第4話【ターニングポイント】
「・・・というわけで、なんとか住むところや仕事を探しているところなんだが、こんな身分じゃ簡単にはいいところは見つからんし・・・それに、昨日まではよかったがさすがに今夜は寒くて、とりあえず寒さをしのげる寝る場所が欲しくてな・・・一昨日も声かけてもらったんだし甘えることにしよう、と思って来たわけさ・・・。ざっとこんなところだが、まだ何か話さなきゃいけないこと、あるかな?。」
俺がそう聞くと、マスターさんは次のように言った。
「ああ、・・・名前を聞いてなかったね。私は藤田。この喫茶店のマスターの、藤田敬。よろしく。」
と言いながらごく自然に俺の目の前に右手を差し出してきた。俺が言うより先に自己紹介してくれた。俺も自己紹介を忘れていたのに気付き、
「お、そうだったな、俺は田村圭一郎。27歳。だ。」
と言いながらその右手を握り返した。答えた。握手を終えた後、藤田さんは
「大変な人生だったんだね・・・。」
と言ってきた。
「まあ・・・な・・・。」
俺はそう答えるほかなかった。すると、藤田さんはいともあっさりと
「わかった。寝泊まりは構わない。」
と言ってくれた。まさかの言葉だった。捨てる神あらば拾う神あり、だ。
「だが、こんな店内でね、ベッドになるような椅子はないんだ。」
と藤田さんは申し訳なさそうに言った。なにも気にするようなことじゃないので俺は
「それは心配ご無用。生まれつきどんな場所でも寝れるんだ。それに、刑務所の狭い独房や固く冷たいベッドに比べりゃ、ここは天国だ。」
と言った。すると、藤田さんは立ち上がり、俺に店内の設備を見せながら
「手洗いは奥のほうにあるから、それを使えばいいよ。」
と言ってきた。
「ありがとう。感謝する。」
「じゃ、このあと売り上げの締めと確認を終わらせたら私は家に帰るけど・・・、明日日曜日は午前9時半にはまた準備のために来るから。」
藤田さんはそう言って売り上げの計算を始めた。
その姿を横目に見て、俺は改めて藤田さんの心の大きさに感謝するとともに、今、この時代にこのような人がいたんだ、と驚いた。俺は罪を犯した人間だというのに、そんな俺をまるで我が子のように包み込む優しさを持った人・・・まさに聖母マリア様みたいじゃないか、と驚くとともに、この喫茶店に来てよかった、と実感した。
翌朝、6時には起きて手洗い場で顔を洗い、コンビニで買っておいた歯磨き粉と歯ブラシで歯を磨いた。鏡を見た。無精ひげが伸びてきていた。まあ、いいか。
藤田さんがやって来る9時半までには出よう。今日の予定はあらためて不動産探しだ。だが、この町に来てすでに3日目だ。この3日目に見つけられなかったらこの町に拘るのもあきらめよう・・・。
結局どの不動産会社も即入居できる物件でおひとり様向けの安い物件は持ち合わせていない、とのことだった。
「・・・1カ月くらい待ってくれたらもしかするとご希望の物件で空きも出てくるかもしれませんけど、どうされますか?。・・・他の2DKなど少し上のグレードなら即入居できる物件もあるんですけどねぇ」
とも言われたが、断った。1カ月なんて、とても待てないし、銀行に蓄えがあるとはいえ今の身分じゃ家賃は6万円が限界だ。その不動産屋で提案された物件の家賃は7万円以上だった・・・。
結局、その夜も喫茶ジータで寝泊まりすることになった。4日目以降は別の町へ行こう・・・と心に決めていた。
そして、寝泊まりさせてもらったせめてものお礼に、と掃除をしていた。そして、無理言って泊めさせてもらったお礼と別れの言葉を言おう、掃除が終わったら挨拶をしよう、と心に決めて掃除に集中した。刑務所にいたわずか3カ月足らずの期間ではあるが監視員の元徹底的に掃除の仕方を叩きこまれた。その掃除の手法を生かせる場だ。世話になった喫茶ジータに感謝の気持ちを込めて、掃除を続けていた。と、そのとき藤田さんから
「うん、そうだ。君・・・田村君、ここで働かないか?。」
と唐突に言われた。俺は掃除をしながら別れの挨拶をどう言おうかと考えていた時だった。
「え!?。」
「実は・・・この喫茶店、提供するコーヒーが一種類だけだし、一人でやっていけると見込んでスタートしたんだけど、最近どういうわけかお客さんがよく来てくれるんだ・・・特に土日・・・。ぜいたくな悩みだよね。僕の家族が時間の合う範囲で手伝ってくれることもあるんだけど当然別の用事とかで忙しくて来てもらえないときもあって、ちょうどアルバイト募集を考えていたところなんだ。」
と言ってきた。
なんという事だろう、寝泊まりだけでなくこの人は俺に仕事までこんな俺に用意してくれるのか・・・。
「田村君にとっても、住むところと仕事の両方が確保できるんだ、悪い話じゃないだろう?・・・いや、もし既に仕事の当てがあるならいいんだ、他に募集を・・・。」
とまで話したが俺は終わりまで訊かずに
「藤田さん・・・アンタ、俺を信用してくれるのか・・・こんな、社会から嫌われた俺を・・・。」
と俺はいった。が、藤田さんは
「君は『社会から嫌われている』なんて言うけど、それは思い過ごしじゃないかな?。少なくとも僕は君のことを嫌っていないよ。」
とまっすぐ俺を見ながら言った。
マジかよ、この世にこんな人がいるんだ、世界中の人がこんな人でいっぱいになれば人と人の衝突なんて無くなって、紛争や戦争、全て無くなるだろうな、と思いながら俺は胸がいっぱいになり、もう何も言えなかった。
俺は藤田さんの手を取って
「こんな俺でいいなら・・・ぜひ!。宜しくお願いします!。」
と答えた。藤田さんは
「じゃあ、決まりだね。」
と言い、続けて
「大家さんにはここに田村君が住み込みで働くこと、明日にも伝えます。」
と話してくれた。
「大家さん?。」
「昨日も言わなかったかな?・・・実はこの店、この場所は賃貸物件なんです。なあに、私がきちんと伝えます。大家さんもいい人ですから、快く承諾してもらえるはずです。」
と藤田さんは俺に説明した。
「では、・・・明日から木曜までは開店時間が17時です。準備支度のために30分くらい前に来てください。ですので、16時半にここに来てください。それまでは自由時間です。
仕事に使うエプロンは予備を私が明日持ってきますので、それを着用してください。
あとは・・・そうそう、もし出かける時は施錠をお願いします。マットの下とかは、盗難の可能性や強風で飛んでいって紛失の可能性もあるのできちんと持っていてください。万一に備え、私も合鍵を持っています。
もし落としたりしたら教えてください。失くさないようにしてもらうのが一番だけどね。以上だけど、何か質問はあるかな?。」
藤田さんの説明は分かりやすかった。俺は
「・・・そうだな・・・エプロンの下の服装はなんでもいいのかな・・・?。」
と訊いた。
「えっと、特に決まりはないよ。清潔感のある服装が好ましいと思って僕はそうしてるけど、まあ、本当に、気にしなくてもいいよ。」
「了解。」
「他にはないかな?。」
「今のことろはない、何かあったらまたその時に訊くよ。」
と俺は応えた。すると藤田さんは
「分かりました。・・・あ、そうそう、まだ30分くらいは売り上げの確認で店にいるけど、私が帰ったら最後に戸締りを宜しくお願いします。」
と言って売り上げの確認作業を始めた。
その間、俺は手を止めていた掃除の続きを続けた。床のごみを集め、倉庫にしている部屋のゴミ袋へ投入、さらに中性洗剤を薄めて作った液をウェスを付け、硬く絞ってそのウェスで客席や藤田の作業台、トイレ、順番に清掃していった。
藤田さんの売り上げの集計が終わるのと、俺の掃除が終わるのはほぼ同時だった。
藤田さんは「ヨイショ」という掛け声とともに立ち上がって伸びをした。倉庫部屋に置いてある荷物をまとめて戻ってくると
「じゃあ、あとはよろしく。お休み。」
「お疲れさまでした。」
と互いに言い、藤田さんは自宅に帰っていった。俺はドアを開けて帰っていく藤田さんをずっと見送った。自分のクルマに乗って、駐車場から去って行く姿を・・・。その藤田さんの去って行く後姿に、俺は深く礼をした。
翌朝目が覚めて時計を見ると時刻は明け方の5時過ぎを指していた。
夜が明けるまでまだ時間がある。街灯の明かりがブラインドの隙間から入るので、店内は真っ暗ではない。
俺は自作の仮設ベッドから降りるとその明かりを頼りにゆっくりと店内を歩いた。
用を足して手を洗うついでに顔もゴシゴシと洗った。
鏡に映る自分の姿をじっと見た。少し彫の深い顔立ちをした、肌も浅黒い男、田村圭一郎の姿がそこにあった。
無精ひげが伸びてきていた。出所前に刑務所内の散髪屋で髪を切るのとと同時にサッパリ剃ってもらったのだが、この一週間ほどで伸びてしまっていた。
鏡に映る自分を見ながら、昨夜の掃除中にした、藤田さんとの会話を思い出した。
「僕が初めてコーヒーショップで働き始めた時も不安でいっぱいだったよ。失敗もいっぱいした。だけど、応援してくれる仲間がいたから、やってこれた。田村君も・・・少なくとも、今は僕が君を応援する。」
そんな言葉に救われた。こんな薄汚い顔をした男に手を差し伸べてくれた。その恩はちゃんと返さなければいけないと決意し、俺は手洗い場の石鹸水を使って手と顔を洗うと、コンビニで買っておいた髭剃りで伸びた髭を剃り始めた。
そして、自分の身なりを見て、町の銭湯に入って来よう。そしてましなシャツを買って、着ていたシャツはコインランドリーで洗濯しよう、と決めた。
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