第3話 文化祭の足音と、揺れる心


 昼休みを告げるチャイムが、午前の授業の気だるさを吹き飛ばすように鳴り響いた。

 ​ 途端に教室は解放感に包まれ、生徒たちは思い思いの場所へと散っていく。


 弁当組、学食ダッシュ組、購買部争奪戦組。

 ​ 俺は大きく伸びをしながら、さて今日の昼飯はどうするか、と財布の中身をぼんやりと確認する。

 学食のA定食は昨日食ったし、購買の焼きそばパンは売り切れ必至だ。


 ​ 一人、席でぐずぐずしている俺の思考をさえぎるように、二つの影がデスクの横にぬっと現れた。


​「大ちゃーん! お昼にしよー!」


「大ちゃん、待たせちゃったね」


 ​ 太陽みたいに明るい声と、少し控えめだけど心地よい響きの声。

 教室の入り口に現れたのは、もちろん空と海だった。

 ​ 二人が入ってきただけで、むさ苦しい男子だらけの俺のクラスの空気が、ぱっと華やぐのを感じる。

 あちこちから「お、藍井シスターズだ」「緑野のヤツ、また迎えに来てもらってやがる」と、羨望せんぼう嫉妬しっとの入り混じったヒソヒソ声が聞こえてくる。


 ​うるさい、ほっとけ。こちとら生まれた時からの付き合いだ。


「おー。今日はどうする? 学食か?」


 ​ 俺が立ち上がりながら言うと、空が待ってましたとばかりに、何故か背中に隠し持っていた包みを「じゃじゃーん!」と効果音付きで掲げた。


​「ふっふっふー。今日はね、中庭でお弁当にしよーよ!」


「私、お母さんに頼んで、ちょっと多めに作ってもらったんだ。大ちゃんの分も、ちゃんとあるよ」


 ​ 海がこくりと頷き、ごく自然な仕草で俺の腕を軽く引いた。

 柔らかい感触と、ふわりと香るシャンプーの匂い。

 ……おい、海、お前、その仕草は反則だろ。教室中がこっち見てるぞ。


​「お、おい、腕組むな! 周りが見てる!」


「え? 別にいいじゃん、いつものことだし」


「そうだよ、大ちゃん。早く行かないと、良い場所なくなっちゃうかも」


 ​ 空も反対側から俺の腕を取ろうとする。

 結局、俺は校内でも一、二を争う美少女として有名な双子に両腕をがっちりホールドされる形で、教室中の男子生徒の怨嗟えんさの視線を背中に浴びながら、廊下へと連行される羽目になった。


 ​ ……これが、俺が「彼女いない歴=年齢」を更新し続ける、最大の理由である。

 こんな「鉄壁のガード」が両脇にいたら、どこのどいつが俺にアプローチできるっていうんだ。

 ​ 

 結局、俺たちが向かったのは、学食ではなく、少し離れた中庭だった。

 昼休みの喧騒けんそうから逃れた、日当たりの良い芝生の上。

 海が慣れた手つきでレジャーシートを広げると、空が今度こそ「満を持して!」と、大きな重箱を取り出した。


 ​ 蓋を開けると、そこには彩り豊かなおかずがぎっしりと詰められていた。

 ふっくらと黄金色に輝く卵焼き、つややかなミニトマト、緑鮮やかなブロッコリー、そしてメインディッシュであろう、見るからに美味しそうな鶏の唐揚げ。


「うおっ、すげえな! これ全部、おばさんが作ったのか?」


「ううん、今日の唐揚げは空が揚げて、卵焼きは私が焼いたんだよ。……あ、ちょっと焦げちゃったのあるけど、気にしないで」


 ​ 海が少し照れたようにはにかむ。


 こいつ、自分の得意料理になると途端に謙遜しやがる。


「へぇ、やるじゃん二人とも。特に海の卵焼きは絶品だからな」


 ​ 感謝を込めて、ふっくらとした卵焼きを一つ口に放り込む。

 うん、甘すぎず、しょっぱすぎず、出汁だしの効いた絶妙な味付け。これだよ、これ。


「あー! 大ちゃんずるい! 私の唐揚げも食べてよね! これ、昨日からちゃんと下味つけて、二度揚げした自信作なんだから!」


 ​ 空が負けじと、揚げたての唐揚げをはしで掴み、俺の口元に突きつけてくる。


​「わ、わかった、食うから! 近い!」


 ​ 三人で弁当をつつきながら、本題である文化祭のクラス展示について話し合った。俺たちのクラスは、手作りのプラネタリウムに挑戦することになっている。


「ドームの骨組みなんだけど、もう少しこの部分を補強した方が安全かなって思うんだ」


 ​ 海が広げた手書きの設計図を指差しながら、真剣な表情で提案する。

 こういう細やかな部分によく気がつくのが、海のすごいところだ。


「いいね! それとさ、星座の説明! ただ読むだけじゃつまんないから、もっと面白く、ちょっとした物語仕立てのナレーションを入れるのはどうかな? 私、台本考えてみるよ!」


 ​ 空は目をキラキラさせながら、次々とアイデアを口にする。

 彼女のその明るさと、周りを巻き込む発想力が、クラス展示の推進力になっているのは間違いない。

 ​ 俺は二人の意見を聞きながら、骨組みの材料調達や、ドームを暗くするための暗幕の手配といった、一番面倒くさい実務部分を引き受ける。


 昔からそうだ。空が「あれやろう!」と突っ走り、海が「でも、ここはこうしないと」と軌道修正し、俺が「はいはい、わかったよ」と後始末しりぬぐいをする。


 ​ このバランスが、なんだかんだで心地良い。


 二人とこうして一つの目標に向かって協力している時間は、なんだか不思議な感覚だった。


 幼馴染みとして、家族同然に当たり前に過ごしてきた時間とは少し違う、特別な種類の空気が流れているような気がする。


 ​ 空の、見ているこっちまで元気になるような太陽みたいな屈託のない笑顔。


 ​ 海の、設計図を覗き込む真剣な横顔と、ふとした時に俺に向ける優しい眼差し。


 ​ それぞれの魅力に改めて気づくたびに、俺の心臓が小さく、でも確実にトクン、と音を立てる。


 ​ なんだろう、この感じは。ただの幼馴染みだって、そう思ってきたはずなのに。


「……あっ、大ちゃん、唐揚げ、口の端にご飯粒ついてるよ」


 ​ 不意に海が顔を近づけ、そっと指で俺の口元を拭った。

 ​ そのあまりにも自然な仕草に、俺は思わず息を呑む。


 ​ 柔らかい指先の感触。


 ふわりと香る、さっき腕を引かれた時と同じ、海愛用のシャンプーの匂い。


 近すぎる、海の瞳。


 ​ ドクンッ!!


 ​心臓が、今度は破裂しそうなほど大きく跳ねた。


「あ、あぁ……悪い、サンキュ……」


 ​しどろもどろになりながら礼を言う俺を見て、空がニヤニヤしながらからかう。


「もー、大ちゃんったら子供みたいなんだから。海がいなかったらどうするのよ?」


 ​ その笑顔はいつも通りのはずなのに……

 なぜか、ほんの少しだけ、その声がねたように聞こえたのは、気のせいだろうか。


 ​ あれ? なんか今、空もちょっと頬が赤い……?


 ​ 文化祭の準備が本格化すれば、三人で過ごす時間はこれからもっと増えていくだろう。


 ​ それは嬉しいことのはずなのに、同時に、今まで感じたことのない種類の戸惑いが、俺の中でじわじわと大きくなっているのを感じていた。


 ​ 遠くで、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。


 ​ 空になった重箱を片付けながら、俺は小さく溜息をついた。


 ​ この、胸の中でざわめき始めた気持ちに、俺はどう向き合っていけばいいのだろうか。


 ​ 答えは、まだ青い空の下、見つかりそうになかった。


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