日没まで

あけぼの

日没まで

 冬の薄紫色の寒空の下、随分と薄着の少女が海浜公園のベンチに座って灰色の海を眺めている。

 彼女は古びた薄い上着を羽織っているだけでマフラーや手袋は持っている様子はなかった。

 あれで海風にあたって寒くないのだろうか。

 僕の視線に気付いた彼女は僕に話しかけてきた。


「昨日もここに居たよね。暇なの?」


 彼女は僕と同じくらいの年ごろなのに随分大人びた静かな話し方だった。


「暇かと言われれば暇だよ」


 僕は冬休みに入ってから何の予定もない様な男だった。


「可哀想」


「なんだよ、可哀想って……暇な事はいい事だろ!……そういう君はどうなんだよ。暇なんじゃないのか」


「ひま」


「ははは、暇なんじゃないか。なら自分は可哀想じゃないのか?」


「どう見える?」


 彼女は挑発するような顔で僕に聞き返してきた。


「寒そうで可哀想だ」


「そう」


 僕の答えに怒っても良さそうなのに彼女は微笑んでいた。


「上着貸そうか?」


「大丈夫」


「……君はどうしてこんな所に?」


 僕が尋ねると、彼女は海を見つめながらつぶやいた。


「暇だから、海を見に来てるの」


 海にまで来てベンチに座っているのだから聞くまでもなかっただろうか。


「じゃあ僕と同じだ。僕も海を見に来てるんだ。せっかくの冬休みだから夕焼けの写真が撮りたくって。……まぁ最近曇り続きで良い写真は撮れてないんだけどね」


 僕はカバンの中にしまっていた僕が幼少期に死んだ爺さんの遺産だったらしいカメラを取り出して彼女に見せた。


「へぇ」


 彼女は僕が海に来る理由なんて興味無さそうだ。


「横に座ってもいい?日没になるまでさ」


 日没まであと15分くらいだろう。僕は海浜公園まで駅から歩いて来て疲れていたのでそう尋ねた。


「……きみ、距離感詰めるの早いね」


 自分から話しかけておいてそんな事を言うなんて。全く心外である。


「嫌だったら良いけどさ……」


「……良いよ別に。どうぞ」


 彼女はちょっと右に詰めて手でポンポンとベンチを叩いた。


「ありがとう」


 僕は彼女の隣に座った。


「君、名前は?」


 僕は彼女の名前を聞いた。


「ユウキカエデ」


 彼女はユウキカエデと答えた。漢字は聞かなかった。たまたま出会った相手だ。聞いてもしょうがないと思った。


「僕は水島夏彦。よろしくユウキさん」


「……よろしく」


「ユウキさんはここら辺の人なの?」


「……私はここから歩いて20分くらいのとこに住んでる」


「へぇ、海に近くていいじゃないか」


「他には何にもないけどね」


「そうなのか?」


 彼女はただ頷いた。


「……あなたはどこに住んでるの?」


「僕?僕は七曜駅の近くだよ」


「七曜駅?」


「うん隣のK市の駅。ここの近くの駅から5駅くらいかな。シチヨウ君っていう人型のマスコットがいるんだけど知らない?」


「……知らない」


「そっかぁ。多分一度見たら忘れられないよ。なんたって頭がカレンダーでハッピを着て褌姿なんだ」


「……それマスコットなの?」


「そりゃ勿論、もうすぐ10周年なんだってさ。

 シチヨウ君の顔のカレンダーも特別仕様らしいよ。ちょうど10周年イベントやってるから今度見に来たら?」


「興味ないかな」


「えぇ…一度見たら凄いって思うだろうけどなぁ」


「そんなイベントのためにわざわざ行きたいなんて思わないでしょ」


 確かに興味ない駅のマスコットの為に出掛けようなんて思わないだろう。


「ならそのついでにK市を見て回ってみれば良いよ」


「K市には何かあるの?」


「大きなショッピングモールがあるよ」


「……それもあんまり興味ない」


 そう言うユウキさんは相変わらず僕の方を見ないで細波を見ている様子だ。それにしても中学生の女子でショッピングモールに興味が無いとは。

 休みにショッピングモールに行けばうちの中学校の女子生徒は絶対に見かけるというのに。


「K市のショッピングモールは色々売ってるんだよ?ゲームとか漫画は勿論、服も靴も売ってるし、レストランなんかもある。あとはゲームセンターもあるけどちょっと治安が悪いんだよね」


「そう」


 どうやら彼女にはショッピングモールは刺さらないようだ。


「……ユウキさんはどんなとこが好きなんだ?」


「人が少ない静かな所」


「なるほど」


 そりゃショッピングモールは刺さらない訳だ。


「そっか、それじゃこの海浜公園より良い場所を僕知らないや」


「そう。残念」


 彼女はちょっとこっちに目をやって微笑んでそう言った。彼女は言葉と裏腹に少しも残念そうじゃ無い。


 それからちょっと学校の話だったり、写真の話だったり、雑談を続けていたら日が地平線の下へと沈み始めた。

 海の向こうの空はオレンジ色になり、僕らの方の空はパステルな薄い紫色になった。

 今日はちょっと雲があるけれど雲の下の方に太陽の光が反射していてあれはあれで実に綺麗だ。


「日が落ちてきたけど撮らないの?」


「うん。もう日が沈んで少しした後の遠くに見える街が影になった感じになった時が好きなんだよ」


 僕の目当ては海の向こう側に淡く小さく見える建物が黒く染まって空の赤と街の黒の二色になった世界だ。


「ふーん」


 彼女は日没をじっと見つめている。もしかしたら彼女はこのくらいの日が落ちきっていないオレンジ色の夕焼け空が好きなのかもしれない。


「ユウキさんは今の夕焼け空が好き?」


「……嫌いじゃないけど」


「なら好きじゃないか」


「……そうね」


 僕はあの夕焼け空を写真で撮ることにした。ベンチから立ち上がって良い画角でシャッターを切った。


「……撮るんだ」


「うん。今の空も綺麗だからさ。……どう?綺麗に撮れてる?」


 僕はベンチに再び座って隣のユウキさんに写真のデータを見せてみる。


「いいと思う」


「そっか」


 自分でもいい感じに撮れたと思ったのでその言葉は嬉しかった。


「ふふっ。……じゃあそろそろ帰るね」


 彼女は公園の時計の方を見てそんな事を呟いた。


「えぇ?これからが見どころじゃないか」


「残念だけど、そろそろ帰らないといけない時間だから」


 彼女はそう言って立ち上がる。


「そっか。……なら仕方ない。じゃあまたねユウキさん」


「バイバイ、ミズシマくん」


 彼女は手を振って去って行った。僕は手を振って見送った。

 彼女が去ってから自分の好みの風景になるまでの僅かな時間は、彼女がいた時と比べて海風を寒く感じた。

 僕はそれから遠くの街が黒一色になり、空がオレンジ色に染まった頃に写真を撮って満足して帰った。


 後日、写真を見返した時、彼女の見つめていた空の写真の方が綺麗だと思った。

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日没まで あけぼの @akadaidai

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