第21話 崇史の思い
「びっくりした。え? 迎えに来てくれたの?」
駅で美智琉と別れた後、帰ってから話がしたいと崇史にメッセージを送っておいた。
その崇史が駅に来ているとは思わず、驚いた。
互いに忙しいから、一緒に出歩くことが最近はほとんどなかった。
付き合っていた頃の待ち合わせをしていた感覚が蘇り、気恥ずかった。
「ランニングのついで」
目を合わせない夫に、ランニングの趣味はない。
それにデニムでランニングをする人なんて見た事がない。散歩なら信じただろうけど。
「そう。じゃ、会ったついでに一緒に帰りましょうか」
騙されたフリをしてやるのも優しさと思い。崇史と肩を並べて歩いた。
北上して大通りを渡り、途中でコンビニに立ち寄る。
肉まんとピザまんを買い、歩きながら食べる。
「半分ちょうだい」
「ん」
熱々のピザまんを半分ほど食べたところで、夫の肉まんと交換する。
食べていると話さなくていいから、少し気が楽だった。
熱くならずに話し合いができるだろうか、と少し緊張気味だった。
部屋に入り、テーブルで向かい合わせに座る。
「あの、ね」
何から話そう。まずは感情的になったことを謝るべきか。切り出し方を考えていると、
「勝手に進めて悪かった」
崇史が切り出した。
先に謝られて戸惑い、芙季子が謝るタイミングを失ってしまう。
「死産は俺にとってもショックが大きかった。体内で育ててくれていた芙季子の気持ちを考えると、居た堪れなかった。芙季子の心が心配で、まずは体を治してからだと思って、目につかないように部屋を整理して、葬儀もして。落ち着いたら、いろいろ話そうと思っていた。だが、仕事に行って、日常に戻っても、喪失感は増して、俺の方が話をできるメンタルじゃなくなった。いつの間にか、芙季子や社の連中の前では、なかったように振る舞うことが楽になってしまった。四十九日の日取りは決まっていたから、話さないといけないことはわかっていたけど、仕事に復帰した芙季子が生き生きしていたから、あの哀しみに引き戻すのは残酷だと思ってしまった。それで日にちを知らせなかった。本当にすまなかった」
芙季子は夫の頭頂部のつむじを見つめる。
私のせいなの!
感情的な時に聞いていたら、そう言ってしまったかもしれない。
時間のお陰か、美智琉や範子に聞いてもらったお陰なのか。
自分を心配しての行動だったのだと、今は素直に飲み込めた。
「ありがとう。心配してくれて」
自分の希望を伝える前に、感謝の言葉が自然と出た。
頭を上げた夫の表情が、安心したように軽く緩んだ。
「崇史と、こうしてあの子について、ずっと話がしたかった。でも、あなたは日常に戻って、何もなかったように日々を送っている。わたしだけが取り残されたみたいで寂しかった。話もできないほど、あなたの喪失感が大きかったなんて、思いもしなかった。つらいのはわたしなんだから、って自分ばっかり可哀想に思ってた。ごめんなさい。勝手な言葉をぶつけて」
夫が優しい目で見つめてくる。
大学で出会った時から、崇史の眼差しは優しかった。
父の厳格な目とは反対の、温かくて包容力があって、甘えを許してくれる優しさ。
いつの間にか受け止めてもらうことが当たり前になって、甘えすぎていた。
「逃げていた俺が悪いんだよ。法要の日、芙季子に話さず、仕事に行かせたことを伝えたら、お義父さんに叱られたよ。芙季子を甘やかすな、俺の娘はそんなに弱くないと」
「あの人、また勝手なことを」
父は夫にも厳しい言葉を向ける。いつもうまくかわしているように見えていたが、今回は大丈夫なのだろうか。
「厳しいことを仰るけど、芙季子を信じているからだよ」
「タイミングってものがあるでしょうよ。それでわたしが落ち込むって考えないのかな」
「その後、お義父さんはお義母さんに叱られたんだよ」
「ええ? 嘘でしょ」
「また夫婦の事に口を挟んで。ついこの間、芙季子に怒られたばかりでしょって」
「お母さんがそんなことを」
「お義父さん少し狼狽していたよ。あんなお義父さんを見たのは初めてだ。正直なところ、少し小気味良かった」
思い出したのか、声のトーンが上がる。
やはり、崇史にとっても父はストレスを感じる存在だったようだ。
「わたしも見たかったな」
狼狽する父を見た記憶はない。
普段は言わない母に言われたからこそ、出てしまったのだろう。
「お義母さんから聞いた。芙季子がお義父さんに声を荒らげた日の事」
「酷いなんてものじゃなかった。うちの父親は、娘に悲しむ時間もくれないのか。もう次の話をするのかって、傷ついた」
あの時の父の言葉はまだ心に残って、芙季子を苦しめてくる。
「わたし、まだ許せてないから。範ちゃんに聞いてもらって、わたしのペースでいいって言ってくれて、やっと救われたけど」
「本当なら、俺がその話を聞いてやらないといけなかったんだよな。一緒に怒ってやらないといけなかった」
「あなたに言えなくて、つらかった。うちの問題だから、自分の中でなんとかしないといけないんだと思っていた。美智琉先輩とも話ができて、落ち着いた。気持ちに整理をつけなくてもいいって。好きなら好きなままでいいんだって」
「ずっと哀しいままでいいってことか? ダメだろ」
穏やかだった崇史の顔が曇る。
「無理に気持ちを抑えたり、整理しようとしてつらくなるなら、感情を表に出してでも話した方がいいって。それでね、わたし考えたの。明史の楽しい思い出を話そうって。亡くなった時のショックが大き過ぎたけど、他にもあるじゃない」
「そうだな。エコーで初対面した時は感動した。それに動いた時、少しずつ大きくなっていく姿を確認できた時」
思い出していくにつれて、崇史の顔に笑顔が広がっていく。夫の中にも息子がいる。
「わたしはたくさん話しかけてた事かな。悪阻はつらかったけど、今思えばあの子の存在を感じる機会だったんだなって」
「芙季子、見るか」
唐突に切り出されるが、何の事かわからない。
ベビー用品だろうか。マタニティ用品だろうか。
「何を?」
「明史のいこつ」
いこつ? 遺骨だと理解するのに少し時間がかかった。
「納骨を済ませてるんじゃないの」
「つらくて、出来なかった。それもお義父さんに叱られた」
芙季子は勢いよく立ち上がっていた。
「見たい。待ってくれて、ありがとう」
「俺の部屋にある」
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