第13話
入社前からサンエーの竹内社長の著書を繰り返し熟読して共感を持ったのである。そして、これだ!と感動したのだった。自分が 納得して入社した会社なので、全てに不満はなかったし、
社長の打ち出す方針、そして、それを実行する行動力は各メディアの的になった。
当時の日本の流通業界の騎手であり、スタ-だった。この時のサンエーは留まるところを知らない勢いであった。お客様たちは『消費者』として自ら自立して、消費者連合等の組織も結成され、活動も盛んになって来たのである。サンエーにはこれ等の大勢の生活者たちの味方があったのである。サンエーは、これらの団体とも共同戦線を張って【価格破壊】を宣言したのである。
健一は流通業界についての勉強を積極的に始めたのである。竹内社長の本はすべて読んだ。渥美俊一の書いたチエ-ンストア理論や、雑誌の商業界、アメリカの流通業界関連の本や各社、団体の講演会への参加等、休みの日は大半の時間をつぎ込んだのである。
何よりも面白かったのは、旧態依然としていた、この分野に科学的な発想を持ち込んだ点であった。暗黒大陸にメスを入れたことであった。そこに消費者主義、お客さまの四つの権利、フォアザカスタマズ、等の言葉が次々と生まれ、まさに流通業界の革命が
再販売価格維持制度と戦い、制度化粧品メーカーと喧嘩し、天下の松下電器に挑み、プライベートブランド商品を開発した。更には、ダブルチョップ商品やストアブランド商品も数多く造ったのである。そして、三百品目以上の日曜品や食品の必需品の価格を一年間凍結するキャンペーンを打ち上げたりして、常にマスメディアに話題を提供し続けたのである。
こんな元気な社長の下で働く社員たちも、イケイケ、ドンドンで、皆、生き生きと働いたのだった。
労働組合も設立され、社員の待遇も年毎に改善された。定期昇給も毎年平均二万円以上アップしていき、ボーナスも増え続けていったのだった。健一は自分の選択が間違ってなかったと自信を持つことが出来たのである。そして、今や、竹内社長に心酔してしまっていたのだった。
やがて、日本にも大型のスーパ-マ-ケットが多数出来だした。西友ストア、イトーヨーカドー、ニチイ、ジャスコ等々。地方にも地場のスーパ-マ-ケットが林立するようになってきた。そんな中で、サンエーは売上高では一兆円を達成して、三越を抜いて日本一の小売業の会社にのし上がったのだった。昭和五十五年(1980)の事であった。
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