臆病者の試験官

石動なつめ

臆病者の試験官


『魔王の討伐に向かわんとする者には支度金を、そして魔王を討伐した暁には一生使ってもなくならないくらいの褒賞を与えよう』


 この国を脅かす魔王と魔族の対策で疲弊しきった国王が、そんな募集のチラシを国中にばら撒いたのは今から二年前の事。すると国の内外から、我こそはと腕っぷしに自信のある者達がこぞって王城を訪れた。

 しかし人間というものはずるいもので、支度金だけ受け取って姿を消す者も少なからずいた。そりゃあそうだ。旅立った後にどこで何をしたかなんて、国側から同行者でも派遣して逐一報告させなければ分からないのだから。

 金に目が眩んだ人間に善意なんて期待したところで無駄である。そして集団心理とは怖いもので、一人がやれば自分もやろうと、その数はどんどん増えていった。

 人は集まり、しかし支度金だけ持って消えて行き、何の成果も得られない。

 そうして一ヶ月ほどで、休息を取って正気に戻った国王は「これはまずい」と思ったらしい。

 ちなみに現場の人間としてほんの少しフォローさせてもらうと、調査結果が出たのが一カ月経ってからだっただけで、何か変だなと気付いたのはもっと前の事だ。変装して二回も支度金をもらいにきた奴がいたからな。さすがにそいつは捕まって、一回目の支度金の返済のために働いてもらっている。


 話を戻すが、そういう人間が続出したものだから国王は「魔王討伐のために集まってきた者達に試験を与える」と言い出した。簡単に言うと選別だ。

 試験項目は戦闘能力、賢さ、健康面、そして人格の四つである。特に重要視したのが戦闘能力と人格だ。

 これはまぁ正しい判断だと俺は思う。今までも一応は、魔王討伐に向かう事が出来るかどうか、戦闘能力についてはテストされていたが、今回はそれがちょっと本格的になったのである。この国の騎士団で一番強い騎士と戦って、そいつが合否を決める、という感じに。

 ――で、その騎士とやらが俺というわけだ。

 このせいで俺はずっと魔族ではなく人間とばかり戦っている。騎士というより、やっている事は試験官だ。せめて騎士団に入団希望の騎士なら良かったのにと思いながら、俺は支度金目当ての受験者と戦い続けているというわけだ。


「……はぁ」

「どうした、ため息を吐いて」

「俺、いつまで試験官しなきゃなんないんすかね……。っていうか受験者のほとんどは、魔王を討伐してやろうなんて思っていないですよ」

「だろうなぁ~。それが出来る奴は応募なんてして来ないだろ。実力差が分かっているからな」


 昼休憩を取りながら、様子を見に来てくれた騎士団長に愚痴を零す。団長は苦笑しながらサンドイッチを食べていた。

 そりゃそうだと思いながら俺もサンドイッチを食べる。王城の料理人が作ってくれた、肉がしっかり入ったサンドイッチである。これを食べて午後も頑張りなよ、なんて労ってくれて正直ちょっと泣きそうになってしまった。どうやら自分は精神的に結構疲れていたらしい。


個人で魔王討伐なんて・・・・・・・・・・出来るはずがない・・・・・・・・。訓練された人間が大勢で当たって初めて出来るかどうかって話だ。そんな分かり切った事を上のお偉いさん方は理解したくないのさ。だから騎士団を派遣しない。ここの守りが薄くなるからってな」

「首が飛びますよ、団長」

「俺の首が飛んだら、引継ぎ作業出来てないから騎士団大変だぞ。副団長がこの間、魔王討伐に行って死んだばかりだろ」

「…………」


 うちの騎士団の副団長は正義感が強く熱い男だった。誰も出来ないならば自分がと一カ月ほど前に飛び出して、先日訃報が届いたばかりだ。フェンリルと刺し違えて死んだと、命からがら戻って来た彼の部下が遺品と共に報告してくれた。

 フェンリルとは氷の魔法を使いこなす巨大な魔狼で、魔王直属の部下の一匹だ。それと刺し違えるなんて副団長はさすがだと思うと同時に、生きていて欲しかったとも思う。副団長は少々暑苦しいが気さくで良い人だったのだ。

 そういう人間だけが真面目に仕事をして死んでいく。

 生き残っているのは誰かが倒してくれると他人事に思っている奴か、実力差を目の当たりにして逃げ出した臆病者だけだ。

 ――俺のように。


「…………」


 俺が行きます。

 そう言えたらきっと格好良いだろう。けれど俺はそれが出来ない。昔、たまたま戦場で、魔王と呼ばれる前の魔族と戦って、運良く生き残ってしまった事で理解したからだ。

 俺は魔王に勝てない・・・・・・・・・

 あの時感じた恐怖と絶望が喉の奥から競り上がって来る。咄嗟に俺は残サンドイッチを口の中に放り込んで、必死で飲み込んだのだ。




 ◇



 その日も俺は試験官をやっていた。

 相変わらずやって来るのは金に目が眩んだ奴か、英雄志願の死にたがりだ。昔と比べて受験者数は減ったが、それでもゼロだった日は一度もない。

 噂は聞いているだろうによく来るものだ。そう思いながら相手をしていると、次の受験者が俺の目の前に立った。

 歳は十代後半くらいだろうか。まだ子供らしい幼さが残る顔立ちをした黒髪の少年だ。

 提出してもらった書類によると辺境近くの村の出身らしい。

 村の名前には覚えがあった。かつて俺が、魔王と呼ばれる前の魔族と戦った戦場近くにあった村だ。その戦いで村は壊滅状態になり、生き残った者達は国の支援を受けて王都近くの村へ避難したと聞いている。彼はその村の生き残りなのだろう。

 少年は俺の前に立つと、


「よろしくお願いします」


 なんて言って頭を下げた。これまで試験で何人も受験者を相手をしているが、こいつのように丁寧に挨拶をしてくれたのはほとんどいない。

 珍しいなと思いながら俺も軽く頭を下げる。


「ああ、よろしく。どのタイミングでも良いから、かかって来て」

「はい」


 俺がそう言うと少年はスッと剣を抜く。どこにでも売っているような長剣だが、きちんと手入れされている。構え方も悪くない。そう思って俺が槍を構えた直後、


 ――目の前に少年の顔があった。


 とんでもなく、なんて言葉が相応しくないくらいに動きが速い。咄嗟に身体を捻って回避すると、僅かに遅れて俺の首があった場所を剣が薙ぎ払う。

 風を切る音と共に少年の目が俺を見た。ゾッとするほどに温度を感じない目だ。

 殺意こそ感じなかったが、本気で殺しにかかって来られた事を察して背筋に冷たいものが走る。

 今までのどの応募者とも違う。この少年は本気だ・・・。本気で魔王を討伐するために応募して、その実力を持ってここにいる。


「……ハハ」


 自然と自分の口から笑い声が零れた。

 似ていると思ったのだ。あの日、あの戦場で相まみえた、今は魔王と呼ばれているあの魔族に。槍を握る手が僅かに震える。

 ――こいつは強い。


「失礼した」


 見くびっていた事を謝罪して俺は槍を構え直した。




 ◇




 結果は俺の惜敗だった。本気で戦って負けた。

 国一番の騎士を打ち負かした人間が現れたと、国のお偉いさん方はお祭り騒ぎだ。

 これはもしかしたら支度金も今までよりしっかり出るのではないだろうか。そんな事を考えながら、俺は騎士団の医務室で手当てを受けていた。


「はい、これでよし。それにしてもあんたが負けたのは久しぶりねぇ」


 顔の馴染みの医者はそう言ってにやにや笑う。俺は肩をすくめて「そっすね」と返した。


「悔しい?」

「そりゃあね。だけど、これから大変だろうなぁと思いますよ。騎士団の方でも同行者の選別が始まりましたし」

「そうね、今までより本気だわ。魔術師団の方にも声がかかっているらしいし。私達の方にも、誰か同行出来ないかと打診が来ているわ」

「先生達まで?」

「ええ。でも私達の方はたぶん保険よ。教会側から断わられた時のね」

「なるほど。……まぁ断らないでしょ」

「たぶんね」


 聞いた感じだと魔王討伐にはそれなりの人数で向かう事になりそうだ。たぶんこの辺りは騎士団長を始めとした人達が、必死で説得したのだろうなと推測する。誰だって人を死地へ送りたくなんてないのだ。出来れば生きて帰って来て欲しい。

 ――とは言え国がそれに応える決め手になったのは、副団長が死んだからだろう。

 副団長は少数の仲間で魔王討伐へ向かい、フェンリルと相打ちになって死んだ。その事は国のお偉いさん方にも、少なからず衝撃を与えのだろう。

 そして今回、俺を倒した人間が現れた。

 今度こそは勝てるかもしれない。今度負けたら次はないかもしれない。その二点で国は、慎重に動こうとしたのだろうと俺は思っている。


「あなたは行くの?」

「……打診は来ていないですね」


 医者の質問に俺はそう返す。我ながら情けない返答だと思った。


「良かったわ。顔馴染みがいなくなるのは悲しいもの」


 医者はそう言って目を伏せると左手の指輪をそっと撫でた。

 ……副団長とお揃いの指輪を。




◇ 




 少年に同行する人間の選定が終わるまでに、それから一週間ほどかかった。

 立候補者も意外と多かったらしい。勇気があるなと感心していたら、俺は騎士団長から呼び出しを受けた。


「騎士団長の引継ぎ……ですか?」

「ああ。お前の能力なら問題ない。書類仕事も得意だろう?」

「それはそうですが……どうしてですか?」

「俺が魔王討伐に同行するよう命じられたからだよ」


 騎士団長はあっさりとそう答えた。ぎょっとした俺を見て騎士団長は「そりゃ驚くよなぁ」と苦笑した。


「なん……何でですか?」

「今回の旅の成功率を上げたいらしい。それで騎士団で出せる戦力の中で俺が適任だと言われた」

「ま、待ってください。ありえない! だって……団長ですよ!?」

「んー、まぁ、たぶん一番の理由は、俺が上から煙たがられているからだろうなぁ」


 何だそれは、と俺は握りしめた拳に力が籠った。つまり体の良いお払い箱という奴だ。

 騎士団長の性格ならば、もしも仲間の命が危険に晒されたならば、真っ先に盾になろうとするだろう。実際にこれまでの戦いでもそういう事は何度もあった。だからこそ上の人間もそれを把握しているはずだ。

 魔王は討伐して欲しい。けれども出来れば騎士団長には無事に帰って来て欲しくない。そういう下種な考えが透けて見える。

 騎士団長はそんな上のくだらない思惑で死んで良い人ではない。人格も、実力も、人をまとめ上げる能力も、この人以上の人間なんて、今の国にはいないのだ。お偉いさん方がどう思っていようとも、この人はこの国に必要な人だ。

 ――ならば。


「お……」


 俺が。

 そう言おうとしたのに声が出ない。口を開けたまま何度も何度も「俺が行きます」と言おうとしているのに、どうしても喉から声が出ない。それどころか身体が馬鹿みたいに震え出す。

 そんな俺を見て騎士団長は笑って、

 

「この国の守りにはお前が必要だよ。だってお前は俺よりずっと強いからなぁ」


 そう言った。違う、そうじゃない。俺なんかが必要なんじゃない。強いんじゃない。

 俺はあの日――今は魔王と呼ばれている魔族と戦って、運良く生き延びる事が出来た。けれどもその時に、あいつに対する恐怖心を植え付けられた。

 射殺すような冷たい目と圧倒的な力。殺意の塊のような攻撃をするのに、その表情には一切の感情が見えなかった。腕を飛ばされても、身体を剣で貫いても、あいつは涼しい顔で俺に向かって来た。恐ろしかった。一秒だってあいつの前にいたくなかった。

 俺が生き延びる事が出来たのはただの偶然だ。死体に躓いてあいつが転んだ隙に、俺はその場から情けない悲鳴を上げて逃げ出したのだ。追いかけて来る魔族から死に物狂いで逃げて、逃げて、そうして運良く生き延びた。

 だから魔王討伐に名乗りを上げなかった。

 国や周囲から期待する視線を向けられていた事にも気づいている。なのにずっと俺は見ないフリをしてきたのだ。

 怖かったから。死にたくなかったから。もう一度戦場で、あの魔王を見たくなかったから。あれから数年経っているのに、未だにあの日の事を夢に見て飛び起きる事がある。思い出して身体の震えが止まらなくなる事だってある。必死で隠していたそれに騎士団長と副団長は気が付いて、俺を魔王討伐の話から庇ってくれていた事だって知っているのだ。

 なのに俺は、その恩人が死んでも、死地へ向かおうとしても、自分が代わりになりますと言う勇気がない。


「一つだけ頼まれてくれるか? 魔王は俺達で必ず倒す。だからさ、お前は絶対に合格者を出すな。万が一にも俺達で倒せなきゃ、次は、直ぐには無理だ。この国は人材を集める事だけに腐心して、碌に育てようとしなかった。だが将来を期待できる奴はたくさんいるんだ。だから次の代が育つまで時間が必要だ。……頼んだぞ」


 騎士団長は俺の肩に手を置いてそう言った。

 ――若い世代を死なせるなと、この人は言っているのだ。


「……、はい」


 声を絞り出して頷くと、騎士団長は安堵したように笑った。




 ◇



 

 少年と騎士団長達が出発したのは、それから二週間後の事だった。

 その間、騎士団長は自身の仕事の調整と引継ぎ、それから魔王討伐に向かう者達の訓練に時間を費やした。俺はその間ずっと彼らのサポートについていた。騎士団長からの引継ぎもあるし、それに少年達が出発するまで試験に関しても一時中断になったため、やる事がごっそり減ってしまったのだ。

 少年達や騎士団長達はその間ずっといつも通りだった。周囲の人間は口々に「さすがだ」「すごい」と言っていたが、俺には彼らが努めてそういう風に振舞っているように見えた。

 出発当日、複雑な気持ちで彼らの旅立ちを見守っていると、不意に少年が俺のところへやって来た。


「色々とありがとうございました」

「お礼を言われるような事はしていないよ。俺は訓練に付き合うとか、そのくらいしか出来ないから。お前、本当に強いなぁ」

「いえ、それだけではなくて。僕はあなたに命を救っていただいた事があるんです」


 少年は首を軽く横に振った。身に覚えのない話だ。誰かと間違えているのだろうと俺が首を傾げていると、


「僕の住んでいた村は、あの日の戦いで失われました。でも、あなたがあの日、魔族を引き付けてくれたから、僕や村の人は生き残る事が出来たんです。本当にありがとうございました」


 少年はそう言って頭を下げた。その言葉に俺は思わず目を見開き、そして困惑した。何故なら俺はそんな立派な事なんてしていないからだ。

 あの戦場で俺は確かに魔族と戦っていた。けれどもそれは勇敢でも何でもない。目の前に現れた魔族に恐怖心を覚え、死にたくないと情けない悲鳴を上げながら、めちゃくちゃに槍を振り回していただけなのだ。


「……違う、俺は、そんな」

「あなたが強かったから、だからあの魔族は、あなただけを警戒していたんです。他へまったく目を向けずに。あなたが必死で戦ってくれたから、逃げる時間を稼いでくれたから、僕達は生き延びる事が出来た。本当に感謝しています。……僕はずっと、あなたにお礼が言いたかった」


 少年は初めてにこっと微笑んだ。素朴で優しい笑顔だった。

 その顔を見ていたら、俺は無性に泣きたくなって首を横に振る。


「……違う、違うんだ。俺はただの臆病者だ。お前達が魔王討伐へ向かおうってのに、自分も行きますのひと言も言えない……ただの臆病者だ」

「あなたはここにいた方がいいと思いますよ。だってあなたがいるから、魔王は警戒して王都を狙って来ないんですから。ここを集中的に潰した方が、向こうにとって手っ取り早いのに」

「そんなはず」

「ありますよ。あるんです。家族と村の仲間達の仇だから、僕はずっとあいつを調べてきた。だから言えます。あなたがいるから王都は無事だ。王都を狙って来ないから、周りの村も巻き込まれずに無事なんです。だから僕は安心して旅立てる」


 少年はそう言うと俺に向かって右手を差し出した。


「あなたとあの魔族の戦いを、ずっと頭の中で思い浮かべて訓練してきました。そのおかげで僕は強くなれたんです。――魔王は必ず僕達が倒します。だからあなたはここにいて、魔王を寄せ付けないでください」

「……虫除けみたいだな」

「そうですね、魔王除けです」

「そっか」

「はい」


 俺は少年の手を握り返す。

 その手の温かさを感じた時、俺は赦された気がして――気が付いた時にはボロボロと泣いていた。




 ◇



 それから直ぐに彼らは出発して行った。

 支度金に物資、質の良い装備など、国は期待を籠めてあらゆるものを彼らに持たせていた。豪奢な装飾の馬車を贈ろうとした時は、目立つからやめてくれと騎士団長が止めていたが。

 俺はそれを見送って直ぐに、魔王討伐に志願した受験者達が集う試験会場へと向かった。

 すると試験会場には外まで長蛇の列が出来ていた。今まで以上に多い。恐らく国が少年達に贈った諸々のせいだろう。だがあれはあくまで特例で、次の合格者が同じだけの待遇を受けられるかといえば否だ。

 少年のように、俺に勝てる奴がいたならば、同じ事をしてもらえる可能性はあるだろうけれど。

 そんな事を考えながら俺が試験会場に近付くと受験者達が一斉に俺の方へ顔を向けた。大体は欲が滲んだ目をギラリと光らせている。その中にたまに、あの少年のように静かな視線も混ざっていた。


『一つだけ頼まれてくれるか? 魔王は俺達で必ず倒す。だからさ、お前は絶対に次の合格者を出すな』

『魔王は必ず僕達が倒します。だからあなたはここにいて、魔王を寄せ付けないでください』


 頭の中に騎士団長と少年の声が蘇る。

 臆病者の俺に託された仕事がある。彼らが戦って、生きて戻ってくるまでの間、誰一人としてこの試験を受からせるわけにはいかない。

 ――絶対に。

 

「それでは、これより試験を開始する!」

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