空の魔女と魔女狩りのドラゴンも喰わぬような痴話喧嘩

かみひとえ

それは実に些細な

「翔太、右前方に高速移動体を確認しました。魔女リュシアの可能性が99.8%です」


 高度12000メートル、マッハ3.6。機内に響く人工頭脳・A.01、通称、アオイの冷静な声。翔太は目を細め、視界の端に小さな光点を捉えた。それが、かつての恋人リュシアであることに疑いの余地はなかった。


「行くぞ、アオイ」


「了解。追尾ルートを計算中です。再会成功確率68.4%」


「……おいおい、再会なんて、ずいぶんロマンチックな言い方じゃないか。俺とリュシアはもうそんな関係じゃないぞ」


「翔太、感情的にならないよう忠告します。目標は魔女リュシア、公式には敵対勢力です」


「わかってるよ」


 翔太はアオイに感情を読み取られないように無理やり無表情を装った。リュシアが敵だと? 確かに今の立場ではそうだが、彼女が本当の意味で人類の脅威だと信じる気にはなれなかった。


「……冷静だよ、俺は」


 そう答えた瞬間、通信機から不意に別の声が割り込んだ。


「あら? ずいぶん可愛らしい相棒じゃない、翔太」


 その声に翔太の動きが一瞬止まる。


「リュシア……お前、傍受してたのか? 盗み聞きなんて悪趣味だぞ」


「アンタ達ったら、やたらと大声で話してたからね。……ホントに耳障りなくらい」


 リュシアの挑発的な声に、翔太はやれやれと肩をすくめる。


「で、わざわざ通信まで繋げて、何が言いたいんだ?」


「その人工頭脳……アオイとか言ったかしら? ふーん、随分仲が良さそうじゃない」


「ああ、アオイは頼れる相棒だよ。そりゃ、俺にとっては大事な存在だ」


「へえ……」


 リュシアの声が少し低くなる。その瞬間、魔力の光弾が翔太の戦闘機に向かって放たれた。全く容赦のない攻撃、当たれば墜落は免れないだろう。


「ちょっ……お、おい! 嫉妬していきなり攻撃してくるか!?」


「別に嫉妬してるわけじゃないけど!?」


「いやいや、今の攻撃は完全にそうだろ。つーか、嫉妬してる奴ほどそう言うんだよ」


「だから嫉妬なんかしてないって言ってるでしょ!」


 彼女の声が少しだけ上擦るのを聞いて、翔太は思わず吹き出しそうになった。


「は? 何笑ってるの? ふざけないで!」


 怒りを込めて、リュシアはさらに魔力を込めた光弾を連射する。さっきよりも威力と殺意が増している気がする。それを翔太は機体を旋回させながらギリギリで躱した。


「おいおい、勘弁してくれよ! アオイと手取り足取り操縦してるこっちの身にもなれ!」


「その女、アンタもろともぶっ壊してやる!」


 激しい魔力の攻撃を避けながら、翔太は内心苦笑していた。リュシアは、昔から感情を隠すことなく表に出す。何を考えているのか、実にわかりやすい。


「つまり、魔女リュシアは、翔太と私との親密な関係性に嫉妬しているのですね」


「話が拗れるからアオイはちょっと黙っててくれない?」


 変な知識がついてしまったアオイを戒めるように無理やり機体を反転、リュシアの後ろを取った戦闘機は最大限の出力でリュシアを追い詰めるが、彼女はふわりとその長い黒髪を舞い上げながら背中から光の翼を広げ、まるで風そのものになったかのように縦横無尽に飛び回る。


「……まるで読まれてるみたいだ」


 翔太は人の限界ギリギリの重力圧に歯を食いしばりながら、目の前の「敵」を追い続ける。だが、彼女の動きは圧倒的だった。


 ぼろぼろの黒いローブをはためかせるリュシアは超高速度で空を飛びながら空気の流れを操り、一瞬で彼の死角に入り込む。次の瞬間、魔力の刃が戦闘機の尾翼をかすめた。


「尾翼の装甲に軽微な損傷。戦闘には問題ありません」


 アオイの声と警告音がコックピット内に響く。だが翔太は冷静に操縦桿を引き、急上昇で距離を取る。


「逃がさないわよ、翔太……!」


 リュシアは杖を振り上げ、無数の魔力弾を生成する。それらは流星のように翔太の機体に向かって降り注いだ。


「くそっ、こんなの避けられるかよ!」


 翔太は機体を左右に急激に振りながら回避行動を取るが、魔力弾が次々に戦闘機をかすめ、装甲に焼け焦げた跡を残す。


 しかし、彼は一瞬の隙を突いて彼女の背後に回り込むことに成功する。


「ターゲットロック……よし!」


 翔太は機関砲を発射し、弾丸の嵐がリュシアに迫る。だが彼女は、すんでのところで回避するとともに、防御魔法を展開。直撃するはずだった弾丸は全て彼女の目の前で弾かれた。


「甘いわ、翔太!」


 リュシアは後方宙返りのような動きで彼の戦闘機の真上に出ると、杖を掲げて大きな魔法陣を展開する。その中央から、巨大な魔力の槍が生成される。


「これで終わりよ……!」


「なあ、リュシア、まだあのコップのこと怒ってるのか?」


「……は? そんなわけないでしょ」


 そう言いながらも、翔太が操縦する戦闘機に照準を合わせるように右手をかざすリュシアの姿勢がかすかにぶれたのを、彼は見逃せなかった。やっぱりか、思わず小さく吐息。


「何度も謝ったじゃないか、ごめんって。それに新しいやつも買ってやったのに」


「そういう問題じゃないの……」


「は? なんて言ったんだ? 聞こえなかったぞ」


「あれは、翔太がくれたはじめてのプレゼントだったの!」


 そう言い放ったリュシアの魔力が、再び弾幕となって翔太を襲う。翔太は必死にそれを躱しながら、心の中で呻いた。そんなことで、なんて、今この状況ではとても口には出せないだろう。


「微笑ましいですね、痴話喧嘩って」


「……ねえ、アオイさん、今の状況判断できてる?」


 二人の息詰まるようなドッグファイトの中、空が突然震えた。重低音が響き、二人の周囲の空気が異様に重くなる。


「……この音!」


「翔太、警告。高エネルギー反応を検知しました。未確認大型生物を検知。推定サイズ全長200メートル以上、推定質量500トン以上。目標識別結果……99.9%の確率で“ドラゴン”と判明」


「はあ!? このタイミングでドラゴンだと!? 今は魔女狩りの時間だろうが!」


「警告:攻撃力は機体防御性能を大幅に超過。回避推奨」


 鳴り止まない警告音と、無機質なアオイの声に、翔太はほとんどパニックになる。いくら、人類の飛行技術が進歩して、戦闘機によってドラゴンを討伐できるようになったといっても、それは、飛行大隊が一斉に出撃してようやく倒せるようなレベルだ。


 たった一機では、ドラゴンから人類を守っていた空の魔女の役割を完全に担えるわけではない。


 しかし、それでも。


「ドラゴンは全人類の生存率を著しく低下させた最強クラスの脅威です。撤退を推奨します」


「撤退だと? 今さら逃げられるかよ!」


 翔太の後ろには彼が守るべき故郷が、帰るべき家が、大切な家族が、そして、かつては愛し合っていたはずのリュシアがいるのだ。ここで逃げるわけにはいかなかった。


「推奨を拒否した場合、生存確率は12.3%。ただし、リュシアとの共闘を仮定すると、確率は34.7%に上昇します」


「は? リュシアが協力してくれる保証なんてあるのか?」


「それは翔太の方がよくご存知かと。魔女は高度な魔力を有し、ドラゴンに対抗可能な唯一の存在。感情的要素を除けば、最適な選択肢です」


「感情的要素って、お前……!」


「翔太、感情に囚われる時間はありません。ドラゴンが攻撃態勢に移行しました。直ちに行動を開始してください」


「リュシア、一時休戦だ!」


「言われなくてもわかってるわよ!」


 ドラゴンは空さえも震わせる咆哮を上げながら、二人に向けて炎のブレスを吐く。その莫大な熱量だけで周囲の空気が歪み、翔太の戦闘機の警告音が鳴り響く。


「くそっ、化け物め!」


 翔太は急上昇で炎をかわしつつ、ミサイルを放つ。しかし魔力を帯びたドラゴンの鱗に弾かれて、爆発は無力に消えた。


「普通の攻撃じゃダメよ! 弱点を狙って!」


 リュシアが魔法陣を展開し、光の矢を放つ。しかしそれもまた、ドラゴンの巨体に吸い込まれるように霧散して消えていく。


「目を狙うしかないか……!」


 翔太はそう呟き、機体をドラゴンの正面に向けた。その動きに気づいたリュシアが、少しだけ目を見開く。


「翔太、何してるの! 近すぎる!」


「お前が決めるチャンスを作るんだよ!」


 翔太は低空飛行でドラゴンを引きつけるように飛び回った。巨大な翼の風圧が機体を揺らす。警告音が鳴り止まない。だが、彼の狙い通り、ドラゴンの金色の瞳が彼に集中する。


「今だ、リュシア!」


 リュシアは杖を振り上げ、空中に巨大な魔法陣を描いた。その中心から放たれる一筋の光が、ドラゴンの瞳を貫く。


「やった……か!?」


 だがドラゴンはなおも撃墜されず、目を潰された怒りに尾を振り回して翔太の戦闘機に叩きつけた。


「翔太!」


「クソッタレ!!」


 機体は制御を失い、煙を上げながら洋上へと落下していった。


 ドラゴンの尾の直撃。鋼鉄の翼が軋みを上げ、機体はスピンしながら制御不能に陥る。警告音が鳴り響き、翔太は必死に操縦桿を握りしめたが、もはやどうすることもできなかった。


「アオイ、状況はどうだ!」


「機体制御不能。エンジン損傷率85%。私のことは忘れて、直ちに脱出を推奨します」


「くそっ……!」


 戦闘機が一気に下降を始め、翔太はすぐに操縦桿を握り直した。警告音が耳をつんざき、目の前のモニターに無数のエラーが点滅している。機体が制御を失い、洋上に向かって急降下していく中で、翔太は必死に操縦を試みる。


「アオイ、データをかき集めろ! 脱出装置を起動できるか?」


「警告。脱出装置は機能しません。生存確率は低下しています。推奨行動──」


「それはわかってる!」


 翔太はアオイの言葉を遮ると、操縦桿をさらに強く握りしめた。


「おい、リュシア! 俺の声が聞こえてるか? この機体はもうすぐ墜落して爆発する! 早く逃げろ!」


「アンタはホントにバカなの?」


 しかし、翔太の必死の訴えに反するように、リュシアが突然、翔太の隣に現れた。彼女の目は冷静そのもので、杖を構えていた。


「そのまま動かないで!」


「リュシア!? お前、何を──」


「いいから翔太は黙ってて! おい! ワタシを中に入れなさい、このポンコツ女!」


「しかし、他の女を連れ込むのは」


「アオイはそういうのどこで覚えるの!?」


「何をしてるの、早く開けなさいよ!」


「ここは修羅場か?」


 アオイが不服そうに戦闘機のコックピットの扉を渋々こじ開けると、リュシアはその隙間に身体をねじ込む。


「……まさかこんなふうにアンタの隣にまた座ることになるなんてね」


「はは、狭いソファで一緒に映画でも観れれば最高だったのにな」


「その時はコーヒーを淹れるための可愛いコップも用意してよね」


「え……?」


 翔太がリュシアの方を見ると、彼女はすでに杖をかざしながら、魔法を準備しているのがわかった。しかし、彼女の目の奥には明らかに焦りが見えている。


「おいおい、まさか、リュシア、これ以上魔力を使わせたらお前が持たないんじゃないのか!?」


 翔太は必死に警告するが、リュシアがそれに応じるはずがなく、彼女はひたすらに戦闘機の前方モニターを見つめている。


「アンタが無駄に時間をかけるからこうなったのよ! ワタシが支えるから、アンタは操縦に集中して!」


 リュシアが言うが早いか、すでにその魔力を解き放つ。戦闘機の周囲に輝く魔法陣が現れ、強力な魔力が機体に吸い込まれていく。瞬時に戦闘機の動きが少しだけ安定する。しかし、依然として墜落の危機は去っていない。


 翔太は再び操縦桿を握り、機体を操縦しながらリュシアに目を向ける。


「リュシア、無理だ! 早く逃げるんだ!」


「うるさい! アンタはいつもワタシのことばっかり! 少しはワタシにわがままのひとつも言ってみなさいよ!」


 リュシアは鋭い声で言い返し、杖をさらに強く掲げた。魔力が増幅し、戦闘機全体を包み込むように流れ込んでいく。


 翔太は真剣な眼差しでリュシアを見つめ、ため息まじりに苦笑すると再び操縦に集中した。


「オーケー、わかったよ、リュシア。キミの魔力で俺たちを支えてくれよ。俺が操縦を引き受けるから」


 リュシアはその言葉を受け、深く息を吐いた。


「いいわ。お互いの役割を果たすのよ。だけど、俺たちってのは気に入らないわ」


「ホントにゴメンって」


 魔力と機体の制御が噛み合いはじめる。リュシアの魔力が翔太の操縦を補完し、機体は急激な動きから抜け出し、最終的に急降下を緩和しながら水面に近づいていく。


 翔太は息を呑んで、最後の調整を行った。リュシアの魔力で機体が支えられ、彼の操縦で機体の速度が減速する。水面が迫る中、翔太の目が真剣そのもので、リュシアはその横顔を見守っていた。


「あと少しだ、リュシア!」


「集中しなさいよ、まだ終わってないんだから!」


 機体はギリギリで水面に接触し、衝撃を最小限に抑えながら不時着する。大きな波を立てながら、翔太の戦闘機は水上で停止した。


 リュシアはその瞬間、杖を下ろして肩を落とした。


「ふぅ……なんとかなったわね」


 翔太はヘルメットを外し、隣でリュシアを見て微笑んだ。


「ありがとう、リュシア。キミがいなかったら、俺、今頃どうなってたことか」


「勘違いしないでよ。アンタのためじゃなくて、機体が無駄に沈まないようにしただけよ」


 リュシアは顔を背けながら、少しだけ照れた様子で言った。それを見て、翔太は小さく笑った。


「そうか、でも、ありがとう」


「……ま、いいわよ。でも次からはちゃんとやりなさいよね」


 リュシアの言葉に、翔太は頷きながら、再び外の景色を見つめた。


 そこには、さっきまでのことなんてなかったような、静かな海とドラゴンの巨体と、晴れやかに澄んだ青い空が広がっていた。


「さ、リュシア、俺を部隊のところまで送ってくれない?」


「あら? どうしようかしらね~? 魔女はアンタの敵なんでしょ? そこの可愛くて頭のいい新しい彼女に連れて行ってもらったら?」


「私が翔太を救出できる確率は0%です」


「おいおい、マジかよ。勘弁してくれよ、リュシア」

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