八月、独白は密室で

約束をした日から一週間ほどは、大してやることもなく毎日海岸に通い詰める毎日だった。

 八月六日。二、三日すると雑談のネタも無くなり、ボードゲームとか漫画とかを持ってきて暇を潰したりもした。それでも暇は茫漠なもので、たかが一塊のゲームや漫画で埋めることができなかった。

「ねー恭太ー」

 だらけた春乃が話を振る。俺は海を見ているので春乃がどこを向いているかはわからない。

「どうした?」

「暇」

「そりゃあ俺もだけど」

「なんかないー?」

「ないなぁ…」

 うぇー、と春乃が声を漏らす。顔は見ていないが明らかに苦い顔をしている声色だ。

「どっか行こうよー」

「今は持ち合わせがない。そうだな、今度どっか行くか」

 言ってみせると春乃は目を輝かせる。

「ほんと?どこ行く?またファミレス?それとも遊園地とか言っちゃう?」

「遊園地か、いいんだけど月末にしてもらえる? ちょっと今月の中ごろは忙しくて」

「ん、いーよー。奢られるつもりで居ていい?」

「もちろん全部奢ったるから期待してな」

やはり春乃はニコニコと笑う。あまりにも純粋で眩しい笑顔だ。

「りょーかい。すっごい楽しみにしとく」

「はいはい、わかったから飯取れ」

 あの日以降、コンビニでおにぎりやパンを買ってから海岸へ向かうことが恒例化している。あれからは春乃からのカミングアウトがあるでもなく、自分自身も春乃に事実を伝えられないでいた。

それから、俺の都合で今日は解散した。

生憎今日はやることが多い。帰路を辿り、息を付く暇もなくパソコンへ向き直る。

しばらくしてから。

「すみません、宇土さんいらっしゃいますでしょうか」

「はい、宇土恭太です」

 呼び鈴が鳴ったので応対すると、わかってはいたものの肝を冷やすこととなった。

 先ほどとは違う声が聞こえる。

「警察ですが」


 長話になるのは知っていたので家に上げる。一人は長身で痩せた若い男の長谷川、一人は小太りで髭を生やし、茶色のコートを羽織った昔の刑事といった感じの細田という男。

「紫陽花さんの件についてなんですが」

「母は、見つかったんですか」

 若い警察官が一度目を閉じ、再度話し始める。母は行方不明と言うことになっている。

「結論から言えば……見つかっていません。包み隠さずお伝えすると未だに手がかりすら掴めず…」

「そう…ですか…目撃情報みたいなのは、出てたりしませんか」

「お母様は、失礼ですが近隣の方や同僚の方からの印象も良くなく、その辺りの関係から洗ってはいますが、捜査は捗らず…」

「なるほど…はは、あの人らしいなとは思いますね」

「と言うと?」

 口を開かなかった細田が鋭くメスを入れる。

 俺は顔を引き攣らせかけたが持ち直して話し始める。

「昔から乱暴な人だったんですよ、母は。僕がバイトを始めてからその収入を頼り始めて昼間っからお酒ばっかり、高校生になってから楽した記憶がないですよ。でも、お陰で今こうやって強く生きれてますから、もしかしたら感謝するべきなのかな、なんて」

 あはは、と笑いながら我ながら名演技だと自画自賛する。 実際嘘を言ってるわけでもない。

 高校でまともな生活は諦めて一人暮らしを始めたから最近の関係は知らない。自分で言うものでもないが、母よりまともな息子に殺されたくらいだからあの人はいつ殺されてもおかしくなかったのだ。

「申し訳ないですが言えるのはまだこのくらいですね…他に何か気づいたことなどありますでしょうか」

「さっぱりです。ご協力できず、申し訳ない」

「では私らは失礼します、別件が立て込んでまして」

 細田が機嫌悪そうに言い、逃げるように玄関のほうへ歩き始める。

「あっ…ちょっと先輩!すみません…」

「いえいえ…それより、あちらの方に着いていってあげてください」

「……すみません!失礼します!」

「いえいえ、ありがとうございました」

 一応、ドアが閉まって10秒は笑顔をキープする。

「チッ」

 思わず舌打ちが飛び出る。自分が悪いのは事実なのだが、警察との会話は慣れないし慣れたくない。

 玄関で座り込み、膝をついて項垂れる。

「疲れる……」

 なんとか居間まで足を動かし、ソファに崩れる。

「飯、仮眠取ってからにするか」

 生きる気力は、割とあったりするのだ。


 どれくらい寝ただろうか。昼寝は自然と起きたいので自分の体も放っておいたが今が深夜だとあまり芳しくない。

「あー、っ」

 唸りながら近くにある時計を掴む。時刻は21時42分。

「なんとも微妙な」

 今から飯を作って食べるのは飽きる。確実に。しかし腹が減ってるのはそうだし今起きた段階でもう一度寝て朝まで寝ていられる気もしない。

「冷蔵庫」

 もぞもぞと歩き出す。冷蔵庫のいちばん手前には鶏肉があった。

「あー……。うん」

 母が唯一得意だと聞かせてくれた料理が唐揚げだった。12年ほど前の話だろうか。物心着く前の話でぼんやりとしか覚えていないが、あの頃の母はまだ楽しそうだった。そんな思い出のおかげで、自炊しようとスーパーに行くと自然と鶏肉を買ってしまう。

「片栗粉、余ってるかなぁ」

 すっかり、時間をかけてもいいから唐揚げを食べたい口になってしまった。


21時26分、××家


「……ただいまー」

「春乃、何処行ってたんだ?」

 ドアを開けるなり父の声が聞こえてくる。

「頭を冷やしに」

 リビングに入る。無視したら後が面倒だ。

「最近ずっとそれじゃないか。そろそろいい加減やめにしなさい」

 事実だし、やめようがないんだからしょうがない。

「そんくらい許してくんないかな?大学は別に大丈夫だから」

「こっちは親として責任があるんだ」

 なんとも言えない気持ち悪さが込み上げる。喉仏まで戻ってきた感情に蓋をして、繕った声を出す。

「はいはい、ごめんなさいって。お風呂行ったら部屋居るね、ご飯はいいや」

 互いに変わらぬ笑顔で言葉を交わす。

「わかった。冷蔵庫に入れておくから明日のお昼に食べなさい」

「おっけー、わかったよ」

 これまた面倒だ。明日の昼はパンケーキのつもりだったのに。これ以上この場に存在したくないのでさっさと2階に失せる。

「……はぁ」

 相変わらずめんどくさい。どれだけ書き殴ってもこの感情は私の頭じゃ書き表せそうにないので諦めてベッドに身を任せる。寝てもいいことは無いのでスマホを開く。

時間浪費のためにYouTubeのアイコンを触り、溜まっていた通知を消化する。

「春乃?」

 そうして時間を潰して15分ほど経ってからお母さんの声がした。

「んー?お母さんどしたの」

 なるべくいつもの声で返す。演技は徹底。

「大丈夫?お父さんに何か言われなかった?」

 心配が10割を占めた声が飛んでくる。

「大丈夫だよ、特になかった」

「そっか。良かった。ちょっと勉強して寝てね。おやすみ」

 ため息をつく。家はいつからか居心地が悪くなった。父は昔から厳しい人で、俺の娘なんだから恥ずかしくないような大人になれと言われて育ってきた。中学のころ、運悪く転けたテストを見せたら私の内ももに痣ができた。陰湿なことに他人から見え辛い位置だ。見え辛い位置だから殴ってもいいと思ったんだろう。

 その日が審判の日だったらしく父はそこから加減がなくなった。お母さんの制止も聞かなかった。私はそのうち自暴自棄になり、外出が増えた。

 薬を始めたのもその時期だった。ドラッグ的な薬は怖くて手が出せなかったのでネットで見かけたODを試した。試した後は気持ち悪く、落ち着いた後の気分は最悪の一言だったが、止めることはできなくなり確実に私を蝕んだ。気づいた時にはもう止められなかった。

 そんなことをしていたら成績はみるみる下がり、第一志望の私立高校の特進コースに落ちた。初めて何か失った気がしたのはこの時だ。落ちたのを確認した時、無意識に涙とともに「お父さんに怒られる」という言葉がこぼれたのが自分でも嫌だった。結局、滑り止めの公立高校に入ることになった。

 それから成績は今に至るまで上がっていないので私は冷たい目で見られている。最近はもう私に飽きたのか関わりが減ってきた。暴力もここ二年ほどないのだが、大学受験まで失敗したのなら凄惨な結末になるのは目に見えるため、ここまで失敗するわけにはいかない。

 私は受験に向け勉強もしつつ夜遊びを繰り返した。別にタバコも酒もやっていない。ただ一人で見たい景色を見に行くだけだ。海、山。快活クラブで一泊したり、一人でホテルに泊まったこともある。

 そんな私を見てお母さんはイエスマンになっていった。私の要望とお父さんの要望、全てに首を振り続けている。いつ壊れてもおかしくない。ずっとそう思っているが、私には何もできなかった。ただ甘えるばかりだった。

 現状は相当マシになったが、私はうんざりしていた。甘ったるさと感覚が無くなる程の鋭さの高低差には慣れたが未だに受け入れられない。カロリーが高くて胃もたれする、といった感じか。さっきと同じように私の頭じゃ表現がどうも思いつかない。

「……れは……だ!……で良い訳がないだろう」

 父の怒鳴り声とも言えない声が響いている。

 これを聞いて私はどんな感情になればいいのだろう。正解など見つからず、イヤホンで蓋をして家具に擬態する。雨音が聞こえる。スマホの設定のせいだ。音楽を流していないとき、気まずさを押し流すようにイヤホンは感傷的な音を差し出す。ロマンティックなど、今はいらないのに。

 少しうとうとして、ハッと時間の経過に気づいたのは23時半だった。もうみんな寝ている時間だ。不意に、明日食べようと思っていたパンケーキ屋のインスタが更新されていたのを見た。途端に鬱がやってきた。あぁ、だめだ。不快感と父の虚像が血に乗って駆け巡る。脊髄で睡眠薬を探しはじめる。こうなったらもう止められない。机の上の瓶をつかみ、乱雑に振り出す。手足の指を使っても数えられないくらいの量。口に含み、脇にある水筒を開けて押し流す。脳のシャットダウンを感知する。頭の中がむだなじょうほうで溢れ始める。私はああたまを抱える。叫びたいが理性が静止する。苦しい。苦しい。自分がいかにクズであるかを図りながら、諦めて身を本能に任せる。明日はもうどうなってもいい。


10時47分 宇土家


「ん、が……」

 頭が痛い。とりあえず体を起こす。

「……すぅ…」

 リビングのソファで寝ていた。夏だからまだセーフだと信じ、身体を起こす。

「…セーフ、じゃないなぁ…」

 酒の缶と溢れた中身が床に散乱していた。唐揚げを作ろうとしたところまでは覚えているが、何故かやめて飲んだくれたらしい。片付ける気にもならず、とりあえずキッチンに水を汲みに行く。

「んく……」

一気に飲み干す。濁った口の中が浄化されていく感覚。酒はここまででワンセットだ。本当はもう少し早いタイミングで、なんなら酒の直後に水を飲まないといけないが、知ったことではない。

 現実逃避の手段としてアルコールは身近で手っ取り早いからよく嗜む。クスリは手に入れさえすればもっと楽だろうが流石にそれほど判断力は鈍っていない。

「薬か」

 薬は薬でも睡眠薬を思い出す。春乃。あの子はどれだけの量の薬を飲むのだろうか。15粒?20粒?それ以上だろうか。

 そんな脱法薬物中毒みたいなことは流石に辛さが想像できるのでしたくないが、ある意味じゃアル中も酒のオーバードーズだろう。好きなだけ飲んでドーズをオーバーしたら吐き出す。文字通りだ。言葉の綾に過ぎないが。酒や薬に拘らず、ゆるく依存できるものがあると世間は生きやすくなる気がする。例を挙げようとした時、恋人の次に思い浮かんだのは親という存在だった。

「くそっ」

 体が思わず固くなる。あぁ、頭が回ってきたから色々と考えてしまう。やめだ。辛気臭いことなんて似合わない。楽しいことだけ考えて死にたい。死という究極の逃げ道を選ぶならその権利くらいはあるだろう。

 しばしの自己討論を終えて、忘れかけていた床の酒を処理するため雑巾を探しに洗面所に向かう。嫌なことなんて忘れる方が得だ。


 チャイムが鳴る。俺の家のチャイムを鳴らす奴なんて警察かあいつの2択だが、ある程度推測はつく。ドアホンの確認もせずにドアまで向かう。

「おーい、恭太ー、いる?」

 ちょうどドアを開けるタイミングで言うものだから少し言葉のタイミングに困った。結局出てきたのはドアを開けた後だ。

「居る居る」

 酒の処理は思い出したが、こっちは完全に忘れていた。

 御堂朔楽。高校から仲の良い腐れ縁の女友達で、色々と知ってる協力者だ。明朗快活の字の如く明るい女で、何度も救われてきた。

「とりあえず入って」

 玄関はリビングの入り口なので惨状は気づいていないらしい。

「……うわ」

 この状況が朔楽に伝わり、後ろにいる朔楽はおそらく苦い顔をしている。

「まずは手伝え」

「異性に会って早々酒の処理の手伝いさせないでくんないかなぁ」

 ゴタゴタ言いながらも手伝ってくれるからこいつは好きだ。


「ふぅ、こんなところ?」

 5分ほどかけて、散らばった缶の回収と混ざった液体の拭き取りが終わった。

「サンキュー、お疲れ。なんか飲むか?」

「ははっ、酒の処理の後にそれは鬼畜だわ」

 朔楽はよくわからないことを言ってソファに座る。

 コーヒーを淹れようと、ケトルに水を注ぐ。

「え、ごめん私も飲むけど」

 ちょっと高めのインスタントのコーヒーを開け、多めに入れたお湯を沸かす。

「だと思ってお湯も二人分入れてる」

「んー!ナイス!」

 そう言って朔楽は笑う。相変わらずこいつは良い面をしている。なんで俺とここまで付き合いを長くしてくれているのか謎だ。

「あ、来た?警察」

 こいつは俺が犯した罪も知っている。どのタイミングで喋ったかは忘れた。

「来た。定期報告みたいな感じで来てたから怪しんで証拠集めに……みたいな感じじゃないと思う。進捗もないって言ってたししばらくは大丈夫じゃないかな」

 コーヒーをテーブルに二つ置き、俺は朔楽の向かいに座る。

「そっかー、良かった。他なんかあった?」

 うーむと思考を巡らし、最近の行動を振り返る。

「前言ってた海岸で会う子いるじゃん、覚えてる?」

 あー、と曖昧な返事が返ってくる。

「あれ、言ってなかったっけか。まぁいいや、その子と会ってファミレス行くくらいしかしてない、最近」

 ふーん、と今度は興味なさそうな反応が飛んでくる。なんなら不機嫌な声色にも聞こえる。

「他は?誰か人に会ってないんですか引きこもりさん」

 歳が離れているとは言え、他の女の話だからか少し罵られ、かと思えば朔楽は澄ました顔をしている。

「会ってはないけど確実に外に出るようにはなったよ。さっき言った海岸行くおかげでほとんど毎日外出てる」

 ここでコーヒーを啜る。まだまだ熱い。

 これくらいが飲みやすくて丁度いいのだが、目の前のこいつは猫舌でぬるいくらいまで冷まさないと飲めないらしい。

「まあいいや、少しは恭太の引きこもりが良くなったなら万々歳よ」

 別に俺としては心配される筋合いはないのだが。

「んで?アポ取るくらいだから用事あって来たんじゃないのか」

「別に?顔見に来ただけ。じゃあマリカやろ、マリカ」

 そう言いながら朔楽はもうコントローラーを掴んでいて、何を言っても無駄だと悟った。

「……負けた方飯奢りな」

「よっしゃ、乗ったろ」

 結局30分ほどゲームをした。大体は俺の勝ちで終わって、その度に朔楽は拗ねたりキレたりしていたが、真剣勝負なので朔楽も飲み込んでいた。

「はは…やっぱ強いね…」

「昔から俺がお前にゲームで負けたことあったか?そういうこと」

 わかりやすく朔楽は頬を膨らませている。


 しばらくゲームをした後、昼飯を奢ってもらいに外に出る。マンションの敷地を出て早々、

「サイゼでいいよね?」

 とか言い出す。300円のドリアで済ませようとしているようだが、俺は許さない。

「良くない。ラーメン」

ちぇ、とあからさまに態度に出し、朔楽は先を歩き始めた。近くのラーメン屋に向かっているんだろう。

「あそこでいいよね?鳴坂屋」

 坂の麓にあるラーメン屋だ。塩ラーメンが美味い。

「おう」

 答えると朔楽は振り向いて歯を見せて笑う。 俺が反応に困っていると、あっちを向いてしまった。

 なんとも可憐な後ろ姿を見ながら、俺は見守るような眼差しを向けている。


「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」

 最近少し綺麗になった店内に入り、テーブルに掛ける。

「高いのでいい?俺チャーシューメン」

「まぁいいよ。お疲れ様も兼ねて」

 もう少しゴネる必要があると思ったが、どうやらいらないらしい。

「私の財布よりあんたのメンタルの方を心配してくれないかな?罪悪感、まだまだあるでしょ。完璧にゼロなのは最悪だと思うけど背負いすぎるのもダメだよ、ちゃんと気晴らしとストレス緩和しなきゃ。あんたがやったこととは言えあんたが100%悪いとも言えないんだから」

 捲し立ててきたと思ったら、次の瞬間には店員を呼んでおり、チャーシューメンを二つ注文していた。かと思えば「あとさ、」と続き、急に顔を赤らめる。

「返事、待ってるんだけど」

「あー、うん」

 単純に申し訳ない。手が止まった。1ヶ月ほど前に告白を受けた。しかし、最近の件で疲弊してまともな返答ができないと思い、しばらく待ってくれと答えを渋っていた。

いつもと変わらず、俺の家で惰性を貪っていた時だった。


 唐突に「真面目な話なんだけど、」と言って切り出された。

「ねぇ、私以外に親のこと言った?」

 言っていない。言うわけないだろう。

「そう。だと思ったけど。でさ?弱みに漬け込んで申し訳ないんだけど、どう?本格的に私と痛み分けしない?」

 なんでそんなこと朔楽がするんだよ。俺の罪だよ。

 そう言うと、朔楽は大きなため息をついた。

「あのねぇ〜?好きな男のことは弱みだって一緒に愛すモノなんだよ」

 え、なに、好きな男って。

「あ、気づいてなかったの?私あんたのこと好きだよ。恭太が何したとか関係ないの、あんたの全部が好き」

 目を丸くするしかできない俺にそう言って、

「あんたがそういう時にすぐ決断できる性格じゃないのは知ってるから、いろいろ荷物が軽くなったら私と付き合って。そこまで恭太は腐れ縁の男友達ね」

 今は答えが出せそうにないと言うと、朔楽は用事があるからと颯爽と行ってしまった。


「へ、ん、じ、待ってるんだけど」

そこまで言い切って、俺の反応が微妙であることを確認すると、朔楽はため息をついて、

「意気地なし」

 とそっぽを向いてしまった。その顔は少し紅潮していて可愛らしい。かと思えば、

「あ、これ別の話だけど、今度さ?この映画見に行くんだけど一緒行かない?チケットもらったの。答えは聞いてない」

 そう言って朔楽はスマホを弄り出した。

「あぁ?うーん」

 朔楽はあっけらかんとしすぎだと思う。

「はは」

 そんな俺を見て、朔楽がこちらを見る。

「何?なんか顔に付いてる?」

「いや、違うよ。ありがとう」

今思ったことを素直に口に出した。

  朔楽はきょとんとしている。どうせこいつ以外にバレたら終わりだ。


「ご馳走様」

「うん!おいしかったね」

 店を出た後にするのはテンプレートのような会話。しかし、これが心地いい。

「どうする?この後。とりあえず戻るか」

「わかった。そうしようか」

 戻るなんて言った俺を見た朔楽は、ひどく物珍しい物を見る顔をしていた。

「ただいま」

 玄関先。そんなことを言う人だっただろうか。自然と口から出てきた。

「珍しいね、ラーメン食べて解散じゃないなんて。あとただいまとか言う人だっけアンタ」

「なんとなくね」

 朔楽も同じことを思ったらしい。

「へぇ〜?」

朔楽のニヤっとした顔は、いつまでも焼き付いて離れない。


それからしばらく、朔楽の監視のもと普通の日々を過ごした。

 バイトもしたし大学のゼミにも行っていたし、春乃にも会いに行った。

 そして8月19日。

「あ、恭太~」

 変わらず浜辺に来た。しばらくぶりに会ったせいか、心なしか春乃はテンションが高い。

 「はぁ、夏休みももう終わりだー」

 「早いな、俺のころはもっと長かったけど」

 「ほんとにー?いいなー」

「でもその分土曜日の登校日の振替休みとかなかったからなー、トントンじゃないか?」

「夏休みはロマンだよ、どうせなんだから長くなきゃ」

 確かに、と笑いながら、夕焼けに差し掛かる空を見ていた。

「明日さ、暇?約束の遊園地、行こうぜ」

「え!行く!暇暇!」

 えへへ、と笑う春乃が愛おしい。

 

 8月20日 9:30

 

 春乃は時間通りに海岸にいた。なんなら俺の方が遅刻しかけたのは内緒だ。起きたら8時半。正直危なかった。

 「お待たせ」

 振り向いた春乃はハイウエストのジーンズにデニムのジャケットのセットアップ。スタイルがいいので似合う。キャップにサングラスもあってアクティブだ。

 俺は適当なTシャツとカーゴパンツを着て来た。流行りだから着ている、と言うことにしておく。

 「待たされました。行こ」

 春乃はくしゃっと笑う。俺とは似ても似つかない。

 

 「明日、バイクと車どっちがいい?」

 春乃に尋ねた。電車やバスに乗るのは避けたかった。犯罪者として大々的に顔が知られているわけでもないが、歳の差がある女の子を連れている異常者として日陰者らしく動くべきだ。

 「んー。バイクって私が後ろに乗るってこと?」

 「まぁ、そうなるな」

 「ふーん。じゃあ、バイクがいいな」

 「わかった」


 昨日のお望み通り、今日の俺はバイクだ。朔楽に乗らせろとパシられ続け、結構乗るようになってきた。駐車場はないので浜の入り口にひっそり停めている。

 「ほら」

 そう言ってヘルメットを軽く放る。

 「乗ったことある?後ろ」

 ヘルメットをつけながら春乃はぶんぶんと首を振る。

「わかった。掴まっとけば大丈夫だから」

 精一杯頼り甲斐のありそうな笑顔をしたつもりだが、少し緊張する。死に場所が道路の上は勘弁だ。


 20分ほど走らせ、一番近い遊園地に着く。そこまでの大きさではないが、一通り遊んだ後に周囲のショッピングモールでも見ていたら一日潰せる。

「チケットはもう買ってある。正面突破だ」

 春乃は眼を煌めかせる。5分ほど入場の列に並び、ようやく中へ入る。メルヘンで洋風な建物、キャッチーなキャラクターに空を飛ぶジェットコースター。今の俺でもテンションが上がる。

「すごーい!」

 春乃は俺以上にテンションが上がっている。

「こういうとこ初めて?」

「うん。うち、変な方向で厳しくてね」

 そう答えた途端、春乃は明後日の方向を向いてしまった。失言だったらしい。今思い出させるのは春乃も望んでいないだろう。そっか、とだけ呟き、歩き始める。

しばらくしてから。

「ジェットコースター、乗ろうか」

下を向いているばっかりじゃ、楽しいことも楽しくなくなるだろう。

「うん」

 嬉しそうな顔。薄氷のように繊細で可憐だ。


ジェットコースターはしばらく待った。その間は服の話をした。かわいい服が多すぎて選べない春乃に、なんでもない服しかなくて正解がわからない俺。方向は真反対でも、着る服に困ると言う悩みは似ているらしい。その他にも結構どうでもいい話をしながら待っていた。

 「ねぇ恭太、私やっぱ絶叫系しんどいかも」

 直前になって、春乃が顔を青くしながら言い出す。

 「やめる?」

 「大丈夫乗れるの。けど、多分めちゃくちゃ声とか出すと思うしうるさいと思うんだけど許してねってだけ!」

 語気が荒い。興奮と緊張だろう。こんな春乃は珍しい。

 いよいよ俺たちの番になり、俺たちは座席に乗り込む。春乃は書き表せないような声を震えながら上げている。

 「それでは豪快な空の旅へ!いってらっしゃ〜い!」

 「ねぇ無理無理!あぁーー!」

 坂道を上っている最中だが、春乃が想像の2倍は声を出していた。

「大丈夫!?」

「テンション上がってるの!」

 ならよかった、のだろうか。しかしここまで素を曝け出してくれるのは嬉しい。信頼、とまでは言わなくとも気を許してくれているのだ。その事実が嬉しい。

 そんなことを考えていると、急に体が浮く感覚に襲われた。考えられる隙間すらなく、俺の身体は地面に叩きつけられていく。俺は春乃とは反対に、浮いても落ちても声が出せないまま目を思いっきり開けているだけだった。

 ジェットコースターに揉まれ、まるで寝ぼけているかのような感覚で地上に降りる。嫌な感覚はなかったが、この感覚は久々なので少し違和感はある。

 「たっのしかったー!」

 主役はかなりご機嫌だった。あれだけ苦しそうな叫び声を上げていたのに全然楽しそうだ。もう一回乗らない?という誘いは断らせてもらった。

 その後、春乃に連れられるままにあちらこちらに並んでは乗り物に乗り、たまに飲み物を飲んだり軽食を食べながら遊園地を満喫した。春乃はホットドッグがお気に入りらしい。

 あっという間に空は黒に染まり、乗れるアトラクションも最後の一つという時間になってしまった。最後はこれ、と息巻いた春乃が向かった先には、巨大な観覧車があった。こちらを振り返る春乃はニヤリと笑いながら、

 「これでしょ、最後は」

 と言う。こいつはムードと言うものを分かっているらしい。少し嬉しくなりながら、行列に並んで番を待つ。

 前の人間が全て天空に昇り始めた後、俺たちの番もついにやってくる。春乃はまだテンションが高かったが、俺はどうしたらいいかわからなかった。

 「動いてる!すごーい!」

 春乃は今日1日ずーっとはしゃいでいる。初めてのことだらけでさぞテンションも上がっただろう。

 俺はと言うと、楽しむ気持ちはあれどどこか一線を引き、達観したような気分だった。保護者みたいな物だから、間違ってはいないと思うのだが。そんなことを考えていたら、反対側から声が聞こえてくる。

 「恭太?そろそろそっちも喋るべきじゃない?」

 春乃は外を見ながら言う。冷たいようでこちらに選択を委ねる、音色だ。この後に及んで、背負わせるのが酷だという感情が喉の奥につかえる。

 「恭太が私の秘密知ってんのに、私が恭太の秘密知らないなんてずるいでしょ」

 春乃はそう言って目を見てくる。口元の緊張が急に緩んだ。心臓が暴れだす。決心をつけ、口を開く。

 「春乃は親のこと、好き?」


 「うーん?結構嫌い」


 その一言で、ダムが決壊したように、鼓動が耳に流れてきた。同じだと、思ってしまった。こんな子に背負わせるには余りにも大きすぎる。多分、何かの罪にも問われる。いいのだろうか。でもなにかに絆されてしまった俺には、それを止めれない程の無力が襲いかかった。震える声は本能の制止を気に留めず、喉を通り抜けた。

 

 「母親を、殺したんだ」

 

 「昔からクズだった。愛人をいっぱい作っていたせいで父親が出て行って、それからろくに食べさせてもらった記憶もない。たまに水商売で稼いでは好き放題して、俺が必死で貯めたバイト代も勝手に使うような人。大学になったら一人暮らしを始めたからそこまで関わりがなかったんだ。

 けど、ある日呼び出されて母に行ったら戻ってきてくれ、金をくれって懇願された。憔悴しきった目だった。なんて愚かなんだろうって思ったよ。その次の日、帰ったら親が俺の家にいたんだ。鍵なんて渡してない。聞いたら大家さんに親だって言って鍵をもらったらしい。その日だな。殺すのを決意したのは。

 恋人の一人と会うって言ってた日の、深夜の繁華街で酒を飲んだ後に迎えにいくふりをして河原まで連れて行って、殴った。そしたら途端にぶっ倒れた。酒以外取ってなかったんだろうな。か弱かった。起き上がって、俺を見た時の目を見たその時に思ったよ。『あの母さんでもこんなに弱いんだ』って。俺の人生を歪めに歪めて、ここまで捻くれさせた母でも他人の怒りには勝てないんだ、って。

 怒りはそんなもんじゃ収まらなくて、そのまま気絶させて殺す準備もした。ブルーシートと包丁、紐。ちょうど母さんの家にあって助かったよ。ブルーシートを敷き詰めたトイレに閉じ込めて、気を失っている母さんを包丁で刺した。何回も、何回も何回も。刺した後は切った。刺すのを辞めた理由も覚えてない。疲れたんだっけかな。もう人って呼べるかギリギリわからないほどの死体を見て吐きそうになったのも覚えてる。

 俺が正気を取り戻す前に死体を埋めて行った。そっから、俺は人殺し。後悔も自責も感じてるけど、自首の勇気もない。情けないよ。ごめん」

春乃の顔は逆光で見えなかった。


「別にいーじゃん」

 その声色は、夕暮れよりも暖かかった。

「私が知ってる恭太は私のわがままを聞いてくれる、大人よりも大人な恭太だけど、その理由がわかったよ。たくさん苦労したからなんだね」

 春乃は立ち上がる。

「ありがとう、情けないと思うこと私に喋ってくれて。嬉しいよ」

 春乃の言葉は脳に響き、減速せずに脳内で乱反射する。俺の身体は目元にしょっぱい水を浮かべるだけで、ずっと硬直していた。

「頑張ったね。恭太は偉い。恭太は生まれ変わったの。もう嫌なこと考えなくっていいよ」

 ジェットコースターのときに出てこなかった声が、今嗚咽交じりに出てきた。観覧車はいつの間にか下降を始めていた。

 

 ゴンドラから降りた時にはさすがに涙は枯れていた。もう日が沈む寸前というところで、俺たちは遊園地を後にした。観覧車の後は感想戦だったが、

「春乃」

「どしたの?」

 改めて言うのは少し恥ずかしいが、言わないといけないのだ。

「ありがとう。救ってくれて」

 ふふっとおかしそうに春乃は笑う。

「なんにもしてないよ、私」

救われた。今、そう確信した。

 その後、ファミレスで晩ご飯を食べ、また後ろに春乃を乗せて海岸近くで解散になった。

「ばいばい、また今度ね。恭太」

「おう」

 終わりの会話はそれだけで十分だったのですぐに解散にした。軽くなったバイクを走らせながら頭を回す。明日からしばらく春乃には会えない。何をしようか。朔楽と会おう。返事に答えを出そう。

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