終章

 竹山社長との面接から三ヶ月後の一月のある日のことである。健一の姿は飯塚にあった。ここは、たけやま調剤薬局の、開店準備中の飯塚店の調剤室であった。

 健一はたけやま調剤に鞍替えしたのである。その後、六十歳までたけやま調剤に居て、辞めることにしたのである。社長は引き留めたが、ここで、一旦調剤の仕事から離れたかったのである。

 この年の十月六日には父の深瀬三郎が八十六歳で亡くなった。母の夏子は八十三歳でまだ、元気であった。少し、認知症が出ている。宮若の施設に入所していた。

 田舎の母の名義の田畑は本家に買い取ってもらった。百年以上経過した家屋は、解体して、更地にした。その後の事はまだ、考えていない。

 健一は半年間、のんびりと旅行に行った。一人旅である。過去に自分がかかわって来た場所を訪れて、懐かしんだのである。感慨深かった。そして。自分の人生を反芻したが、何も出てこなかった。仕方が無いので、ジムに通ったり、スポ-ツ吹き矢を始めたり、オカリナ教室に通ったりもした。しかし、永年休むことなく働き続けてきたためか、何か、世間と直接繋がっているツールが無くなってから、だんだんと無気力になって行く自分を自覚するようになったのである。

 世間と直接、、なまかかわって生きて行くことを渇望して、それが満たされていない現在の生活に焦りだしたのである。

 彼は、再び働くことを決心したのである。思い立ったら即。実行である。健一は仕事を探すことにしたのである。そして、ネットで求人を検索していたら、自宅から近くて、新しい刺激が感じられそうな会社を見つけたのだった。

 それは、大手のドラッグストアであるアジサイ薬品であった。早速、博多駅前にある本社に面接に行ったのである。そして、二か月後の平成十八年十一月十日から、アジサイ薬品宗像店で働き出したのである。今回の仕事内容は、一般医薬品や、彼がサンエーの時に販売していた日用品等をお客様にカウンセリング販売する仕事であった。馴染みのある商品が多かった。でも、時代の変遷で、この業界も変化し、進化していたのである。ここでも、毎日が学習の連続だった。

 毎日刺激があって、しかも、周りが若者ばかりで、活気があり、楽しかった。しかもうれしいことに報酬も意外と良かったのである。一年契約の嘱託社員であった。四回契約を更新したのである。

 デイリー食品の知識も結構増えた。食パンや卵、米のの陳列、品出しもマスタ-したのである。未経験な事を初めて経験することは愉しかった。周りのスタッフも親切で優しかった。楽しい四年間であった。

 アジサイ薬品を退職したのは、夜、暗くなってからの車の運転に危険を感じたのが理由であった。バスでの通勤は店の近くに路線が無かったから無理だった。

 その後は、電車通勤できる、北九州の小倉にあるマツモトキヨシの店舗に三年間、そして、八幡のサンドラッグに二年間勤めたのである。その後も地元の宗像市の調剤薬局を三ヶ所経て、最後に辞めたのが今回の職場であったのである。

 令和二年(2020)十二月二十日をもって、健一は、今度こそは、本当に仕事からリタイアしたのであった。この年はコロナ感染症で世界中の日常が大きく変わってしまった年であった。

 健一は生かされてきた七十五年間の人生と、その中で、仕事人間として、必死になって働いた五十年間の足跡を訪ねた事で、改めて残された今後の【いのち】の使い道を発見することが出来たのである。

 さあ、出発しなくては‼

 残された時間はあまり無い!

 放送大学に入学願書を送らなければ!

 健一は郵便局に向かって歩き出したのである。



                                     完

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平凡な男の記録(昭和20年生まれ) 本庄 楠 (ほんじょう くすのき) @39retorochan

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