままの彼女の笑顔が引きつった。
そのまま静止している彼女を前にしていると、何も悪いことをしていないのに申し訳ない気分になってくるじゃないか。そうこうしている間にも、僕と綺之りんりの間に流れる空気は凄惨になっていくようだった。
「こ、こんりんり」
挨拶を返すと、彼女はあからさまにほっとした表情を浮かべてポーズを止めた。
少し照れくさそうに、喉元を「んっんっ」と鳴らしてから、言う。
「あの……それで、私たちを助けに来てくれたんですよね?」
「え?」
***
第5話 行き着く先は孤独死?
「すると、君たちは現実世界で十日間は眠ったままってことになるのか!」
「はい。だけど、私たちはテスト用の施設から参加しているので、取りあえず衰弱死するようなことはないと思うんです。ただ……」りんりは、心配そうに一階へ続く階段を見やる。「シモッチさんみたいな一線級の配信者にとって、十日間も配信を空けるのは深刻な影響があるんですよ。だからあの人も、初めのうちは凄く真剣にこの世界から出る方法を探していたんですけど――」
僕は、半ば呆れつつ話を聞いていた。十日間の昏睡状態だぞ? そんな時に、自分の生命よりも配信活動の心配をするなんて、お気楽なのか達観しているのかよく分からない連中だ。
とはいえ、命に関してなら心配することはないかも。昏睡しているということは、体は休眠状態にあるということだ。寝ている人間に栄養を補給する方法なんていくらでもあるだろう。排泄の問題も、まあなんとかなるんじゃないかな。
……待てよ?
僕にはこの世界に入ってきたときの記憶が無い。ただし、僕が何の変哲も無い独身男性だったということは不承不承ながら憶えている。
ここで問題になるのが、今、昏睡している僕の異常に気付く他人がいるのだろうか、ということだ。
失われた記憶の僕がLR機器を使ったのは間違いない。ただし、りんり達と同じ状況であると誰が保証できる? それこそ、部屋で一人の状況で、これから十日間もの期間寝たままとなると……。
「じゃあ僕は……餓死してしまうかもしれないじゃないか! うわっ……わあぁぁっ!」
吞気に夢の中でコーヒーを飲んでいる場合じゃない! 僕こそ今すぐこの世界から脱出する手段を探さなければいけないんだ! どうする!? コンソールのコマンドは利かなかった! だとしたら、他に強制終了する手段は!?
「お、落ち着いてください! 落ち着いて! 真島さん!」
「落ち着いてなんかいられないよ! だって僕は――うわああっ!!」
いても経ってもいられず、どこかへ走り出そうとした僕の腕をりんりが引っ張る。
「大丈夫なんです!」
力強く、慈愛に満ちた声色でりんりが言った。
「良いですか、真島さんは、大丈夫なんです。だから落ち着いて。ね?」
彼女の優しげな微笑みに、恐慌しかけた僕の精神が幾らか宥められたようだ。
いつも作業中に聞き流している筈なのに、いざ直接話しかけられてみるとこんなに人を落ち着かせる声色をしていたのかと驚く。
「う――はあ、はあ、……何で?」
「……それは、ほら……とにかく、大丈夫って気がしてきませんか?」
聖母のような顔で滅茶苦茶適当なことを言い出すから、いっぺんに青褪めてしまった。
「ひゃああぁっ!」
そうだ! 夢から覚めるなら痛みだ! 頬を抓って駄目なら――僕は食堂の柱に全力で頭突きした。
目覚めない。
「うわあああっ!!」連続して頭をぶつけると、痛みはないのに視界がぐちゃぐちゃになってきた。混沌な世界が、ますます僕をパニックの沼に引きずり込んでくる。「死、死ぬ!! 孤独死……!」
「あっ! あー! 待って待って! 今思い出した! 大丈夫ですよ、真島さん! よく考えたら大丈夫でした!」
「ああ!?」
「良いですか? LR機器の製品版はまだ存在しないんです! 今回の参加者に配られた分のプロトタイプしかないんですよ!」
「ぷっ――」ドスンと頭突きで視界を揺らしてから、ようやくりんりの言っている言葉が頭に入ってきた。「プロトタイプ?」
「そうなんです。まだLR機器は市場に出回っていない、開発会社がテスト用に準備してるプロトタイプしかないんです! だから、真島さんも私たちと同じベータテスターのはずなんですう!」
柱に頭から凭れて、乱れた息を落ち着ける努力をした。夢の中でも、興奮すれば息を切らすのか。なるほど……。
「り、りんりさん、さあ」
「は、はい」
「次は、よく考えてから人を宥めてね」
「はい……」
***
第14話 卓球大会
それからりんりが現れるまではあまり間が空かなかった――とは言っても、ここには時計というものが存在しない。僕の周りを漂っているコンソールでさえ表示しないのだ。これは一体どういう意図なのだろう?――とはいえ、現実の時間なんてものは、この場所では些細な事項なのかもしれないな。
「真島さーん!」
りんりはゲートを発走した馬の如く、真っ直ぐ僕の元に走り寄ってきた。
「卓球勝負! 私がいっちばんで-す! ブイブイッ」
両手で作ったVサインを僕の背中にぶつけてくる。続いて、のろのろと疲れ切った下川、ニヤニヤと笑っている茜がゲートをくぐり抜けてきた。
下川は……顔を真っ赤にしてりんりの後頭部を睨み付けているな。
この様子を見るに、りんりと下川の卓球勝負は大方予想通りの結果で終わったようだ。そして、下川はますますVtuber嫌悪を深めたに違いない。
「いやー。りんりちゃんが可愛い顔でえげつないサーブしてさ、シモッチは全然返せないの。『シモッチのホームランダービー』って感じ。ウケたわ」
「うるせえ」
下川が鬱陶しそうに言って、ポケットから取り出した煙草を口に咥えた――が、唇でピョコピョコと上下させると、火を点けないまま床に放った。
「それより真島。終わったんだろうな、お前の作業」
「ええ。取りあえずは」僕はカウンターに手をついて溜息を吐いた。これほど頭を使わされるデバッグは、今までの人生経験でも中々無い。「……今すぐ報告しろ、なんて言わないでくださいよ」
「あん?」
「僕は今、死ぬ程腹が減っているんです。まやかしだと分かっていても、何か食べたくてたまらないんですよ」
「私も……」と、りんりが腹を摩って照れたような笑みを浮かべた。
***
第19話 第二のバグ、異次元の色彩
大きく息を吸って、ゆっくり吐く。
「はっ」
慌てて周囲を見回し、異次元の色彩が漂っていないかを探した。
――ない。あの不気味な靄は消え失せている。
「……真島さん」
ついでに、僕の隣で同じように尻をついていたりんりの顔が目に入った。
「りんり……りんり!」
「真島さん!」
僕らはとりもなおさず抱きしめ合う。淫靡な意味ではなく、この世界でも人肌の温かさは存在したのだ。ただ、僕の肩で息を吐いている彼女の存在が今は当たり前にある幸せだった。
***
第20話 素性を明かすチュートリアル
「どうして銃のコツなんて知ってるの? 君、あまりFPSはやらないよね」
「毎年行ってる家族旅行で海外行くんですけど、毎回シューティングレンジ行くんですよね。パパがこういうの好きで」
「……」
「あっ!! すいません!! 私、Vtuberなのにリアルの話……!」
「いや、それは気にしないけど。家族仲の良さに驚いてさ」
背後で支えてくれていたりんりが自分のレンジに戻る。それから少し練習して、取りあえずりんりの支えなしでも弾を当てることができるようになってきた。
「……真島さんは、私がリアルの話をしてもガッカリしないんですか?」
射撃とリロードと、幾つかのアクションを練習している間に彼女が聞いてきた。このチュートリアルはカウンター横のボタンを押せばいつでも止められるのである。
「普通はガッカリするものなのかな」
「人に寄りますけど、ガッカリする人の方が多いかも。……まあ、私はそもそもファンが少ないんですけどね。はあ……」
「いや、別に君のファンじゃないと言うつもりはないんだけど。単純に、君以外の配信者を見てないから知らないんだよ、そういうの。逆に聞くけど、りんりはリアルの話とかしたくならないの?」
「……したいですよう」
「したいんだ……」
***
第25話 女優になれなかったあの人
りんりは一度言葉を止めて、何もない宙を見上げた。迷っているのだろうか……彼女が話そうとしているのはVtuber綺之りんりではなく、その中の彼女自身のことなのである。
彼女らVtuberは2D、もしくは3Dのキャラクターだが、勿論現実に生きる人間がキャラクターの口が動くに合わせて話をする、仮想の配信者だ。
そこら辺の如何ともしがたい中の人事情に彼女らがどう折り合いを着けるのかはまさしく多様である。僕はりんりのことしか知らないが、彼女のように設定に忠実に振る舞う人もいるし、反面、設定を無視して普通の配信者のように振る舞う人もいる……らしい。
まあ、僕は特に拘りを持っていないんだけど。あくまで気にする人がいるという話だ。
「設定のことなら僕は気にしないから、続けていいよ」
「――いえ、そこを気にしているわけではないんです。真島さんが気にしないことは分かっていますから」廊下を挟んで向かいの壁に凭れているりんりが、ころりと顔を向けた。「ただ、この話は少し込み入っているというか……ぶっちゃけ、事務所の内部情報が入ってるので。どう話したものかな、と」
「ゆっくりで良い」僕は頭をちょろっと出して、まだまだ銃を構えている敵キャラがいることを確認した。やっぱり、ホテルに入ってから暫くは撃ち合うことになりそうだ。「もう何度リトライしたか分からないしね。こうなったらいっそ気長に行こう」
「ですねえ……」
ふうー、と彼女は息を吐いた。
「演劇は大学に入っても続けていたんです。何か、自分じゃない役割を演じるっていうのが好きで――生きがいでした。リアルの友達の誰にも言わなかったけど、本気で女優になれたら良いなって思ってたんです。授業の終わりに、オーディションとか行ったりして……」
「君が、女優を?」
「そうなんです」と、こちらにはにかんだ顔を見せた。それから俯いて、僕の視界からは髪の毛が彼女の表情を覆ってしまう。「まあ、結局駄目だったんですけどね。はは」
*
「私たち、本当に現実に戻れるのかなあ」と、隣を歩くりんりが肩を落とした。「下川さんたちの方は、何か見つかってると良いんですけど」
「収穫無しというわけでもないさ。綺之りんり誕生秘話が聞けたことだし」
「ああ……はは。でも、あの話は綺之りんり誕生秘話というより、私の失敗談」
「ん?」彼女の顔を見ると、笑ってはいるが翳りが差している気がした。「オーディションに受かったんじゃないか。それのどこが失敗なの?」
「受かるまでは良かったんですけど、受かってからおかしなことになっちゃって」
そこで、彼女は首の後ろを手で擦った。気まずそうな顔だった。
「結果的に私の考えた私のキャラクターは、受け入れられない――ということになったのです。……いいえ、詳しく言うともう少し悪いかな。簡単に言えば、別の方が私のキャラクターとしてデビューすることになりました」
僕は一瞬足を止めて、群青色の前髪の奥にある彼女の表情を注視しようとした。が、彼女が髪を靡かせたので歪んだ口角を垣間見るのみとなった。
「どういうことなんだ?」
「そのまんまですよ。私は別の名前、別のキャラクターでデビューする筈だった。……それを、他の人に奪われた――という言い方は良くないんですけど、そういうことです。でも既に事務所に所属している身でしたから、代わりに与えられたのが『綺之りんり』というキャラクターだった、ですね」
「そんなことが、あり得るのか?……いや、あって良いものなのか……?」
想像していたよりも随分生々しい話で、思わず独り言のように呟いてしまった。彼女からの返答はない。
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