第6話 戦場の天使は翼をもがれる
ノイグリア帝国軍から逃げて数日後、私は結局戦場から離れることができていませんでした。目撃情報から私の生存は確認されているでしょう。あれからも私は負傷者を見つけるたびに治療をしては追い回される毎日を繰り返していました。夜の風が冷たく、スカイブルーのローブを揺らし、銀髪が顔にかかるのを手で払います。戦場の遠くで響く砲声が、私の耳に届き続けています。
「さすがの天使も疲れ知らずにはなれませんでしたね」
私は隠れ家である洞窟の中で休憩することにしました。崖の下にあるこの洞窟は、中が広くて生活に困りません。私は罠で捕まえた川魚を焼いて、火のそばに座ります。炎がパチパチと音を立て、魚の皮が焦げる匂いが鼻をつく。私は木の枝で魚を刺し、じっくりと焼き上げました。ここで寝食をして過ごす日々は、静かだけどどこか孤独です。
「でも……私がいることで戦争が長引いてしまうのなら、いっそのこと……」
そんな考えも頭をよぎります。ノイグリア帝国軍とアストレア王国軍の争いの原因は簡単ですね。侵略戦争。帝国側が王国の土地を狙って戦争をしているに過ぎません。私は魚を手に持ったまま、少し考えました。火の光が私の顔を照らし、影が洞窟の壁に揺れています。
「戦争を終わらせたいのは……私だって……」
焼き上がった川魚を頬張りながら、パリパリの魚の皮を咀嚼して飲み込みます。苦いな……それからしょっぱい。私は目を閉じて、その味を噛み締めました。人間の争いがこんな味に似てるのかもしれませんね。
「でも……今の私には何もできない。怪我を治すだけ」
焼き魚を食べ終えた私は、木の枝で作ったフォークで木の実の殻を剥いては頬張ります。パサパサした食感だ……やっぱり苦いし、甘い部分も硬くて食べにくい。私は少し顔をしかめながら、それでも口に運び続けました。戦場で癒す以外のことは、私にはできないんでしょうか。
「さて……そろそろ戦場を彷徨いますか……天使としての役目を果たすのです」
私はそう決意して立ち上がります。でも……本当にそれでいいの? そんな迷いが私を支配します。私は杖を手に持ったまま、洞窟の入口を見つめました。外の風が冷たく吹き込んできて、少し震えます。
「天使としての役目を果たさないと……私がここにいる意味は……」
ノイグリア帝国軍に襲撃される前、バルバロッサさんに問われたことを思い出します。私の行動が理想論で、現実は理想とは乖離している。それでも……。
『たとえ望まれなくても……人の命を救い続けます。争いの場から逃れれば、それを正しいと認めたことになる!!! 命の奪い合い? 上等です!!! 私の前で誰かを死なせ……』
『もう誰も私の目の前で死なせはしません!』
……そう、私は言いました。私が治療行為をし続ければ終わると信じた理想論と現実の違いは、もう十分理解しています。戦争の規模が縮小しないのは……私のせい。でも、負傷している人を救わないのは私じゃないから。私は頭を抱え、少し息を吐きました。
「何が正解なのかわからないですよね……私」
私は苦笑しながら荷物をまとめると、隠れ家を後にします。さて、今日はどこに向かおうかしら? そんな時、遠くからこちらに近づいてくる足音に気づき、私は木陰に隠れて息を殺しました。一人や二人じゃない……五人以上いるし……帝国軍? いや……王国軍でしょうか。私はそのまま距離をとって、彼らが通り過ぎるのを待ちます。
「まだこの辺りにいるはずだ!! 探せ!!」
「帝国につく女が逃げるはずがない! 必ずこの近くにいる」
「あの悪魔は生かして帰すな!!」
内容から察するに王国軍ですね。彼らは私を探しているようです。しかし、私は帝国についた記憶はありません。負傷者は確認できませんし、あえて遭遇する必要はありませんね。……隠れ家、気に入っていたのですが、別の場所に移るとしましょうか。私は王国軍の兵士たちをやり過ごすと、そのまま別の隠れ家を探すことにしました。
「それにしても……悪魔ですか……やはり傷つきますね」
その後も途中途中で治療をしていると……近くの平原が大きな戦場と化していました。どうやら王国軍の方が押しているようです。私は木々の間からその様子を眺めました。爆風と叫び声が響き合い、血と泥が平原を染めています。そして、その中にはバルバロッサさんやアストレア王国の騎士団らしき人たちも見えました。
「バルバロッサさん……終わらせたいですよね、戦争」
私が本当にできることは何でしょうか。どちらかの勝利に貢献することだけは絶対にできません。なぜなら、私は侵略行為そのものを悪とは思わないから。だって、国が違えば争って当然でしょうね。私は少し目を閉じて考えます。
これはいわば獣たちの縄張り争いです。人間には知性と理性があると言いますが、その結果がこれなら……まだ足りていないのでしょうね。仕方ありません。所詮我々は知性と理性の発達した獣なのだから。私は苦笑しました。
「獣が本能に従って争うなら……天使だって本能に従って癒していいはず」
私は爆風や矢、魔法が飛び交う戦地に足を運びます。平原の中心に向かう私のローブが風に揺れ、足元の草が血で濡れていました。私は杖を握り直し、決意を固めました。
「っ!! 天使だ!!」「悪魔が戦場に来たぞ!!」「あいつ何しにきやがった!」「邪魔ものが!!!!」「先に殺してやる!!!!!」「戦場を荒らす化け物が!!!!!!」
帝国軍兵士が私に斬りかかりますが、当然防御結界で防ぎます。光の膜が剣を弾き、その直後、私に火球が飛んできました。帝国軍兵士が燃焼し始めます。王国軍側の魔法使いのようですね。私は目を細め、状況を見ました。
私は私に斬りかかった兵士を結界の内側に入れて治癒魔法を使い、彼の治療を始めました。誰もが固まりましたね。戦場の真ん中で治療行為を始めたのです。私は彼の焼けた皮膚に光を当て、痛みを消していきます。
「何をやっているのだ、あの女は……」「悪魔が天使の真似事を……」「いや……あれは治療だ」「ここは戦場だぞ」「あいつ、自分に斬りかかった男を治療しているのか?」
私の周囲にはいつのまにか見物するように人が集まります。治療を終えた帝国兵は……私をまるで悍ましいものを見るように見ていました。そんなに……そんなに私が悍ましいですか? 私は少し胸が締め付けられるのを感じました。
ちょうど防御結界の持続時間が切れます。さて……次の負傷者の所に向かおう。私は歩きます。戦地に負傷がいない訳がありません。私が動き出して数秒。呆気に取られていた両軍は再び私に襲い掛かります。……これでは共通の敵ですね。私は少し苦笑しました。
「……しかし前線は負傷兵が少ないですね……すぐに下げられているのでしょうか」
私はこの平原の中心に立つと……平原全体を対象に範囲治癒魔法を使いました。両手から放たれた光が広がり、平原全体を包み込みます。私は目を閉じ、その力を感じました。
「な、なんだこの光は!!」「身体から痛みが消えた!?」「傷が……癒えていく」「これが戦場の悪魔……いや、天使か?」
私がこの平原に広がっていた光が消えると、そこには……無傷の両軍と、全ての負傷兵が治癒されていました。何が起こったのかわからず呆然としている帝国軍に対して、王国軍の人たちは歓喜します。
「なんだあの範囲魔法は!?」「すごい……傷が治った」「これでまた戦える!」
……戦える? まだ戦おうというのか? 貴方は……また痛い目にあいたいのか? ……そこまでして……領土を守らないといけないのですか? 痛みより大事なものですか? 命よりも尊いものですか? 私は彼らの歓声を聞きながら、胸が冷たくなりました。
でも、彼に戦意を与えたのは……まぎれもなく私だと理解できました。治癒した兵士が争いを始める決定的瞬間は……今日初めて見たかもしれません。ああ、私はまさに……悪魔だ。私は目を閉じて、その現実を噛み締めました。人間って、こんなにも争いが好きなんでしょうか。
私は歩いていきます。私なんて気にしない者もいましたが、私はどうすることもできないと判断されたのか、攻撃は飛んできません。……私はそっとこの戦場を無暗に引っ掻き回すことを止めることにしました。……私を必要とする場所が戦場じゃなかった。それだけだと信じて……。
私は平原の端まで歩き、振り返りました。戦場は再び動き出し、叫び声と金属音が響きます。私は杖を手に持ったまま、小さく呟きました。
「人間を救いたい。苦しんでいる人を助けたい……その気持ちを、どこに向ければいいんでしょうか」
私は戦場を背に歩き出しました。もうここにはいられませんね。でも、どこかで誰かが苦しんでいるなら、私にはそれを放っておけない気持ちがある。それをどうすればいいのか、私はまだわかりません。
序章 完
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