第32話 次の村へ

 星空の下、辺境の村で焚き火が揺れる。粗末な小屋が闇に溶け、土の匂いが鼻をつく。冬の風がスカイブルーのローブを冷たく撫でる。この村に来て数日が経ちました。近隣の村にも噂が広がり、この村に負傷者が集まってきているようです。病でやつれた顔、労働で折れた腕。子供の小さな咳が夜気に響き、村人たちが焚き火のそばで身を寄せ合う。まだこの村に神官はいませんし、王都からの支援はまだ届いていない。私がここを離れるのはもう少し先になりそうですね。


 杖を握り、広場で治療行為を続ける。光が負傷者達の傷を包み、骨が整い、痛みが消える。星明かりが光に映り、土の匂いが濃くなる。


「ありがとう…………恩人だアンタ」


 村人が呟き、目を潤ませる。最初はこの程度の治療でここまで喜ばれることに多少の戸惑いはありましたが、慣れてきましたね。


「助かったよ」


 別の男が声を震わせ、頭を下げる。彼は軽傷でしたので随分と後回しにしてしまったのですが、それでもお礼を言って下さるのですね。


「天使様だ」


 女性が手を握り、涙をこぼす。感謝の気持ちなのでしょうが、手を握られると次の治療に移れないんですよね。


 慎ましやかな声が響く。天使だなんて…………何を当たり前の事を言っているのでしょうか。私は淡々と治癒魔法の光を放ち続ける。少々疲れて来ましたね。重傷の方も少なくなってきましたが、まだ治療を続けたい。ルミエが食料を配り、村人たちに囲まれている様子を尻目に治療を続ける。あの人はすぐに私を休ませようとするから。少しでも疲れている様子は見せられない。銀色の鎧が星明かりに光り、青い目が私を見る。彼は何かを思うらしい。だが、私には関係ない。負傷者がいれば、私が癒す。それだけでいい。


「メアリー、そろそろ休憩にしよう。君の分の食事だ」

「…………何故?」

「君が私の方を気にする時は、疲れを隠そうとする時だ」

「…………少し気持ち悪いです」

「そう思われるくらいでないとメアリーを過労させてしまうからな」


 ルミエの声が静かに響く。銀色の鎧が焚き火の光に揺れ、穏やかな口調が村の夜を破る。私は杖を握り直し、木の感触を確かめながら答える。


「安寧な休息が必要なのは私ではなくここに集まる方々です」

「それを保証するには、君の体力も大事ではないか?」

「ああ言えばこう言う」

「それは君の事だろう。良いからこれを食べて休みなさい。…………よし、休まないのであれば私も怪我をしようか」

「新手の脅しですね…………わかりました。休みましょう」


 彼は眉を寄せ、視線を逸らす。焚き火の煙が鼻をつき、土の匂いが漂う。人間は気遣うものらしい。少しズレた感覚だ。頂いた私の分の食事を口に運びながら周囲を見渡す。負傷者のほとんどがもう自身で歩けるくらいには元気になっている。後はちゃんとした食事と休息。その為には軽微な痛みも取り除かなければ…………戦場では範囲治癒魔法などを使っていましたが、あの時以来、私はそれが使えない。あの時の治療した方々が次々と傷つけあうさまがトラウマにでもなったのでしょうか。私は戦場の悪魔だと、自身の深層心理に根付いたからでしょうか。



 休憩をおえて私は次の負傷者に治癒魔法を放つ。ローブの裾が地面に擦れ、星明かりが銀髪に映る。


「ありがとう」


 老人が呟き、皺だらけの手で私のローブに触れる。

 子供が私の瞳を見て、目を輝かせる。嬉しそうな子供を見て、そろそろこの村に私は必要ないと実感する。


「メアリー、今日は終いにしよう。明日もまた近隣の村から人々が集まるだろう」

「ふむ…………そうですね、重傷者が明日来た時に万全でないのもよくありません。その提案を受け入れます」

「随分すんなりだな」

「…………ルミエとのやり取りは結局私が折れることが多くなってきましたので」

「なるほど」


 私は淡々と答える。ルミエの目が揺れ、鎧が星明かりに光る。私は次の負傷者に光を放つ。焚き火の煙が鼻をつき、土の匂いが濃くなる。すると、村の外から馬の蹄音が響く。


「馬車? こんな時間に?」

「どちら様でしょうか」

「私が様子を見てこよう。メアリーは下がっていなさい」

「…………いいえ、私も行きます」


 ルミエが剣の柄に手をやり、鋭い目で闇を見据える。私は杖を構え、木の感触を確かめる。馬車から降りた男が、絹の服で広場に立つ。金糸の刺繍が星明かりに光り、羊皮紙を手に持つ。堂々とした声が夜気を震わせる。


「よく聞け! ヴァルテール卿の命によりこの貧相な村にやってきた!」


 ヴァルテール卿? 知らない人ですね。そう思っていたところでルミエが私に耳打ちをする。


「ドランの家名だ」

「…………?」


 ドラン? 知らない人ですね。


「わかっていなさそうだな。こないだから君をつけ回している私兵の飼い主だ」

「なるほど」


 私が一人で納得している所でルミエが一歩前に出ます。


「何の用だ?」


 ルミエが剣を構え、使者を睨む。鎧の軋む音が響き、青い目が星明かりに鋭く光る。使者が羊皮紙を広げ、朗々と読み上げる。


「この村で天使と呼ばれる若く美しいヒーラーよ。ドラン様の屋敷で今一度働く気はないか? これまでの比例は詫びよう。何せ連れてくるようにという命を誘拐と勘違いしていたようだ! どうだ? 金貨ならいくらでも出せるぞ?」


 村人がざわつく。


「天使様を連れ去る気か」

「行かないでくれ」

「それじゃあまた誰も治療をしてくれなくなるのね」

「また貴族か…………」


 私は杖を握り直し、木の感触を確かめながら答える。


「ふむ、金貨ですか。どうでもいいですね」


 使者が目を細め、絹の袖を翻す。金糸の刺繍が星明かりに揺れる。


「ドラン様は拒む者を許さぬ。考え直せ」


 ルミエが一歩踏み出し、鎧が軋む。剣の柄を握る手に力がこもる。


「彼女は王国の民ではない。貴族だからと言って縛れる者ではないんだ」

「な!? でしたら騎士が護るのも過剰でしょう!!」

「訳あって助けを乞うている。故の支援だ」

「ふん! どうなっても知りませんよ?」

「どうにもならんさ。私すら縛り付ける事はできぬ。彼女は自由を謳歌するだろう。誰も阻めることなどできぬ」


 使者が鼻で笑い、馬車に乗り去る。蹄音が遠ざかり、夜気が静まる。村人が私のローブに触れ、呟く。


「天使様、この村にいてくれるのか?」

「ええ、少なくとも。この村がしっかりと治療の行える環境ができるまでは…………」


 感謝の声が響くが、心は動かない。


「メアリー、どうやら貴族たちはヒーラー…………それも若い女性のヒーラーを求め始めたようだ」

「?」

「そうか、わかからないか。実に君らしいな」

「待ってください。何故勝手にわからないと決めつけるのですか?」

「? 顔にそう書いてあったぞ?」

「なんと!? ついに顔に文字が映写されるようになったのですね!?」

「…………アアソウダナ」

「ルミエには文字がでません。遅れていますね」

「ホントソウダナ」


 ルミエが私を称えているのでしょう。淡々とした彼の言葉に少しだけ高揚しました。更に数日、教会から応援の神官がやってきたことでこの村を去る準備を始めます。治療を終え、次の村へ向かう準備をする。馬車の軋む音が近づく。王都からの神官はまだ来ない。なら、私がいる。壁に耳あり障子に目あり、負傷者がいれば私がいる。


「メアリー、次の村でも護衛しよう」

「まだついてくるのですか? 騎士団長はお暇なんですね」

「君は最重要人物だから仕方ないだろう」

「人物って、私は天使ですよ?」


 私は淡々と答える。星空の下、馬車が動き出す。貴族の使者がまた来るかもしれません。でも、私がいる場所は常に負傷者のいるところ。それがメアリー・リヴィエールだから。

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