第2話
両開きの扉を開けるとその先は倉庫のようになっていた。
薄暗い部屋を見て電気をつけようとスイッチを探し、ハッとして廊下の天井を見た。
施設内には電灯の類は一つもなかった。
それにしては廊下は随分と明るい。窓から光を取り込んでいるのかと思ったがそういうわけでもないようだ。
何しろ窓の外の霧の世界には太陽がない。今まであまり気にはならなかったがこの死後の世界というのは太陽や電気といった光源には頼っていないらしい。
人工物感丸出しのこの施設においては唯一現世との違いと言えるだろうか。
それならばこの倉庫はなぜこんなにも暗いのか。
その理由はわからないが先ほどの大きな音の正体はここにあるはず。
良く目を凝らしてみると暗闇の中でかすかに動くものがあった。
「あの……誰かいますか」
恐る恐る声をかけると影がビクッと大きく動いた。
暗いとはいえ真っ暗なわけではない。少し時間が経てば目も慣れる。
動いたシルエットは人の物だった。それも髪の長い女性。
その女性は散乱する倉庫の荷物の中に埋もれていて、先ほどの音の正体はその荷物が落ちた時の物だと察した。
「えっと……どなたでしょうか」
そう言って女性はもぞもぞと荷物の山から這い出して来る。
扉から差し込む廊下の光に彼女の顔が晒される。
酷く薄汚れた少女だった。そして、それ以上に目を引き付ける美しさがあった。
歳は恐らく同じくらい。腰まで在りそうな薄い青みがかった長い髪に思わず見とれてしまう。
顔が汚れているのは倉庫のほこりのせいか。
「えっと、職員さんじゃないですよね。なぜここに?」
不思議そうに首を傾げる彼女。俺はハッとして彼女に事の経緯を説明した。
前の世界で死んでしまったこと、目覚めて死後の世界に来たこと、転生の話を聞いてここまで来たこと、待っている途中で大きな音が聞こえて様子を見に来たこと。
俺の説明を聞いて彼女は納得したらしい。
照れくさそうに笑いながら頭をかいて、それから倉庫の中の山のような荷物を指さした。
「あはは……私、少し落ち込んでいて。あの隅のところで沈んでたんですけど、その……自分を戒めるために棚に頭をぶつけてみたんです。そしたら荷物が落ちてきちゃって」
どうやら音はその時の物らしい。彼女を倉庫の外、明るい場所に引っ張り出してみるとどれほどの勢いで頭を打ったのかおでこが少し赤くなっている。
「大丈夫ですか? 血は出てないみたいだけど」
ハンカチを貸そうとして自分が服以外に何も持っていないことを思い出す。
彼女はえへへとかわいらしく笑ってから自分のおでこを擦った。
「大丈夫です。私たち死後の世界の住人はここでは痛みを感じませんので。おでこの後も痛そうに見えるかもしれませんが、そう見えるだけなんですよ」
彼女はそう言って自分のおでこをぺしっと叩く。その言葉の通り本当に痛みは感じていないようだがその姿に最初に見た時よりも活発な印象を受ける。
「転生希望の方なんですよね? すいませんお待たせしてしまったみたいで……。さぁ、早く行きましょう?」
そう言って彼女は俺の手を引いて進みだす。今日はよく手を引かれる日だ。
状況の移り変わりについていけず、彼女に引かれるままに移動する。
廊下を出て先ほどの待合室に出たところでそこにいた職員の目が一斉にこちらを向いた。
さっきまでは忙しそうにしていてこちらに割く余裕などなさそうだったのだがその代わり様に少々驚く。
職員たちは皆一様に動きを止めて、それから声をそろえて言った。
「女神様!」
と。
状況から考えて、その言葉は俺の手を引く女性に向けられたものだろう。
「って、は? 女神様?」
驚きのあまり思わず彼女の手を払ってしまう。
彼女は一瞬キョトンとして、それから状況を理解したように頷く。
「すいません、まだ名乗っていませんでした。これからあなたが向かう世界を管理しています。女神のアリシアです」
そう言って深々と頭を下げる。
俺は面食らいつつ、もう一度女神アリシアをまじまじと見る。
第一印象の通り彼女はかなりの美少女である。そこに疑う余地はなく、事実俺も一瞬目を奪われた。
しかし、女神と言われるとどうだろうか。その言葉から連想する「神々しさ」のようなものは感じられず、どちらかというともっと庶民的な、例えるなら「クラスで一番ではにけどひそかに人気のあるかわいい女子」というような印象を持ってしまう。
その彼女が本当に女神なのだろうか。
「あの……すいません。女神にもなると話している相手が何を考えているのかくらいはだいたい読めてしまうのですが……」
アリシアさんはそう言って口を尖らせる。
どうやら俺のクソ失礼な脳内を読み取ってしまうらしい。やはり本物の女神か。
「す、すいません」
慌てて謝ると彼女はそっぽを向いて
「まぁいいですけど」
と答える。全然よさそうではない。
さらに謝罪をしようとした俺だったが、その言葉は職員の声によってかき消される。
「ずっと探してましたよ女神様! この書置きは一体なんですか!」
俺たちの前に身を乗り出したのは眼鏡をかけた男性の職員だった。
その男性の登場にアリシアさんは何かを思い出したように見る見るうちに青ざめていく。
何の話か分からなかった俺は男性の突き出した紙に目を向ける。幸い俺にも読める文字だった。
そこにはこう書かれていた。
「スキルを人間界に落としてしまいました。責任を取って探しに行ってきます」
と。
♢
異世界転生用施設、通称「天役所」。
その施設の一室に俺はいる。ここは本来異世界転生を希望してきた人に女神がスキルを授けるための部屋らしい。
俺が据わる椅子の向かいには涙目で俯く女神のアリシアさん。その横に立っているのは彼女の秘書、シーバスさんという先ほどの眼鏡をかけた男性である。
話をまとめると事の発端はアリシアさんが女神だけに許された特権で自分の世界を盗み見ていたことらしい。
神、といってもやることはほとんどお役所仕事。異世界転生を希望する人もたどり着く世界が無数にあるせいでそう多くなく、もしもここまで来たとしてもほんの数分で仕事は終わってしまう。
つまりは暇だったらしい。そんな彼女にとって世界の様子を盗みみることはテレビを見るのと変わらないほどの娯楽だったようだ。
そこまではいいだろう。俺が待合室で三十分も待てなかったようにこんな場所で娯楽なしでは息が詰まる。世界の様子を見ることが女神には許可されているのならばそこに文句はない。
問題はその後である。
いつものように世界を覗こうとした彼女はそれができる自分の部屋の鏡面に向かった。
その途中で床に落ちた一枚の紙きれを踏みつけ転倒してしまう。
その時に抱えていた紙の束を鏡面に向けて放り投げてしまったのだそうだ。
ここが少し意外だったのだが、女神が授けるスキルというのはその紙の束のことだったらしい。
その一枚一枚に特別なスキルが記載されていて、ここに来る転生希望者はその紙を受け取りともに転生することで生まれ変わった先でスキルを使えるようになるのだそうだ。
その貴重なスキルの束を彼女は放り投げてしまった。鏡面は人の世界を遥か遠くの空から見守ることができる道具。
紙の束は鏡面の中に吸い込まれ、空中でバラバラになって世界中に散らばってしまったらしい。
「つまり、アリシアさんはスキルを落としてしまったと?」
顛末を聞いた後に彼女にそう確認すると彼女は静かに頷いた。
「この書置きを見て私たちは事の次第をある程度把握しました。急ぎ各世界の神に報告し、姿を消したアリシアさんを捜索していたのです」
とシーバスさんが言う。ここにたどり着いた時の慌ただしさはそのせいだったらしい。
しかし、俺には少し気になることがあった。なぜ倉庫に彼女がいたのか、だ。書置きの言葉の通りならば彼女は人の世界に向かったはず。彼女を探す職員たちも彼女が施設の倉庫にいたなんてことは夢にも思わなかったはずだ。
「女神が人の世界に行くには特別な道具が必要なんです。それを確か倉庫にしまったと思って……でもなくてぇ……」
涙目だった彼女はとうとう泣き出してしまった。その様子は実年齢より幼く見え、可哀そうになる。
助けを求めるように視線をシーバスさんに向けると彼は気まずそうに咳払いをした。
「その道具は以前やらかしてしまった他の世界の神に貸し出していました。倉庫にないことはアリシア様もご存じだったかと。ですから私たちはアリシア様が倉庫にいるとは思わず、道具を貸した神を含む他の神たちに報告したのです。『アリシア様が来てもどうか道具を貸さないでほしい』と」
泣きじゃくるアリシアさんから目を背けてシーバスさんが言った。
アリシアさんは
「忘れてましたぁ」
と更に泣く。もともと無かった神の威厳はその痕跡すら失いもはやマイナスの域に達しているように思う。
そうか、忘れていたのか。
「ちなみに、俺と会った後に平然と俺を案内しようとしてたのは……」
「スキルを落としたのも忘れてましたぁ……新しく転生希望の方が来てくれたのが嬉しくてぇ……」
正直に言うと、この時点で俺の彼女に対する印象は綺麗な女神像から大分かけ離れていた。
普通忘れないだろう、と突っ込みたくなる気持ちを必死に抑える。
その場に気まずい沈黙の空気が流れ、それを消し去るためにシーバスさんがもう一度わざとらしく咳ばらいをした。
「女神アリシア様は聡明で、優しく、慈悲深い神です。しかし、見ての通り致命的に『抜けている』のです。彼女に世界中にばらまかれてしまったスキルをすべて集めることができるとは思えません」
主人、あるいは上司であるアリシアさんを前にしてシーバスさんははっきりと断言した。
「本来ならば私たち職員が総出で回収したいところなのですが、生憎人の世界に干渉していいのはその世界を管理する女神だけと決められています」
嫌な予感がした。
そしてその予感を強めるようにシーバスさんが深々と頭を下げる。
「これから転生するあなたにしか頼めません。どうか、どうか女神さまの代わりに失われたスキルを集めていただけませんか」
その言葉は俺の思い描く異世界人生を大きく変える一言だった。
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