第10話 生きづらさを抱えながら

 病室の扉をノックする。中から「どうぞ」と亜澄の声が聞こえた。


「おはようございます。大村さん。母は事務所から電話がかかってきて、出かけました」

「おはようございます。朝一で話してきましたから。流れを報告しますね」


 誇張した記事のコピーを亜澄にも見せ、担当者との話を伝える。

 記事を見た亜澄は、申し訳なさそうな色を浮かべた。


「この記事は本当に掲載されませんよね」


「もちろんです。印刷後、データは削除しました。事務所に渡したものと、この二枚以外にありません」


「私は引退と、由依ちゃんを助けられればいいんです。お世話になった事務所に迷惑をかけるつもりはありません」

「これくらい脅しておかないと、動きませんよ。あなたがどういう契約を事務所としたのかは知りませんが、破棄の代償として違約金を請求される可能性もあります」


「それも仕方がありません。私が犯したことなんですから」


「16歳で、借金を背負うつもりですか。あなたは追い詰められて事件を起こしたのに、また自分を追い詰めるんですか。もう少し、自分を甘やかしてもいいんじゃないですか」


「甘いですよ、自分には。人が苦手なんだから、距離を置けばいいとか、嫌なら逃げちゃえばいいとか」

 自嘲するように亜澄は笑う。


「体育祭や文化祭のように、ですか」


「よくご存知ですね。学校のイベントは欠席しました。文化祭はカメラの講座と被っていたからです。体育祭は、単純に嫌だったからですけど」


「運動は苦手じゃなさそうって聞いたけど」


「嫌いじゃないです。この大きな胸がなかったらもっと自由に走れるのにって思ってます。ほんとに邪魔なんですよ。不必要に大きいじゃないですか」

 唇を尖らせ、拗ねるように言う。


「世の中には、欲している人もいるのに」


「ほどほどで良かったんですよ、私には。だから母に利用されるんです」

 言葉ほど、口調はきつくない。


「お母様に勧められたこと、恨んでいるんですか」


「恨んではないです。下心ありでOKしたのは自分自身ですから。でも、勧められなければ、しなかったです。今更ズルいですけど」


「お母様は、お祖母様を見返したい気持ちから、あなたを利用したんでしょうか」


「母に聞いたことはないですけど、そうだと思います。よく口にしていました。亜澄はお祖母ちゃんに勝ったねって。私にとって祖母はただのお祖母ちゃんで、女優じゃないですから、対抗心も嫉妬心も全然なかったです。それを言うなら祖父の方にありますよ」


「写真家としてですか」


「はい。憧れますし、尊敬もしてます。でもいつか認めてもらいたい、勝ちたいって思ってます」

 声に力が込められている。写真が好き、という熱い思いが伝わってくる。


「だからこそ、お母様の気持ちがよくわかるんですね」

 芙季子が言うと、亜澄は目を丸くした。


「そうです。よくわかってくださいましたね。母が祖母に向ける気持ちがわかるから、喜ぶ母を見て私も嬉しかったんです。母は祖母に小さい頃からずっと容姿のことを言われて育ったみたいで。母は容姿コンプレックスがすごいんです。ブスの私に似なくて良かったってよく言うんです。私それがすごく悲しくて。大好きな母に自分と似てないって言われると拒否されたって思っちゃいますよ」


 亜矢が抱えるトラウマは、幼い亜澄をも傷つけていたようだ。本来なら父親がフォローしてやれることが、この母娘にはなかった。


「そう言われて、どうしたんですか」


「小さい頃は、お母さん大好きって言ってしがみついてました。そうしないと、捨てられるって思ってたところがあります」

 捨てられるとは穏やかではない。


「危機感でもあったんですか」


「生まれた時から母しかいなくて、父は写真でしか知りません。その父にも似てないと近所の人に言われて、不安になったんです。私は誰の子供なんだろうって」


 母親に何かを言われたのではなく、近所の人が原因とは。

 芙季子に関係がないとはいえ、腹が立ってしまう。


「随分いらないお節介を焼くご近所さんですね」

「祖母より年上の年代の方でした。その人にはもっと酷いことを言われました」


「伺ってもいいですか」

「小4の頃です。あんたの父親は誰なの? 計算が合わないでしょって。あの頃は子供のでき方を知らなくて、コウノトリが運んでくるんでしょうって答えたんです。すごく嫌な笑い方をされたので、いまだに憶えています」


 それは本当にいらないお節介だ。直接子供に投げつける言葉ではない。


「悪意が透けて見えますね」


「家族の誰かが、その人から恨みを買っていたのかもしれませんね。子供ながらにこの人嫌だなって感じ取りましたから。今は薄々気付いてますけど」


「何をですか」

「父親が、本当の父親じゃないってことをです」


「……どうしてそう思うんですか」

 さすがに16歳にもなれば、わかってしまうのだろう。

 芙季子は知っているが、母親の許可もなく告げてはいけない。

 悟られないようにしないと、と気を付けながら返答する。


「父は佐々木豪と言います。私が生まれる前に亡くなりました。一年以上も前に。さすがに時期がおかしいってわかります」


「今は精子保存もできるんですよ」


「知ってます。とてもお金がかかるんですよね。うちにできるわけないじゃないですか。父は病死でなくて、事故死です。突然の出来事だったのに、精子保存なんてするわけないです」


「あなたを妊娠する前、亜矢さんは流産されています。もしかしたら、とは思えませんか」


 亜澄は首を振った。

 確信をしている亜澄に何を言ってもごまかされてはくれなさそうだった。


「もしも父親が別の方だったとして、遺伝子的につながりのある父親のことを知りたいですか」


 亜澄が自身のルーツを知りたいと思っているのなら、亜矢に進言するぐらいのことは、してやれる。

 もう一つの秘密についても、亜矢と話がしたいと思っているから。


「わかりません。知ってどうなるものでもないですし。私たちを放っていることにムカつきもしません。事情があるんだろうな、なんて物分かり良くなりたいわけでもないですし。いまさら、ですよ」


 口ではそう言いつつも、どこか寂し気な空気を芙季子が感じるのは、亜澄の父親を知っているせいだろうか。

 このままだと、口が滑ってしまいかねない。この辺りが止め時だろう。


「ごめんなさい。長々と話して。あなたと真実の公表をどこまでするかの話をしにきたのに」

「いえ、私こそ、愚痴みたいになってしまって、すみません」


「いいえ。大人しい、ミステリアスだって聞くから、どんなに不思議な子なのかなって思ったんだけど、しっかり考えているんですね」


「そうですか。自分じゃわからないです」


「あなたと話していると、高校生だということを忘れてしまいます。今一度気を引き締めないといけませんね。あなたには未来があることを」


「未来を望んでいいんですか? 自分の身勝手で他人の人生を狂わせた人間に」


 この娘はどこまで自分を追い詰めてしまうのだろう。生きにくい人生を送ってきて、これからもそうなのかもしれないと思うと、手を差し伸べてやりたい気持ちになる。


「どんな人にも未来はあります。それがなくなるのは、死んでしまった時だけです。あなたは悲しい選択をしてしまったけど、生きているじゃないですか。あの時、死んでしまわなくて良かったと思える日が来ます。きっと」


「……はい。そう思えるように生きようと思います」


 昨日見せたような動揺はなく、一晩たってさらなる覚悟を決めたように感じた。

 この決意を無駄にしないように、大人が守ってあげられるといいのだけど、と今後の行方が気にかかった。


 事務所と交渉をした翌日の夜、事務所の顧問弁護士から示談が成立したと、連絡があった。

 そして週明け、弁護士と山岸側の付添人が揃って会見を行うことが決まった。

 記事の件について話がしたいので、明日、11時に事務所に来て欲しいと告げられた。

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