女神は【ぬすむ】と【とんずら】だけで異世界を四十年生き抜いた男を「救世主」と呼んだ。

ドロップ

第一話 殺しの宣告

 イルザは海岸を歩いていた。


 降り注ぐ朝日が、彼女の長いゴールドの髪を輝かせていた。


 彼女は、リューフェルト帝国陸軍の騎士で、軍の要職を務めていた。 


 わけあって、現在は逃走中の身であった。 


 身に着けている鎧は身分の高さをあらわしてはいるが、ボロボロで、ひどい有様だった。

 

 肌の色がよくない。 

 

 何日も食事をとっていない。

 

 体に力が入らない。 


 ──もうダメだ。


 そう思った瞬間、膝が折れた。


 膝はずぶりと砂に深く刺さった。


 顔は、絶望を通り越して無表情だった。


 彼女は、皇帝の息子、コルト皇子のフィアンセであった。


 皇子と結婚できることは誇りだった。なのに……。


 ──まさかこんなことになるなんて。


 ある夜のことだ。


 皇帝親子が密談しているのを、彼女は偶然にも立ち聞きしてしまった。


 皇帝「無事にラウド博士の暗殺が成功した。これで安心してファストマジカを解禁できる」


 コルト皇子「でも、本当にラウドが言ってたようなことが起きるのですか? ファストマジカで人間が魔獣化するなんて……」


 皇帝「人体実験は成功した。再現技術も完成している。あとは国民に拡散するだけだ」


 コルト皇子「では、父の計画は、近いうちに本格始動するということですね」


 皇帝「ああ。ワシが世界の覇者になる日は、そう遠くない」


 ラウド博士の暗殺──。


 イルザの背筋が凍った。


 彼女はラウド博士と交流があったから。


 皇帝「ところでコルト」 


 コルト皇子「なんでしょう、父さん」


 皇帝「お前のフィアンセのイルザだが、彼女はラウドと親交があったそうだな」


 コルト皇子「……いや、そんな話は、聞いたことがありません」


 皇帝「シラを切っても無駄だ。調べはついている」


 コルト皇子「父さん、まさか──」


 皇帝「すまんが、覚悟しておいてくれ。万が一のこともある。ラウドと親交があった以上、生かしておくのは危険だ」


 イルザの心臓がドクンとはねた。


 コルト皇子「…………」


 皇帝「心配するな。女の替えなどいくらでもいる。もっといい女をすぐに見つけてやるから、イルザはあきらめろ」

 

 コルト皇子「…………。わかりました、父さん。いつやるのです?」


 皇帝「一週間以内」


 コルト皇子「…………。父さん、お願いがあります。僕に殺らせてださい」


 皇帝「駄目だ。失敗してはだからプロに殺らせる」


 イルザは、怖くてそれ以上先を聞けなかった。


 立ち聞きを気取られぬように、気配を殺してその場を去った。


 わけがわからなかった。


 なぜラウド博士が暗殺された?


 なぜ私まで口封じで……。


 わかっていることは、皇帝がラウド博士を殺させたこと。


 皇帝は世界の覇者にならんとしていること。


 そのためには〈ファストマジカ〉なるものが必要。


 それは人間を魔獣化させるらしい。


 皇帝はそれを国民に拡散しようとしている。


 ──なんにせよ、ロクなことではない。


 イルザは、とりあえず逃げねばと思った。


 まずは身の安全を確保して、皇帝の目論見について詳しく調べ、必要があれば皇帝の計画を阻止せねば。 


 彼女は、信用のおける仲間を五人集めて、一旦隣国に逃げることを計画した。

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