第3話
『十代の若者に何が歌える?
それをずっと考えている
ずっと考えてるんだ』
面接試験を終え、後日の放課後、神木修司は誓歌高校軽音楽同好会に割り当てられたいわゆる部室に招かれていた。
目の前で伊角は、がさごそと部室を漁り順々に何やら資料のようなもの、古い紙束をいくつも取り出して、机の上に積み上げていった。
「これ、藤堂さんが残した資料」
まず、修司はその量に圧倒された。次にそのひとつひとつに目を向けてみれば、フレアーの歌の楽譜たち、歌詞を作り上げた下書き、全く意味のわからないメモ、様々であった。そして資料のどのページにも藤堂が残したであろう走り書きが膨大に書き込まれており、修司は重圧を感じざるを得ない。
伊角は修司の感情の全てを見通したようにふっと笑い、
「これを、おまえに託す」
真っすぐな言葉で藤堂の遺産を渡した。
伊角は最後に、部室に飾られてあったベースをその場所から器用に出すと自身の手に取って、修司へと手渡した。
「藤堂さんが寄付してくれたものだ。あの人は、わかってたんだろうな。自分の後を受け継ぐ人間が現れるってこと」
ずしりと、修司は重さを感じた。そして、初めて触れるベース楽器は輝いてさえ見え、その楽器の部分部分がどういう機能を持っているかなどわからなかったが、その全部が奏でる音を想像すると胸が高鳴った。
「今から難しいことを言うぞ」
伊角がとどめとばかりに言い放つ。
「藤堂さんの技術を受け継げ。だが藤堂さんの代わりにはなるな」
修司は一度部室を離れ、自分の鞄と渡されたものを荷物として一緒にまとめた。16時からは軽音楽同好会の最初のミーティングがある。
すぐに戻らなければ。修司はそう思いながら、伊角の言葉をずっと考えていた。
16時。誓歌高校軽音楽同好会の部室には、サラー、伊角、松田、そして修司と、フレアーのメンバーが一堂に会していた。
「じゃあ、そうだな……」
今日も今日とて伊角が進行に回るようだ。
「まず、示したいことがある」
伊角はゆっくりと、またはっきりとした口調で語り始めた。
「天才と呼ばれる人間たちは十代、俺たちと同じ年代から突出していた。科学、数学、芸術、スポーツ……もしかしたら俺やサラーも、類まれな音楽的性質を持っていると言えるかもしれない」
この語りは、修司のためのもののようだった。自らに向けられた話が、するすると脳裏に入ってゆく。
「しかし、名作と呼ばれる物語を十代の若者が著した事例はほとんどない」
伊角の話は続く。
「それがなぜか?俺たちが話し合った結論はこうだ。それは、天才者も社会全体のせいでもなく、ただ双方に共有できる体験が無いからだ。共鳴することのできる素材を持ち合わせていないからだ」
興味深い話だと、修司は思った。
「それで、俺が今なぜこんなことを話すかといえば……物語の課題はそのまま歌詞の世界、俺たちが果たすべき作詞の領域に重なるからだ」
ここで話の流れをそのままに引き取って、サラーが語り始めた。
「世界観、価値観、詩情、想像力……作詞に求められることは多様で、簡単に理論づけできるものじゃない」
これはフレアーの総意である、というように。
「俺たちは体験に飢えてる。あらゆる可能性を、俺たちは探しているんだ」
伊角がにやりと笑った気がする。伊角がまた語り始める。
「結論が出たな。そういう意味で、軽音楽同好会はおまえを歓迎する」
彼らの言う結論、その結びが、修司にもわかりかけたとき。
「神木修司、おまえが必要だ」
伊角がそれを言葉とした。修司の心は射られたように、その言葉を受け止めた。
「ありがとう、ございます。自分が選ばれたこと、ようやくその意味がわかった気がします」
修司はなんとか気持ちをまとめて、言葉にして、他のフレアーの3人に返信を表明をすることができた。
それから、4人はいろんなことを語り合った。大事なこと、くだらないこと、共有すべきこと、共有しなくてもよいこと、全体に通ずること、自分だけのこと、質問して、答えて、本当にいろんなことを、4人は語り合った。
修司は機材の説明書や渡された資料を何度も読み返して、確認を繰り返しベースとアンプをつなげて、自室のベース練習の環境を作った。修司は紛うことなく興奮していた。そしてそれは神聖な儀式のようでもあった。
ベースに軽く触り、アンプから音が流れることを確認し終えて、ふうっと修司はひとつ息をつく。
そして、初めてピックが弦を弾いた。
ボン ボン ボン ボン
音を奏でる喜びを感じた修司の初めての気づきは、自分のパフォーマンスがその音色に直結すること、自分の手の感覚がそのまま響くことだった。そのひとつひとつの出来事、事象が愛おしく思えた。
練習を続けると、様々な気づきがあった。
鳴らすのではなく、奏でる。全ての音楽家は、そういう音色を目指して、そのための研鑽を積み重ねてきたこと。自分もまたその一員となったこと。
ボン ボン ボン ボン
この一音一音を忘れたくない。
修司は強くそう願った。
『僕はいつまでこの歌を口ずさむんだろう』
修司がベースと出会い、練習を始めて1週間ほどが過ぎた。その間、フレアーのミーティングという名の雑談、集会は続けられていた。
今日も軽音楽同好会の部室では、「相互理解」の大義のもとに、雑談が繰り広げられていた。それも話し尽くされて終わりが見えたころ、伊角がぽろっと修司に投げかけた。
「修司、おまえに通達だ」
ぴりっと空気が締まるのを、修司は感じる。
「ライブやるぞ」
驚いたのは修司だけで、これもまたフレアーとしての決定のようだった。
「詳しい日時は後で共有するが、2ヶ月後くらいだ。そして、そのためのセッションを明日行う。おまえも参加しろ」
情報量が多すぎて追いつけない修司ではあったが、覚悟を決めたようにこう答えた。
「正直言うと自信がないです。でも……避けては通れないことですもんね」
修司は思う。
フレアーのみなさんは、待っててくれんだ。雑談集会を開いて僕に付き合ってくれながらも、僕がフレアーの一員に、その音楽的要素になるために。その日を辛抱強く待ち望んでくれていた。
翌日。セッションが行われようというそのとき。部室の前で修司はそこに入れないでいる。ぴかぴかに磨かれた壁にベースを担いだ自分の姿が映り、まるで音楽家みたいだ、と他人事のように修司は思った。
瞬間、後ろから包みこまれるように肩を持たれ、修司は驚く。そのままに部室の扉は開かれ、修司と肩を掴んだ者が入っていく。
サラーだった。
「大丈夫だ。俺たちに着いてこい」
部室の中にはすでに伊角と松田が居て、それぞれギターを持ちドラムの前に座り、準備万端といったところだ。2人は柔らかく微笑んで修司に歓迎の意を表する。
伊角さんと松田さんはともかく、サラーさんも気遣いできるんだ、と修司は失礼なことを考えている。
何はともあれ、修司をベースに加え再始動したフレアーの初めてのセッションが始まった。
修司は3人の表情が真剣そのものになるのを見て、緊迫した空気を肌で感じる。
「これくらいのテンポで〜〜みたいなリズム〜〜それをキープしといて」
まず、サラーが松田に指示を出しているようだ。それをもとに自分が弾く、先導するということだろう。
音が始まる前の、しんとした一瞬の静寂。
そこに、松田のドラムが鳴った。淡々と、正確なリズムを刻む。
そしてサラーは、最初から全開でギターをかき鳴らした。
びりびりと、空気が震えた。修司は間違いなくその感覚をおぼえた。
修司は思う。
音としては、エレキギターがギュンギュン鳴っている、だけどそんな次元じゃない――破壊の衝動そのままに全てを燃やし尽くす災害、ノイズすれすれの爆弾音。それでいて、これは旋律になっている。間違いなく音楽を奏でていると信じられる、確信めいた音。
こんなの、入っていけない!
松田さんがリズムをキープしていることさえ驚異的だ!
――混乱する修司の目に、ピックを振り上げた伊角の姿が映る。
伊角さん!?
これは――再生の音。サラーさんが壊していったものを残さず拾い上げていくような、優しい音色。
『天才が……2人!!』
声にならない叫びを僕はなんとか抑える。
サラーさんが爆発させる音に、伊角さんはぴたりと着いて、さらさらと、滔々と流れる生命の芽吹きを奏でる。サラーさんの突出した音楽表現に、対になるものはこれしかないと思わせる音楽表現を、伊角さんはぶつける。
破壊と再生。美しさと荒々しさ。光と影。温かさと冷たさ。
何とでも呼ぶことのできる、この世界の全てを語り尽くせるような二元論。
これは、まるで……
「神話のころ……」
1度目のセッションが終わり、音が鳴り止んだころ、僕は思わずそう呟いていた。
この新しい曲の芽生えを、僕が定義してしまったかのようだった。3人の視線が僕に集まる。
「あっいや……何となく思い浮かんだことを、そのまま言いました」
3人は僕の言葉を噛み締めるようにしてから、まずサラーがこう言った。
「いいんじゃねえ?」
「うん。俺もぴったりのタイトルに思う」
伊角が同意し、松田もうなずく。
僕は、何か貢献ができたのだろうか。
それは時間にしてみれば数分のことだったろう。
でも僕はそれ以上に凝縮された時を知らなかったし、何よりもこんなに「音楽」というものを痛感させられたことはなかった。
僕はただ、邪魔しないだけで精いっぱいだった……
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