第10話 タチバナの飴

 アマネとガイは吊り橋を越え、馬に乗って進み始めていた。

 すっかり落ち着きを取り戻したガイに対して、アマネはまだ小さく震えていた。


「いくら護衛の仕事についてるからって、納得いかないな。なんでこんな図体のでかい男を守ろうとするんだよ」

「体が勝手に動いたの。護衛のさがなのかしら……。私の家系は焔姫大神の血を途絶えさせないことが使命なの。物心ついた頃から、神官様やキヨ様に危険が及んだ時、命を投げ出してでも守る訓練をしてきたもの」

「あんた、……今いくつだ?」

「十六」

「十六の娘が、命を投げ出すなんて簡単に言うな」

「もちろん、命を落としたくはない。キヨ様が危険な状況になった時には体を盾にして守るだけのこと」


 淡々と使命を語るアマネに、ガイは圧倒された。


──この子は、生まれながらにして、命を張って人を守る使命を抱えているのか。


「随分と勇ましいな」

「よく言われるわ。強すぎて可愛げがないって」

「波が去って、腰抜かしてたときは可愛かったけどな」


 アマネは思い出すと急に恥ずかしくなって、赤面した。

 ガイは赤くなった耳を見つけると、可笑しさが込み上げてきて、意地悪な表情で笑った。


「どうだった? 屈強な男に支えられる気持ちは? 悪くないんじゃない?」

「……嫌。性に合わない」

「強がるなよ。まだ震えてるくせに」

「……その話はもういいってば! ほら、ちゃんと前向いて! クダカに甘えてないで手綱握りなさいよ!」

 ガイは「騒がしいなぁ」と笑い、クダカの立髪を撫でた。

「今日はいい日だ。女の子を抱きしめても怒られないし」

「ちょっ……! 抱きしめたんじゃないでしょう!? 波にさらわれないように抱えてくれてたんでしょう!?」

「こんなに体も密着させてるのに文句も言われないし」

「み……密着……?」

「あれ? 気にしてなかった? 馬に乗るとこうなるから仕方ないよな?」

 必要以上に爽やかに、ガイは微笑んだ。

「そんなの……! いつもサク兄と乗ってるから気にした事ないわよ!」

「サクニイ?」

「うん。幼馴染のお兄ちゃん。いつも一緒に馬に乗ってる人」

「多分そのお兄ちゃんも思ってるぞ。くっつけて気分いいなぁって」

「思ってない!! サク兄はそんな事思う人じゃないもの!」

「へー。どうだか」

「酷い! 薬師さんって意地悪なのね!」

「ははっ! バレたか」


 ガイが軽口を叩いていた時、ふと、二人の目線の先に白いモヤが見えた。


「先の道に霧が出てきてるな。山の麓が近いのか」

「うん。あの角の杉の木を曲がったら、もうすぐ」

「……良かった。震えてたの、おさまってる。……大丈夫か?」

「だって……! 薬師さんが揶揄からかってくるから、大波の事なんて忘れてたわよ!」

 ガイは優しく微笑むと、アマネの頭を撫でた。

「……」


──あ、薬師さん、もしかして……。私が震えてたから、わざと揶揄からかってたの?

 ……怖かったの、忘れさせようとしてくれてたんだ。


 アマネは大きな手の温かさを感じた。


──この人、きっと……、すごく優しい。




 道を進むにつれて、薄い霧が辺りを包み、妙な静けさが二人を包んだ。


 山を登る坂道に差し掛かる頃には、一歩先を進む道さえ朧げになり、鳥の甲高かんだかい鳴き声や、虫のがやけに大きく響いていた。


 大きな赤い鳥居が薄っすらと見えて、ガイはその手前で馬を止めた。


──なんだろうか。この空気の冷たさは。


 背中に冷たいものが走り、鳥肌が立った。

 全身を清めているような、冷んやりとした空気だった。


──人は、これを『神聖』と呼ぶのだろうな。


 ガイはゆっくりと辺りを見回して、馬から降りた。

 アマネに向かって腕を伸ばし、「ほら、あんたも」と、手を差し伸べた。


 アマネの体は自然に動いた。身を乗り出して薬師の腕に身を任せると、軽々と体を持ち上げられ、フワリと地面に降ろされた。


──薬師さんに抱えられるの、何だかすごく自然になっちゃった。一体何だろう。この人の腕に身を預ける時の、不思議なくらいの安心感……。


 アマネは薬師の瞳を見た。深い青緑色の瞳がそこにあった。


──この瞳……。どこかで見たことがある気がする。



 ガイは鳥居の近くで草を掻き分け、何かを探していた。


「確か、このあたり……、だったよな。あ、……そうだ。やっぱり」


 背の高い草を分けると、ひっそりと口を開けた洞窟を見つけた。どこまでも続いているのかわからない程、奥深くまで続いている洞窟だった。

そして、その前で片膝を地面に付けた。

 片手を胸に、もう一方の手を広げて地面にしっかりと付け、こうべを垂れた。

 冷たい空気を吸い込み、ガイは声を張った。


「アワ山をしずまもりたもう白龍はくりゅう御神みかみよ。かしこかしこみ申し上げる。

 私は三郷の島より参上つかまつった、先の薬師のせがれにございます。

 神官殿の後継たるキヨ様の御身おんみを拝見つかまつりたく、参じました。

 お取り次ぎたまわりますよう、してお願い申し上げたてまつる」


 そう言ってしばらく目を閉じた。


 アマネは洞窟の前で跪いた薬師の背中を見つめていた。


──その言葉……! 外界から山に入る言葉だわ。なぜ薬師さんが知っているの? そして……何故、その場所を知っているの……?


 薬師が祈りを捧げた洞窟は、この山の守護神である『白龍の住処』と言われている場所だった。

 

 目を閉じているガイの全身に、鳥肌が立った。

 洞窟から流れ出てきた冷たい空気にぐるりと全身を囲まれ、背中に一筋の冷や汗が流れた。


 ──巻きついている空気が、体を締め付けている……? ……山の神々に……見定められているのか。


 しばらくすると体が楽になり、解放されたようだった。

 耳を突くような虫や鳥の大きな鳴き声が、やがて静かになっていった。

 目の前の霧が薄くなり、山頂がぼんやりと見えてきた。


 アマネは驚いて山を見上げた。


「お山様が……、薬師さんの事、受け入れたんだわ……。ねえ? どうして? この場所でお祈りをする事を、なぜ、あなたが知ってるの?」


 ガイは立ち上がった。振り返ると、アマネに向き合った。


「両親に連れられて、子供の頃に何度も来た事があるんだ。お山に登る時の挨拶、これで良かった?」


 アマネは目を見開いた。


「──先生達に連れられて? ……何度も?」

「ああ」


 その時、山頂から白い風が滑り降りてきた。

 その風は、アマネが何か喋ろうと息を吸った瞬間に『ひゅ』と音を立て、喉元を目掛けて飛び込んだ。

 アマネは声を出せなくなり、喉を両手で押さえた。

 「こほっ」と乾いた咳が出た。

 吸い込んだ空気が喉の奥を乾かして、咳が止まらなくなった。


──苦しい……。 あ。この乾いた咳……、昨夜見た、子供の頃の夢と似てる。


「おい。大丈夫か? 今、何か吸い込んだ……?」


 アマネは咳をしながら、苦しそうにガイを見上げて首を縦に振った。ガイは「ちょっとごめんよ」と、アマネの二の腕の辺りを握った。

「……咳を止めるツボなんだけど。……だめだな」


 ガイはアマネの背中をさすった後、自分の懐に手を入れて何かを取り出した。「やるよ」と、小さな飴をアマネの目の前に差し出した。


 ガイの大きな手のひらに、四角い緑色の飴が乗っていた。

「これ、咳止まるから」

 アマネは差し出された飴を、食い入るようにじっと見た。


 そして、顔を上げて薬師の目を見た。


──切れ長の目。


 次に、薬師の瞳の奥を見た。


──青緑色の瞳。


 何か言いたいのに声が出ないアマネは、大きな手の平から飴を受け取ると、苦しそうに口の中に放り込んだ。

 一瞬独特な薬草の香りがしたが、その後すぐに柑橘系の苦味と合わさり、最後に甘酸っぱい香りが鼻に抜けていった。


──確かに、この味だった。『タチバナ』の味。


 ごく。と唾を飲み込むと咳が弱まり、もう一度唾を飲み込むと、嘘のように咳が止まった。


「な? 効くだろ? 俺、薬用の飴作るの上手いんだ」

 ガイは得意げにそう言って、「もう一個どうぞ」と飴を差し出した。

「子供の患者さんがぐずった時のために、いつも持ってんだ」

 

 アマネは大きな手のひらの上に乗った飴を、もう一度見つめた。

 そして、ゆっくりと薬師を見上げた。


──大きい。


──わかんないよ。そんなに大きくなっちゃったら。



「…………ガイ……?」



 アマネが小さく呟いた言葉に、薬師が目を見開いた。


 しばらく沈黙した後で、唇の端を少し上げた。


「……うん……」


 ふっと照れくさそうにガイが笑った。


「……忘れられたのかと思った。俺は会ってすぐにアマネだってわかったのに」


 ガイと同じように、ふっとアマネも笑った。


「だって、……いくら何でも、大きくなりすぎだよ」

「なんだよそれ」


 ははっと大きな口を開けて、ガイが笑った。



 霧に囲まれた大きな山と、耳を小刻みに動かした馬だけが、笑い合う二人を優しく見つめていた。







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