第8話
真田は腰を低くすると、ストームトルーパーも構えた。当たるほど顔を寄せ合って、互いを睨んでいる。ストームトルーパーの表情は見えないので真意はわからないが、一言も発さない様子から真剣なことが窺えた。いよいよファイトが始まろうとしている。
この場に行司はいない。勝敗を判断するのは野次馬だ。いまの時刻は十九時過ぎ。スタートの合図がどこからともなく出た。「やっちまえー」との声だった。
その直後、彼らは激しくぶつかった。互いに躊躇のない一撃だった。ストームトルーパーのアーマーと真田の筋肉が衝突する音が聞こえた。衝撃はよほど大きかったようで、ストームトルーパーの肩を覆っていた部品が砕け散り、地面を跳ねて僕の右隣にいる音々のもとに落ちた。音々は黙って拾い上げると、なぜか「あげる」と言って右隣の日和に渡した。
「いらないよ、そんなの」と日和は断ると、また右隣の隆介に渡した。
「おれだっていらないよ、そんなの」と隆介も断るが、右隣にいるのがパンダのコスプレをした人だったので、なくなく諦めていた。
ファイトが始まってからしばらく経った。依然として彼らは抱き合うような形で押し合っている。真田は相手の背中のアーマーを掴みながら、必死で持ち上げようと試みている。だがストームトルーパーも懸命に抵抗していて、真田の太ももに腕を伸ばしカウンター攻撃を狙っている。戦力は意外にも拮抗していた。
もしかしたら、相手も格闘技の経験があるのかもしれない。あれだけ日常的に戦いに飢えている真田と互角に渡り合うということは、よほどの能力を持っているに違いない。たぶん。
このファイトは路上で行われていることもあって、一般的な土俵が存在しない。先ほどのファイトを見るに、土俵から押し出したりその場に手をついたりしても勝敗は決しない。そして、タイムリミットもない。どちらかがギブアップするまで勝負は終わらない。だからいまのまま押し合うだけでは、日が暮れてしまう。どちらが先に勝負を仕掛けるかが、勝敗を分けるポイントとなりそうだ。
動きが止まっていた中で、先に動いたのはストームトルーパーだった。真田に掴まれていたアーマーをトカゲの尻尾のように切り離すと、体勢を立て直すためか少し下がった。そして腰を低くし、タックルを繰り出す。
驚いた真田は急いで避けるが、ストームトルーパーはその場を百八十度切り返し、またタックルした。
真田は背中から喰らってしまい、その場に倒れ込んだ。「ぐげえ」と痛みの声を発している。野次馬からは歓声が湧いた。ものの数秒で、一気に追い詰められてしまった。
真田は関節技を喰らい、抑えつけられた。苦痛のあまり顔を歪めている。腕や足をじたばた動かし、どうにかして抜け出そうともがいていた。しかし痛みの限界がきたのか、助けを求めようと顔を周囲に動かしている。そうしていくらか顔を動かしたあと、偶然僕たちと視線がぶつかった。
真田はこのとき初めて日和や音々の姿を認識した。彼は驚愕の顔を浮かべるが、苦痛のせいであまり余裕がないようで、何も言わずに抵抗を続けた。すると突然、「うおおお」との声を上げた。日和の顔をじっと見ながら、必死でもがく。
僕が思うに、日和の存在を認めてしまった以上、恋人に弱いところを見せたくなかったのかもしれない。日頃の筋肉自慢を空虚なものにしたくなかったのだろう。
真田は全身の筋肉を使いながら、はちきれんばかりの力を総動員し、抗った。そして最後の力を振り絞り、馬鹿力を発揮した。その衝撃に相手が弾け飛んだ。
形勢逆転した真田は急いで立ち上がる。すると野次馬からさらなる歓声が起こった。
真田は周囲を見回して、喜びの笑みをこぼしていた。日和に顔を向け、自慢げな表情を見せる。かくいう日和は「たはは」と苦笑いを浮かべ戸惑っていた。二人の間には大きな温度差があるようだ。
真田は顔を戻すと、仰向けに倒れるストームトルーパーを見下ろした。相手は「ちくしょー」と悔しがっている。真田は数刻何かを考えたあと、相手の上に馬乗りになった。
「いだあい」とストームトルーパーは苦しそうな反応をした。
真田は余裕たっぷりに右腕をゆっくりと振りかざした。そうして相手の顔面を殴るのかと思いきや、突然「裸になれくそがー」と叫び、胸や腹のアーマー部分を剥がし始めた。胸と腹の部分の下には黒いタイツが見えた。どうやらストームトルーパーのコスプレは、全身タイツの上にプラスチックでできたアーマーを貼り付けているだけの非常にチープなつくりをしているらしい。真田の手によって徐々にアーマーが剥がれていくと、筋肉の大きな男の体つきが見えてきた。その体つきからして、やはりこの男も何か特別な訓練をしているのが窺えた。
真田はアーマーをほとんど剥がし尽くしたところで、「顔だけはやめてー」との声がストームトルーパーだった男から発された。彼はもうストームトルーパーではなかった。
「なんでだ」
それにストームトルーパーだった男は「高いからだよお」と泣きそうな声で頼んでいる。いままでされるがままだったのに、そこだけは譲れない望みのようだった。確かに他の部位と比べると、マスクだけは精巧に作られているように見える。正規品なのかもしれない。
真田も正義を自称する以上、相手の懇願を無視するつもりはないようだ。手を止めて、攻撃を終えた。結果的に男は顔がストームトルーパー、体が全身タイツという奇妙な姿になった。
「なんか、凄い」と隣で音々は興奮している。目の前の出来事に釘付けの様子だった。よくわからない反応である。
ストームトルーパーだった男はもうすぐ十一月になる時期としてはあまりに薄っぺらいタイツで、とても寒そうだった。寒さに体を震わせながら、腕をひらひらさせて「降参します」と言った。ようやく決着がついた。
周りの野次馬が騒ぎ始めた。さぞかし大きな歓声が上がるのかと思いきや、その騒ぎ方は期待通りのものではなかった。
どこからか「ちょっと何してるの」との声がはっきりと聞こえた。野次馬がいきなりモーゼの海のように開き、多くの人々がその場を去リ始める。先ほどまで完全な円を作り真田たちを囲っていたのに、一瞬にしていつもの路上に戻っていく。何だろうと思い僕は振り向くと、そこには三人の警察官がいた。隣には通報者と見られる男性が付き添っている。
真田は急いでストームトルーパーだった男の上から立ち上がり、手に持つアーマーを背中に隠した。「何もしていません」と言い訳する。
「何もしてないことはないでしょー」と背の高い警察官が言いながら指をさす。「いまその人の上に乗ってたじゃないの」
ストームトルーパーだった男は苦しそうにお腹を抑えながら、ゆっくり立ち上がった。
どうやら最悪の事態は警察にも目撃されていたようだ。
真田は取り繕うべく首をぶんぶん横に振る。しかし口では「確かに乗ってました」と言った。焦っているせいか行動と発言が矛盾している。
「素直に認めるならいいよ。詳しい話はあとで聞かせてもらうから。それで、そこのタイツの君はどうしてこうなったの」
そうして警察官はストームトルーパーだった男を立ち上がらせ、話を続けている。
真田は「ちょっと」と口を挟もうとしているが、その余地すら与えられない。
警察官は「あとにしてくれる?」と言って聞く耳を持たなかった。
これから真田とストームトルーパーだった男は、交番か警察署に連れて行かれるのだろう。そこで、何があったのか詳しく事情を聞かれる。これはだいぶまずいことになってしまった。これは警察沙汰というやつだ。
真田はこれから何が起きるか怯えながら、呆然と立ち尽くしている。そんな背中を眺めながら僕は、先ほど真田が言ったセリフを思い出していた。ちょうどいい機会だと思い、告げ口をするため音々と日和の肩を叩く。「そういえばさっき、真田がハロウィンの日の渋谷に集まる人たちのことを、ウジのように集まってくる馬鹿どもって揶揄してた」
日和は驚いて僕のほうを見てくる。「なにそれ、幸広そんなこと言ったの?」幸広というのはつまり真田のことである。
僕は頷く。「そんなことを言ったあと、こうしていきなりストリートファイトしだしたんですよ」
それを聞いて日和は肩を落とした。「もう最悪」と言って顔を両手で覆った。
隣で音々がリップロールをし始めた。音に抑揚をつけてぶうんぶうんと奏でている。その音はまるでハエの羽音のようだった。というか明らかにハエの真似をしている。
それは真田の耳にも入っていたようで、「やめろおおお」と頭を抱えていた。
そのタイミングで背の高い警察官が「じゃあ、十九時三四分現行犯ね」と言った。それから尻に入った手錠を取り出して、真田の腕を掴んで手首に掛ける。ついに真田は逮捕されてしまった。
ストームトルーパーだった男のほうはというと、逮捕される気配がない。警察官に肩を支えられ、むしろ丁重に扱われているように見えた。どうやら被害者と見られているらしい。警察官が現場に来た時点では、真田に乗られている立場だったので、仕方ないのかもしれない。
とはいえ彼奴も悪いことは僕らも知っているから、警察に証言をするべきだろう。と思ったが、警察官三人は真田とストームトルーパーだった男の背中を押して、さっさとパトカーに乗せて行ってしまった。あっという間の出来事で、呼び止めることもできなかった。
走り去っていくパトカーを僕はじっと眺める。先ほどまで周りにいた野次馬の姿はすでになく、僕と隆介ら四人だけが路上に残った。
隆介が最初に口を開いた。「おれら一応目撃者なんだけどなー」
「なら目撃者として付き添えば良かったのに」と僕は反論する。
「それはそうなんだけど、警察署に行くのはちょっと抵抗あるし」
「確かに」僕は素直に同意した。事の次第を第三者の視点から証言することもできるが、警察のお世話になるのだけは勘弁したかった。つくづく僕らは真田に対して冷たかった。だがこれも友情の一つである。友人ならば、悪いことは悪いと示してあげるべきだ。もとはと言えば真田が勝手にストリートファイトに参加したのだから、こっちが割を喰ってまで証言をする義理もない。
とはいえ真田がしたことといえばストームトルーパーのアーマーを破壊した程度なので、ストームトルーパーだった男と真田が事情を話せば刑事事件まではいかないだろう。たかが数時間、警察に事情聴取されるだけなら大した罰でもあるまい。
とはいえ日和は事の成り行きが気になるようで、「牢屋に入れられちゃうのかな」と心配している。
「決闘罪かな」と僕は冗談のつもりでぼそっと呟いた。
それに隆介は「まさにストリートファイトって感じの罪名」とくすっと笑う。
「ちょっとひどーい」と隣で音々が僕と隆介の肩を小突いた。かくいう音々も若干にやけた顔をしているが、あえて指摘することはなかった。
僕たちのハロウィンは、だいたいこんな感じに終わった。
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