第6区間
第26話
翌朝。
「ぐうぅーーーっ、良く寝た~!」
大きく伸びをして、ノーラは元気に起床する。
と、隣のベッドにタビトの姿が見えない。
「おや、タビトくんは何処へ?」
そう思いながら彼女は身支度を整え、彼を探そうと個室から出た。
すると。
そこにタビトがいた。
そして向かいの席には、長身痩躯で濃いクマがある上に目つきの悪い、どう見ても一般人ではないであろう雰囲気を漂わせている男が掛けていた。猫背気味で肩までの長さの髪はぼさぼさで、白衣のような服を着ている。闇医者の類か、もしくは悪の科学者か、といった外見である。
「あ、ノーラさん、おは」
「タビトくんっ!一体何が!?怖い人に目を付けられたの!?け、警察にっ!!」
「ちょっ!?」
部屋から飛び出していこうとするノーラの服を掴み、タビトは彼女を引き留めた。
かくかくしかじか、彼は事の経緯を説明する。
「大っっっっ変ッ、申し訳ございませんでしたぁっ!!!」
がぁんっとノーラは机に頭突きを食らわした。
机の上に置かれていた分厚い本が一瞬宙に浮かぶ。
「いえ、慣れておりますので」
低く重い、落ち着いているというよりもジットリと沈むような声だ。見た目は恐ろしい男だが、今日の向かいの住人は理知的な人物である様子。それは彼の前に広げられた何冊かの分厚い本からも読み取れる。
「ノーラさん、早とちりは良くないですよ」
「いやー、あはは……」
注意されてノーラは頭を掻いた。
「そういう貴方も、部屋にワタシが入って来た時に悲鳴を上げませんでしたか?」
「うっ!僕、ちゃんと謝ったじゃないですか~、ドクレイさ~ん」
痛い所を突かれてタビトは焦る。そんな彼の事を、ジトリとした目で彼女が見ていた。タビトはそっと目を逸らすものの、ノーラは回り込んでまで目を合わせようと頑張る。
漫才のような二人の戦いにドクレイと呼ばれた男は、ふ、と笑った。
「仲が良いというのは、実に素晴らしい事だ」
タビトよりも十歳年上の彼は、若者たちの様を喜ぶ。なかなかどうして、人間とは時に争い、時に諍い、そして仲違いするのだ。それによって敵対したり、永遠に交わらない平行線となる事もある。それを思えば、タビトとノーラの様に出来るのは得難い事なのだ。
一頻りバトルをして、勝者となったノーラは満足そうに席に着く。
「ドクレイさんは何を読んでるんです?」
「これですか?医学書です」
「うわ、めちゃめちゃ難しい事で一杯っ」
彼に差し出された本を見てみるとそれは、普段の生活では使わない専門用語がひしめき合っている難解な文章で埋め尽くされていた。時折出てくる絵も楽しい物ではなく、人体の解剖図などだ。
「という事は、お医者さん?」
「ええ。流しで医者をしております」
通常、医者は
「という事は、
「ええ。少々、軍病院で問題が起きておりましたので」
「軍病院で?」
つい昨日軍人と一緒だった事もあり、軍という物が少しだけ身近になっていた二人。そんな組織の施設での出来事、気にならないわけがない。
「本当ならば守秘義務がありますが……まあ、大した事でもありませんし、お話しても構わないでしょう」
医者は肩をすくめて話を始める。
「簡単に言うならば軍病院の医師、看護師、患者に集団感染が起きたのです」
「えっ、それかなり大変な事なんじゃ……」
「ええ、まあ。ただ原因の究明と対応はすぐに完了しましたので、感染の規模は
「おお~。その対応とかに協力したんですね」
タビトの言葉にドクレイは首を横に振った。
「協力したのではなく、ほぼ全てを行ったのです」
「えっ!?他のお医者さんは……?」
「ほぼ全滅です。というよりも、そうでなければ町に滞在している流しのワタシに声はかかりません。軍は基本的には閉鎖的なものですからね」
ふぅと溜め息を吐く。どうやら彼は相当な仕事をやり遂げたようだ。
「そこまで被害が大きいって、一体どんなビョーキだったんです?」
「頭痛、発熱、嘔吐、下痢等々。おそらくは食あたりの類。取り敢えず感染者の隔離と無事な職員への指示、そして徹底的な清掃を実行しました。一先ずはそれで新規の感染者が出なくなりました」
トン、トン、とドクレイは机を指で突く。一気に全てを解決する事など出来はしない、まずは現状への対処から始めたのだ。そしてそれがひと段落したならば次の段階へ。
「取り敢えずの対処を済ませ、次は原因の究明を」
「そういうのって大変だって聞いた事がありますけど、どうやったんですか?」
「最初の発症者を探したのですよ、まあ今回は簡単に見つかりましたが」
そう言って彼は肩をすくめ、深いため息と共に首を横に振った。
「えーっと、どなたで?」
「軍病院の院長、副院長、それと看護師長です」
「うわぁお、偉い人ばっかり」
真っ先に指揮官が纏めて戦死。そうなった場合に組織が混乱するのは当たり前だ。しかしそれでも、普通の対応が出来ていたならば医師全滅等という状況にはならない。
「続いて医師、看護師が次々と倒れ、次第に患者にも感染が広がっていった。どうやら頂点が崩れた翌日には院内が崩壊状態になっていたようで」
「と、とんでもない事になってたんですね」
「いや本当に。ワタシがいなかったらどうなっていたのでしょうね」
ドクレイの奮闘で死者は出なかったが、もし彼がいなければ病院内は地獄絵図となっていたのだろう。
「感染源は院長以下、医師や看護師だとすぐに分かりました。そして聞き取りをしたところ……」
「どうなったの……?」
「医師と看護師の宴会が行われていたのです。無事だった医師や看護師は当直勤務で参加していなかった者だけでした。比較的若手が多く、それゆえに残存した者だけでは有効な対応が出来なかった」
最後の頼みの綱だったのが当直勤務をしていた年長の医師。しかし真っ先に対応を始めた彼もその最中に感染してしまい、翌日にはベッドの上に倒れる事となってしまった。残った医師は成りたての若者だけである。
「ですが一つだけ良い事が。当直勤務をしていた看護師は
臨時の指揮官となったドクレイに対して、優秀な前線部隊として動いてくれたのが看護師たち。まだまだ未熟な医師はむしろ看護師たちに協力する形での行動となり、結果としてそれが最善手となったのだ。
「まるで戦場だぁ……」
「言い得て妙ですね、その通り。医療の現場は常在戦場、気を抜けば死が迫るのです。ただし戦場とは異なり、死するのは自分ではなく患者ですが」
そう言って医師ドクレイは医学書を閉じる。
「お疲れさまでした」
「まあ疲れはしましたが勉強する事も多い出来事でした」
タビトに労われ、彼は経験を噛みしめるようにして一つ頷いた。
がしかし、すぐに考え込んだ。
「ただ一つだけ気がかりと言いますか、解決していない事が」
「え?全部バッチリ解決してない?」
「いえいえ、ありますよ、残された問題が。第一の感染源は何なのか、です」
そう言って、医師は腕を組む。
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