第32話 目を見て

 三宝貿易は初め、新興の小さな貿易会社に過ぎなかった。

 資金繰りに悩み、自転車操業でなんとか食いつなぐというどこにでもある零細企業の一つだった。しかし次第に負債が膨れて社員も離れだした頃には経営の維持さえ困難になり、息も絶え絶えの経営状態となる。

 悪あがきで闇金融にまで手を出したのが悪手だった。三宝界実は辛苦に喘ぎながら、それでもなお会社を維持させまいと苦心する。

 その頃妻の腹の中には、既に御伽という小さな命が宿っていた。


「破滅を覚悟しかけた時に、御伽が生まれたんだ。小さくて玉のように可愛い子供だったけど、僕だけはその『目』がってことに気が付いた」

「『美学』か……よもや生まれながらにして……」

 緑色の美しい瞳。虹彩を通して伝わる狂気的な魅力。生まれてきた子供は『美少年』であり、更にその目には特別な力を宿していた。

 後にそれは森羅万象を見通す千里眼の類だと実は理解した。感情を読み取り、真実を見抜く超常的な力。美少年エネルギーを凝縮させ、見つめた対象に発揮する異能力。その『目』の特質が分かった時、実は真っ先に始祖ナルキッソスへ渾身の祈りを捧げた。


「親としても経営者としても恥ずべきことだとは理解している。だが、あの子の『目』を見てすぐに、これがあれば会社の経営を立ち直せると気付いたんだ」

 暗中模索の貿易業において、先を見通し、物流を見定める力は大いに役立つ。

 誰かを従える英雄的な資質でもなければ、万人から畏怖される恐怖の力でもなかったが、現代社会の覇権を握るにはこの上ない最強の能力だった。


 その後、『目』の力によって三宝貿易は瞬く間に急成長を遂げる。闇金融での借金は跡形もなく返済され、業界でも頭一つ抜けた業績を叩き出し、有名企業の仲間入りも夢ではなかった。貧困を窮する零細企業から一転、誰もが羨む大企業・三宝貿易と呼ばれるまで、あと少しというところだった。

 だが現実は非情にも、三宝界家に一つの悲劇をもたらしてしまう。

 実は当時のことを力なく語った。


「妻があの子の『目』を覗いてしまった」


 力を行使している最中だったのが運の尽きだった。彼女は何か恐ろしいものでも見てしまったかのように狂い、怯え、気を失って倒れたのだ。即座に救急搬送されて入院するも彼女はあえなく憔悴しょうすいしていき、ついには病室で息を引き取ってしまう。

 当時、物心がついたばかりの御伽に母親の死は理解できなかった。実も本当のことは明かせずに、ただ「母さんに愛想を尽かされた」とだけ伝えて、それ以上は何も言えなかった。

 

 その後、御伽は突如として『目』の力が使えなくなった。

 彼も幼いながらに何かを察してしまったのだろう。会社経営への貢献も全く叶わなくなると、三宝貿易は天地を返したように没落し、途端に倒産への一途を駆け足で辿ることになる。


「御伽の『目』はもう使えないのか」

「あれ以来、一度もね。きっと母親の消失があの子の心に深い傷を与えてしまったんだろう……」

 三宝界実は懇々こんこんと語る。


「学園長、亜門古人が近付いてきたのはその直後だった。妻の死をどこからか聞いたんだろう。御伽の『目』のことを教えて欲しいなんて迫ってきて……如何にも怪しい奴だったよ」

「やはり御伽が目当てか」

「ああ。ただあの子の『目』はとっくにれていたし、身体スペックも普通の美少年に劣っていた。だけどそれを伝えてもあの男は何故か食い下がったんだ。しばらくしてから、また連絡を寄越してきてね」

 それは御伽が小学六年生だった頃の話だという。亜門は再び三宝界家に接触し、ある取引を持ち掛けた。


「『御伽くんは優秀な美少年だから是非ウチに入学させてくれ』って……見返りに目も眩むような大金を用意されて、およそ会社の再建でも使い切れないような額だった」

「それで、君は応じたのか」

「――まさか、僕は頑なに断ったさ! でも御伽はそうじゃなかった。あの子は僕の会社を立て直すためだって、二つ返事で頷いて……きっと、自分がどんな目的で学園に呼ばれたかも知らないんだ」

「『面接』を受けていたと聞いたから、亜門が上手く騙したのだろうか……全く」

 事の顛末を知り、真黒は思わず片手で顔を覆った。


「御伽は何故、そうまでして学園へ……美少年が普通の学校で過ごせないという一般論は分かるが、それにしたって」

「恐らくあの子は……」

 御伽の疑問に、実が答える。


「――母親のためだ。あの子は今も僕の嘘を信じている。父親が情けないから母親が居なくなったのだと。今も彼女がどこかに居て、会社が再建されて家庭が戻ればきっと笑顔で帰ってくると、そう信じてる……」

「本当なら情けない話だぞ」

「ああ、分かっている。分かっているよ……」

 頭を抱えるその男は、目尻に淡く涙を浮かべていた。


 三宝界家の問題は想定よりもはるかに複雑だった。

 この問題に本来部外者である自分が口を出すわけにはいかないのだろう。真黒はその境界を承知しながらも、しかし一方で納得できなかった。納得できない以上、ただ黙ってみていることも耐えられなかった。

 小さな溜め息の後、真黒はある提案を投げかける。


「御伽に真実を打ち明けろ」

「なっ……! まさか、妻の死、会社のこと……どれを……!」

「無論、両方だ。全てあの子に話せ」

 目尻の涙を拭い、三宝界実が立ち上がる。苦虫を嚙み潰したような顔で、彼は頑として言い張った。


「できるわけないだろ! 僕にそんなことが!」

「できるできないじゃない。それが君の役目だ。御伽一人に家族の再生を任せて、君だけこの暗がりで縮こまるつもりか」

「それはつまり、『お前のしてきたことは無駄だった』と父親ぼくの口から言うってことだぞ……!? そんな残酷なこと僕にはできない、あの子が今どんなモチベーションで無理をしているのか、どれだけボロボロなのか、君に分かるのか……!」

「……はぁ」

 実は自らの肩を掴み、震えながら語る。

 そんな男に、真黒は言葉もなく詰め寄った。そして胸倉を掴み上げ、引き寄せ、麗しい怒りの相貌を男に見せつける。


「自分のケツも拭けない男が父親を名乗れると思うなッ! 君は我が子を心配する素振りをして、ただ自分が傷つくのを恐れているだけじゃないか!」

「ち、違うっ……そんなつもりは……」

「あの子の『目』を見て、ちゃんと向き合って話をしたのか! 一度でも彼の『目』を見てやれたなら、その力が涸れているなど言わないはずだ!」

 はっとして、実が息を飲む。真黒の言葉に何も言い返せなかった。


「これは自戒だがな、子供は君が思うほど弱くはない」

 掴み上げた胸倉を放り、真黒は実を解放する。

 実は放心気味に宙を見ていた。だがその目にじんわりと水気が宿ると、彼は目頭を抑える。


「だけど、やり直せるわけないよ……今更……」

「俺だってまだ道半ばだ。どうなるかは分からん」


 道半ば――真黒は言いながら、自分の目的を思い出す。

 亡き妻の仇討ちのため。消えた我が子の行方を追うため。それらの犯人を突き止め、けじめをつけるため。その足取りを追う中であの亜門古人を狙いに定めた。ドクターペド曰く、人身売買の噂さえあるあの男ならば、何か知っているのかもしれない。今回明るみになった御伽の背景には、その憶測を強く裏付ける根拠が見つかった。

 憎悪が湧き出して、美少年の身体がその醜い感情を猥雑な劣情に変換する。が真黒の心中を満たした。

 黙して怒る真黒を見て、実も何かを悟る。


「真白くん……君も戦っているのかい」

「ああ。だが、今はその名前じゃない」

 踵を返し、玄関へと向かった。彼には追究したいことが山程あったが、今はまだやるべきことがあるのだ。

 玄関を出る間際、男はその名を彼に明かした。それは世を忍ぶ姿であると同時に、男にとっては復讐を固く誓うための、決意の証でもあるのだった。


「今の俺は、犬上真黒だ」

 窮屈な股間を中腰で誤魔化して、犬上真黒は三宝界家を後にした。






 三宝界家を出てすぐの大路で、突如として真黒の尻がブブブブッ、と震える。

 ――それは紛うことなくスマートフォンのバイブレーションだ。取り出した画面にはドクターペドの名前が浮かんでいる。


「……俺だ」

「真黒、すぐに兵西区に向かえ! 幹線道路の北、公園近くの路地だ!」

 息を切らしながら、電話口のドクターペドが大声で叫んだ。


「喜べ、お前の勘が当たったぞ!」

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