3ヵ月と3日目とその後

 試験管が破られたその日から、私に安寧の日はなくなった。襲撃の度に隠れ家を失い、身体は傷つき、その度小さくなっていく。銃弾は相当な精度で私を狙っている。対応を余儀なくされた。銃弾が来る場所を視覚で捉え、有効射程外まで逃れるか、ギリギリまでひきつけて避けるか……常に無傷というわけにはいかないが、だいぶ慣れてきた。


 そしてもう一つ希望があった。あの銃弾を放つ筒のようなもの。あれが現れる空間の先に、白い壁でない別の空間を認めたのだ。銃弾を掻い潜り、壁が閉じる前に入りきることができれば、あるいは外に出られるかもしれない。私はこの可能性に賭けた。明日、遂にここを出る時が来た。




 ◆ ◆ ◆




 その日も、やはり天井は白かった。物心ついた時から変わらない真っ白いままの部屋。この場所にあるのは、罅割れた試験管と、本棚に積まれた無数の本、そして私。いざ抜け出そうとすると少し寂しさを覚えるが、それでも抜け出さなければならないのだ。決意は微塵も揺らがなかった。


 その日は、不思議となかなか襲撃が来なかった。あるいは、待ってる間の時間がとても長く感じられたのか。時間といえば、本当は時計やカレンダーという道具で確認するものらしい。ないものは仕方がないので、起きてから寝るまでの時間を一日と定義していた。実際の時間からずれているのか、いないのか。出てから確かめよう。そうやって色んなことを考え、待ち続けていた。遂に、赤い世界がやってきた。


 筒が出てくる場所を視認し、穴開きの試験管に私は乗り込んだ。身を守るためじゃない。未来へ向かう為だ。光の線がこちらに向いてくる。構わない。試験管の穴から地面を蹴る。試験管は私を入れたままくるくると回り、光源に向かって前進する。這うよりもずっと早く!


 筒との距離が縮まる。しかし、そろそろ銃弾が放たれる頃だ。撃たれてからでは避けられない。弾は早すぎるのだ。だが、線が出てから実際に発射されるまでの時間を、これまで観察してきた。3、2、1……ここだ。ちょうど試験管の穴が地面と向き合うそのタイミングで。


『やっ!』


 発声機能がないので、私は頭の中で大声を出した。それと同時に、大きく地面を蹴る! 跳躍だ。試験管は回転の勢いを保ったまま一瞬浮かび上がり、その間を銃弾が通過する。再び着地。壁が閉じる前に、このまま筒への到達を目指す……!


 筒が向こう側に引っ込み、壁が徐々に閉じようとしている。だが、間に合う。間に合わせる。その時だ。壁の向こうから、別の筒が覘いたのは。


(まずいっ!)


筒は線を放つことなく、まっすぐに弾を発射してきた。当然、回避する余裕はない。試験管越しに弾が貫く。ビリっとする感覚。だが、おかげで距離を大幅に縮めることができた。


『うおおおォォォォーッ!』


 本で読んだように、叫びで痛みを押し殺す。試験管の向きを90度変え、壁の向こうに向かって押し出す! あと少し。あと少し、いける……! 閉じ行く壁を阻むように、試験管を挟み込むことができた。


 安心している暇はない。私は急いで試験管から抜け出し、白くない場所に降り立つ。後ろで、ガシャンという音がした。振り返ると、壁が閉じ切っていて、試験管の口の部分だけがそこにあった。壁を挟んで真っ二つになってしまったようだ。


 生まれてから、ほとんどの時間を過ごしてきた試験管の最期。しかし、立ち止まる時間はない。ビリビリとした痛みが続いている。先に進まなければ。私は試験管に分かれを告げ、未知の世界へと足を踏み入れた。




 ◆ ◆ ◆




 いつもより、地面を這う速度が遅く感じた。無理もない。痛みがまだ続いているのだ。辺りを見渡しても、今度は先を阻む壁のようなものはなく、ただひたすらに黒い空間が続いている。これが暗闇というものなのだろうか? しかし、上を見ると規則的に並んだ小さな四角が青白く発光するのを見て取れる。本で読んだものとは少し違うか、あれが星というものなのだろうか……?


 ……進み、進み、這って進み続けた。果てしない道だと思ったが、変化もあった。宙には無数の試験管が吊るされているのだ。それぞれ中には青白い液体のようなものが入っていて、時折ぐにゃぐにゃと動いたり、またはこちらを視るような仕草をする。話すことはできないかと思ったが、口がないので何も話せず、体力が減っているためか身体も動かない。しょうがないので、進み続けることにした。


 残り少ない体力で、這い続けながら考える。あれは、生き物なのだろうか。もしかしたら、私と同類なのだろうか。鏡という道具がないので、私は結局一度も自分の姿を視たことがない。しかし、同じようなものだとしたら、あの試験管は、もしかしたら私が生まれた場所なのかもしれない。ゆりかごをついに抜け出して、私は外の世界に出るんだ……!


 ……………………やがて、端に辿り着いた。道が途切れ、下に何か溜まっている。水だ。読んで読んだものよりは遥かに少ないが、これが海というものなのだろうか。他にできることはなかった。落ちるより他にやることがなかった。何より、確かめたかった。硬い感触が床から消え、どぷんと私は沈んでいく。冷たいようで、温かい。初めての感触。


 身体が無限に広がっていく。溜まっている水全体が私の身体になっていく。そうか、ここに来るために私は、私たちは生きてきたのか――。まだ、大きくなる余地がある。地面を突き抜けて進み続ければ、もっと大きな海がある。私は期待と冒険心を胸に、まだ見ぬ場所へ踏み出した。




【ハーミット・チューブ】終


 

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