第35話 堕ちる
夜の闇が深まる中、馬車はドランの待つ城の石畳を軋ませながら進んで行く。松明の火が霧を照らし、スカイブルーのローブの裾が冷たい風に揺れる。私は窓から城壁を見上げた。鉄の扉が開き、私兵たちの視線が一斉に注がれる。私は馬車から降り、杖を握った。
謁見の間は薄暗く、壁に掛かったタペストリーが揺れている。玉座のような椅子に腰掛けた男が、私を見下ろしていた。二十代後半だろう。黒髪を後ろに流し、薄紫の瞳が笑っているようで笑っていない。
「ようこそ、私の城へ。メアリー・リヴィエール」
あれがおそらくドランという人なのでしょう。……忘れそう。
「私はヒーラーです。召集をしたからには……こちらに治療が必要な方がいるのですよね?」
ドランはくすりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。絹のマントが床を擦り、指先で私の髪を摘まむようにして近づく。距離が詰まるにつれ、キツめのお酒と匂い消しの香の混じった下品な匂いが鼻を突く。
「そうけが人が転がっている訳なかろう。だが安心しろ。必要なら治療させるさ。君が優秀なヒーラーだとは聞き及んでいる。使わなければ勿体ないだろう」
「つまり今はいないと……」
「そうだ。それから……君二はもう一つ…………癒しを貰おうかな?」
「…………? 治癒しか出来ませんが?」
「焦らすのが上手いな。あるだろこれが」
男は私の胸を鷲づかみして、強引に揉みしだく。ローブが厚くあまり感じないが、男のいう癒しが治療ではない事は理解できた。私は邪魔なのでドランの手を軽く押しのけると、特に抵抗なくその手は離れた。
「私の仕事ではなさそうですね。他をあたってください」
「そう言っていられるのも今のうちだ。お前はここで一生俺を楽しませるんだ」
「短い生涯になりそうですね。ドラン様」
「ああ、楽しいとすぐに時間はすぎるよ」
私は首を傾げた。そう言うつもりではないのですが、まあいいでしょう。食い違いなどいつもの事です。
「治療対象がいなければ、私の居場所ではありません。帰ります」
踵を返す。扉まで三歩。兵の槍が横に伸びて道を塞ぐ。
「そう簡単に帰すわけないだろう。せっかく手に入れたコレクションを」
「…………コレクション。なるほど、確かに天使である私を渇望するのはわかります」
「いや、何を言っているんだお前。優秀な美少女ヒーラーだからに決まってるだろ」
「わかります、天使ですよね私! この身体の造形美は自身があるんです」
「…………え? あ、もうそれでいいや。お前なんか変だぞ」
私は杖を構えた。槍を向けられた程度、戦場の天使と呼ばれた私は恐れることありません。この場合は悪魔の方が良いでしょうか。光の結界が瞬時に展開し、槍を弾く。ですが、次の瞬間、足元から魔力が吸われる感覚が走った。床の紋章が淡く光り、結界が薄れていく。
「吸収ですか…………これは厳しいですね」
ドランは私の背後に回り、腰に手を這わせる。指がローブの上から胸を撫で、耳元で囁く。
「簡単に逃げられないようにしてある。観念しろ。さあ、今夜はどんな声で喘ぐのか……楽しみだ」
ドランは胸を弄る手を離した。触るだけ触って面倒な男だ。
「治療するために来ました。出来ないなら必ず脱出して見せましょう」
「ほほう? 楽しみだ…………ではまずは今晩までに脱出して見せよ出来なければ…………わかるだろう?」
ドランが私の身体を撫でまわす。…………さすがにわかる。ドランの合図で兵が私を押さえ込む。腕を背後に捻られ、杖を取り上げられた。私は抵抗しなかった。魔力を奪われた今、抵抗する方が危険だろう。
ドランは無抵抗なことをいいことに私の胸元に手を滑り込ませ、ローブの紐を解く。肌着越しに指が這い、胸を鷲掴みにした。
「素晴らしい……これだけで俺は満足できそうだ」
「満足されたのなら今日のお勤めは終わりですね。お疲れ様でした」
「言葉が上手いな。一本取られたよ…………今宵は勘弁してやろう」
「それはどうも」
ドランは目を細め、指をさらに強く押し込む。
「生意気な口だ……従順になるのが楽しみだよ」
そう吐き捨ててドランはどこかに行ってしまった。嵐が去ったと思うべきか。下卑た周囲の兵に囲まれている状況をもっと絶望すべきか。私は兵に押さえられたまま、地下の牢へと連れていかれた。
階段を下りるたびに湿った空気が鼻をつき、松明の煙が目に染みる。鉄格子の向こうに、粗末なベッドと水差しだけ。トイレもあるが遮蔽物はなし。ここら辺はどこの牢屋も一緒ですね。牢屋番がニヤニヤしながら近づいてきた。脂ぎった顔に、欠けた歯が覗く。目が血走り、舌なめずりしながら私を舐めるように見る。
「おらおら。何か隠されると困るからな。その分厚いローブは没収だ。さあ、脱げよ……お嬢ちゃん」
私は淡々と従った。ローブを脱ぎ、肌着姿になると、牢屋番は下品に笑いながら鉄格子越しに手を伸ばす。
「へぇ……でけえな。こんなの隠してたのかよ……ほら、見せてくれよ」
「? …………貴方の方が背も高いかと?」
「そっちじゃねえこっちだよ!」
彼は肌着の上から私の胸を鷲掴みにし、ねっとりとした指で揉みしだく。汗ばんだ手が布越しに押し、息が酒臭い。…………あまり触られて気分のいい場所ではないですね。
「いいじゃねぇの、柔らけえ……今夜はお前をしっかり監視させてもらうぜ」
「もう寝ますよ。見て楽しめる事はありませんが…………それでも楽しめるならどうぞお好きなだけ。私は見られて恥ずかしい身体をしているつもりはありません」
牢屋番は目をぎらつかせ、さらに手を這わせようとする。
「? 慣れてんのか? もっと見せてくれよ……肌着も脱いじまえ」
彼が肌着を剥ごうと手を伸ばしたところで、私は軽く手を払いのけた。
「そろそろよろしいでしょうか? 眠りに着けなければ明日も碌に働けません。口が滑るかもしれませんね。ドラン様に」
牢屋番は一瞬驚いたが、すぐに下品に笑った。
「生意気な口だな。まあいい。ドラン様は飽きた美女は俺らに譲ってくれるんだよ。お前が何日後に俺らの玩具になるか楽しみにしてるぜ」
「? 私に飽きる? 仮に脱走出来なければ私はずっとあの男のお気に入りである自身がありますよ?」
「…………お前、ちょっとおかしな奴だな」
「今日はよく言われますね。貴方がたと感性が違う事は喜ばしい事です」
「多分だが、まっとうな奴が見ても同じこというぞ…………」
彼は鍵を鳴らして去っていった。私はベッドに腰を下ろし、冷たい石の感触を感じた。失礼な男だ。まっとうな人なら私に賛同するでしょうに。
しかしここには負傷者がいない。治療が必要ない。なら、ここにいる意味はない。私は静かに呟いた。
「壁に耳あり障子に目あり。負傷者がいれば、私がいる。私が捕まったままだと思わない事ですねドラン…………」
負傷時にメアリー なとな @na_and_na
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