第29話 家に帰ろう

 五月某日、まだ眠気の残るけだるげな朝。

 ブリリアント学園の生徒はリュックや鞄などの荷物と共に体育館内に並び、教師からの号令を待っていた。

 各所から聞こえてくる会話に、犬上真黒は耳を傾ける。


「お前も帰るの?」

「後で買い食いしよーよ」

「親だりー」

「今日さ、両親帰り遅いんだよね……」


 寮暮らしの生徒たちが我が家へと帰り、まとまったいとまを家族と楽しむ数か月に一度の機会――『集団下校』。特に外出を禁じられている訳でもない彼らだが、親と離れて暮らすことは思春期の心に大きな影響を与える。生徒の誰もが浮かれ、あるいは憂鬱な顔をしていた。


 真黒は集団からひょいと顔を出して周囲を見渡す。生徒の様子とは裏腹に、教師陣は緊張した面持ちであちこち走り回っている。武装した警察官もまばらに見かける。

 やがて、用事を終えた教師が一人二人と集まってきた。緑の安全ベストを着た彼らが「静かに」と注意を促したところで、生徒たちもしんと静まり返る。


「お前たちは現在、それぞれの住所を基準にグループ分けされている。これからグループ単位で順番に移動してもらう訳だが、防犯のため下校は一定時間の間隔をあけて行う。各位勝手な行動はしないように!」

 体育教師兼生活指導の剛本茂が声高に告げる。彼が喋り出すと同時に生徒たちの間で「剛毛だ」「剛毛が喋ってんぞ」「ジャンゴゥッ」と囁き声が行き来した。聞けば彼のあだ名らしい。

 相変わらず生徒から舐められているな、と真黒は過去を懐かしんだ。


「各グループに先生が一人ついている。皆、担当の先生方の言うことをちゃんと聞くように!」

 剛本が話し終わると、それぞれのグループのもとに教師がまばらに散っていった。

 それらを目で追っているうちに、真黒は「げ」と不愉快そうな声をあげた。彼のいるところにやってきたのは――


「やあやあ美少年ども、ペド先生がやってきたよ」

「うぉーペド先だ!」

「当たり引いたぞ!」

「なんかおごってー!」

 金髪ツインテール、ぎざぎざの歯、全身に見え隠れする継ぎ接ぎの肌。教師とは思えない幼い身なりの男が、ニヤニヤといやらしい笑顔で生徒たちのもとに現れた。生徒たちよ騙されるな、そいつは正真正銘の少年愛嗜好者ペデラスティなんだ。自分で自分の体を好みの姿に改造してしまうほどの――

 ドクターペド――協力者であり旧知の知り合いも、ここまで一緒ならかえってうんざりしてしまう。真黒は深いため息をついて、意味ありげな視線を送ってくるドクターペドから目を背けた。


「……そういえば、御伽は別グループか」

 ふと、他集団を見渡す真黒。人より少し背が小さい彼だが、緑髪がふわふわと揺れているところを探せば見つけることは造作も無かった。

 丁度これから出発するところなのだろう。国語教師の舞川が号令をかけると同時に、三宝界御伽の居るグループがぞろぞろと立ち上がった。緑髪の彼は相変わらず、憂いに満ちた顔をしている。


「お、愛しの御伽くんが気になるかぁ?」

「……あまり生徒の前で話しかけるな」

 ドクターペドが真黒に近寄った。冷たく突き放すも、彼には効果がない。構わず軽薄な口調で続ける。


「ちなみにあのグループは兵南区だぜ。次は俺様たち兵東区グループの番だから、後を追うには都合がいい順番だな」

 聞いてもいないことを、と真黒は睨みかけたが、実際それは最も欲していた情報だった。

 ブリリアント学園がある街は神戸市の、それも特別合併区域と称される場所にある。学園が東京都から移設される際に国が当地を整備したものであり、区域は既存の中央区一帯を再編成し、大きく四つに分けられた。


 兵北ひょうほく

 兵東ひょうどう

 兵南へいなん

 兵西へいせい

 ――ブリリアント学園はそれら四区のちょうど中央に位置している。

 この『集団下校』もその区分けに応じて行われていた。


「お前、あの子と喧嘩中なんだろ。一、二か月そこらでもうマンネリかよ?」

「……うるさい」

 御伽との喧嘩から既に一週間が経っていた。外でも寮でも会話は殆どない。それまでのべったりとした交友関係が嘘かのように、御伽はずっと真黒のことを避け続けている。


「追っかけた先でどうする。とっておきの秘密でも明かしてみるか? 吊り橋効果ってヤツゥ~」

「駄目だ、今はまだその時じゃない……それに、これはそんなに簡単な話じゃないんだろう」

「ま、そうだなぁ」

 他人事のように返すと、ペドはふらふらと他の生徒のもとへ歩み寄っていった。どうやら退屈しのぎに話しかけにきただけらしい。彼の小さい背中を睨みながら、もう絡んで来るなよ、と真黒は念を送った。



 そうだ、御伽にまとわりつく問題はそうのだ。

 それは遡ること二週間前、一条烈とのグロッサム後の保健室にて――


「――三宝界御伽は生徒会のスパイだ」

 保健室で治療を受けた後、ドクターペドはその事実を明かした。

 だが真黒もあまり驚きはしなかった。確信に至らなかっただけで、疑いは常にあったからだ。


 彼はただの平凡だと切り捨てるには余りある『何か』が輝いており、この自分でさえ引きつけられ、期待を寄せてしまうポテンシャルが確かにあった。美少年のトップである生徒会がそんな彼を見逃すはずがない。



「生徒会室に出入りしているところ、執行部の連中と会話しているところがしばしば目撃されている。まず関係者で間違いねえだろうな」

「そうか……」

 ドクターペドの補足に真黒は顔を俯かせる。疑いこそあれど、できればそうあって欲しくはなかったと本音が顔に滲み出ていた。


「しかし、何故彼がそんなことを……」

って奴かねぇ」

 ペドの言葉に、真黒が眉をひそめた。


「あの子の父親は貿易会社の社長らしいんだが、どうやら数か月前に暴力団との関りが明らかになってブラックリストに入ってる。お前も会社名くらいは知ってるだろ」

「確か……『三宝貿易』だったか」

「少し前はかなり景気の良かった会社だったんだが、急成長の裏でヤクザからの助力があったとかなんとか……やがて経営が立ち行かなくなって破産申請を出したものの、その際に裏の関係がバレちまったって話だ」

 相変わらずの情報通に感心しつつ、真黒はその事実と御伽のスパイ行為に何の関係があるのかと訝しんだ。

 やがて、ドクターペドはその疑問に答えるように続ける。


「お前も知っての通り、学園への入学にはかなりの金がかかる。だがどれだけ貧乏な美少年でも最低限の教育は受けられるようにと、この国は古くからブリリアント学園を含む、全国のあらゆる美少年教育機関への入学補助金を出している」

「しかし、それは反社勢力と関りがあれば受けられないはず……まさか」

 国からの補助が受けられないのなら、それ以外の者に助けてもらうしかない。真黒の中で話が繋がる。それ以外の者というのも、既に検討はついていた。


「……亜門古人から入学の援助を受けたのか」

「ああ。だがそれだけじゃねえ、野郎は倒産した会社への融資も行ってる。御伽の親父さんは随分あの男に世話になってるらしいぜ」

 謎は深刻化しつつも、しかし御伽のスパイ行為が彼の本意ではことに真黒は安堵した。しかし、ドクターペドはわざとらしく語る。


「亜門古人……俺様の調べじゃあ、奴は日本の政財界ともズブズブだ。そんなクセえ奴が一体どうしていきなり三宝界家を助けるような真似をしたんだろうなぁ?」

「どういうことだ」

「よっぽど価値があったんじゃねえか? 三宝界御伽って美少年によ」

 真黒の額に冷や汗が伝った。裏社会との関りを噂される亜門古人――その正体の片鱗が垣間見える。

 しかし、真黒の中に未だ疑問が残っていた。


「ならば御伽は生徒会の言いなりになることを条件に学園へ入学、加えて父の会社の再建費を得たということか……? 意味が分からん」

「第三者から見たらそうだろう。だけどこうも考えられるんじゃねえかな――『』……入学はあくまで、亜門が御伽を手元に置くための副次的なものだとか」

「……それが事実なら許されんぞ。美少年と言えど中身はまだ子供だというのに……!」

 ペドの言葉に、真黒は怒りのあまり拳を震わせた。

 亜門という男は未だに底知れず謎が多い。だがもしペドの予想が真実ならば、彼が運営するこの学園そのものの存在意義が疑わしいものになる。


 真黒の中でどす黒い感情が膨れていく。自分の子供を探し、妻の仇を討つために潜り込んだこの学園だが、よもやとんでもない怪物と対峙しているのかもしれないと、恐怖と憎しみで総毛立った。

 だが彼の身体は特性上、そんな感情を『美少年に相応しいもの』に変換してしまう。醜い感情が美への情欲に変わり、学ランの股間がわずかに膨れ上がる。

 下半身を屹立させながら怒る真黒を見て、ドクターペドは満足そうに笑みを浮かべる。

 

「んで、御伽をどうする? 情報漏洩まで起きたとなれば手痛い仕置きが必要なんじゃないか?」

 ペドはじゃらり、とメスや鉗子などの器具を服の下からチラつかせて提案した。軽薄な調子だが、実際この事態を一番重く捉えているのは情報通の彼だ。しかし、真黒はかぶりを振った。


「――却下だ。幸い、御伽と共有していた情報にバレて困るものはないし、彼の潜在能力を見込んで引き入れたのは他でもないこの俺だから、俺が責任は取らなければならない」

「はっ、責任ねぇ。そこまでお前があの子に構う必要もないと思うけどなぁ」

「なんとでも言え」

 不満げなペドの言い草に、真黒はそれでも構わなかった。


 薬品の匂いが鼻を突く。保健室の床をスリッパで擦る感覚はあの頃を思い出させる。

 懐かしむように窓辺に立ち、郷愁を浮かばせながら、彼はその名前を呟いた。


みのる……彼のためだ」




 時は戻り、集団下校当日。


「ペド先、さよならー!」

「おう、寄り道すんなよー」

 白衣からはみ出した細い手を振って、ドクターペドは分かれ道に散っていく生徒を見守る。

  集団下校は何事もなく進んでいた。一人、二人、三人と、少しずつ集団の規模が小さくなる。談笑の声もまばらになって、周囲の静寂が際立った。

 真黒は集団の一番先頭を黙って歩き続ける。


「犬上くんってどこに住んでんの?」

 突然、関西訛りの一人の美少年が真黒に問いかけた。

 クラスメイトの錦涼花にしきりょうか――時折真黒の猥談に混ざるポニーテールで金髪の美少年、トークの上手さと下ネタのくだらなさに定評があるクラスの人気者だ。

 最近のヒットは「掃除機で陰部を吸って性に目覚めた話」。真黒も思わず笑みをこぼす程の猥談のスペシャリストだ。


「どこに、と言われると……」

「ん~?」

 キツネのような細い目つき、人当たりの良い笑みを前にして真黒は答えあぐねた。

 ちらり、とドクターペドのほうを見るが、彼はそっぽを向いて知らんぷりを決め込む。

 真黒はブリリアント学園に潜入する以前まではドクターペドの運営する病院に匿われていた。そのため彼には定住する場所というものがない。


「こ、この辺かな」

 真黒は曖昧な返事で、入学の際に偽造した住所はここら辺だったか、とおぼろげに指し示す。


「へえ。今度遊びに行ってええかな?」

「そ、それは困る。あまり片付いていないから、人を呼ぶのも難しくて……」

「なんでよ~そんなん気にせえへんのにオレぇ~」

 真黒の腕に抱き着きながら、錦は我儘を言うのをやめなかった。

 この男、やけにぐいぐい来るな――目的の見えないアプローチに真黒も思わず訝しい顔をする。


「俺が気にするんだ! 寮の部屋ならいつでも招待するから、そっちで勘弁してくれ」

「う~ん」

 なんとか誤魔化そうとする真黒だが、しかし直後の錦の反応は予想とは異なるものだった。


「そっちは別にええかなぁ」

「……?」

 どういうことかと問いかける前に、彼は「そいじゃあ」とだけ言い残してその場から去ってしまった。

 どうやらここが分岐の道らしい。錦の背中が高級そうなマンションのエントランスへと消えていく。


「ヒューヒュー、モテモテじゃねーの犬上真黒くん」

「うるさい」

「カッカすんなよ。今は俺様とお前だけだ」

 真黒は言われて初めて気付く。他数人の生徒も帰路につき、残ったのは自身とドクターペドだけだった。

 現在地は兵東区。兵南区の御伽が居る所までは走れば間に合うだろう。


「今から全速力で向かった場合、御伽は家についている頃だろうな」

「ああ。住所はさっき教えた通りだ。けどよ、会ったところで一体なに話すんだ?」

「彼とは話さん。今回の目的は御伽ではなく、三宝界家だ」

「はぁ?」

 ペドが立ち止まり、拍子抜けた声を出した。


「何考えてんのか分からねえけど、あんまり目立つことはすんなよ。俺様も赴任してからずっと疑いの目で見られてるんだ。騒ぎなんて起こしたら――」

「お前のは見た目のせいだろう。どこの世界に肉体改造が趣味の医者がいる」

「へっ、うるせー」

「ああ、それと……」

 途中、真黒は振り返ってペドに告げた。


「お前に頼みたいことがあるんだ。仔細は後でSMSで送っておく」

「随分いきなりだな……てかいい加減ライン使えよオッサン」

 ぶっきらぼうに頼むと、真黒は構わず再び歩き出した。不満げなドクターペドの視線に構わず、その足は目的地へと向かっている。


「ったく、相変わらず人使いが荒いぜ」

 口元に満更でもない笑みを残しながら、ペドは彼の背中を見送った。

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