第20話 クッキーギバー

 あれから数日経った。


「望月くん! 是非! 私たちとやりませんか!」

 幸詩と校門から出ようとしたところを、真っ正面を切ってやってきたのは、桜井さんとその仲間たち。

 桜井さんは一歩踏み出し、その手に持った楽譜を握りしめていた。彼女は真剣な眼差しで望月を見つめている。


「無理って、言ったよね」

「そこをなんとか! 望月くんとバンド、やりたんです!」

 

「無理だから」

 ここ毎日繰り広げられている桜井さんと、望月くんの攻防戦に、周りの人達は興味津々といった様子で視線を送る。それはそうだ、可愛いと話題になっている女子生徒に、迫られても断り続ける男子生徒なんて良い噂の的だ。特に、彼女を狙っているだろう男子生徒達からのやっかみも酷い。


「晴富、行こう」

「う、うん」

 幸詩にとっては大変迷惑だろう。不機嫌そうに俺の肩を抱くと、さっさと学校から出て行く。後ろからはいつものように、「諦めませんからー!」という桜井さんの叫びが聞こえてくる。


 正直、諦めて欲しい。俺も心の底から願っているし、幸詩も同じくうんざりしている。


 桜井さんのせいで、いつもの掘っ立て小屋でのんびり出来なくなり、俺も内部生側からは「一体どうなってんだ」と質問攻めにされている状態だ。

 あの人情が薄い高田と松下の二人にすら、面白半分とは言え同情されている状況。


 昨日のお昼休みにも幸詩の事情は伏せつつ、今の状況の説明をしたのが、二人とも面倒くさそうに肩をすくめていた。

 最後まで聞いた高田曰く「望月、まるでラノベ主人公みたい」らしい。そして、松下からは「それなら、白石はお節介な親友モブだな」と厳しいお言葉を頂戴した。


「もっと優しくしてよ、俺、結構困ってんだよお」

「だったら、望月の問題に首を突っ込まなきゃいい」

「まあ、がっつり踏み込んでるし、白石は身内に甘いから無理だろ」

 ばっさり切られたが、話を聞いてくれるだけでも、相当優しい扱いなのは今までの三年間で理解している。

 たしかにここまで関わったのもあるし、幸詩のためにも今更降りる気はない。ならば、今の状況も飲み込もうと思った。


 ……のだけれども。


「白石くんですよね!」


 文化祭に向けてのボランティア部のミーティングの帰り、たまたま通った教室から急に声を掛けられた。鈴の鳴るような可愛らしい声、まさかと嫌な予感をしつつ振り返ると、そこにはベースを手に持った桜井さんが立っていた。


 無視すれば良かったのかもしれない。しかし、俺にはどうしても出来なかった。駆け寄ってくる彼女に、俺は逃げられずに、直立で硬直するのみだ。


「え、えっと、桜井さん、何か……」

「あの! 今! お時間、よろしいでしょうか!」

「はっ、はい!」 

 突然のことに狼狽える俺は、畳みかけてきた桜井さんの勢いに飲まれ、気付けばつい返事をしてしまった。


「五組の桜井美咲と言います。二組の白石さんですよね、今まであんななも騒ぎ立ててたのに、挨拶ちゃんと出来ておらず、すみません」

「まぁ、だ、大丈夫です。はい、白石晴富です。いつもどうもです」

 教室に入った俺と桜井さんは、適当な椅子に向かい合って座り、大変今更な挨拶を交わす。

 既に出会ってから一週間ほどだが、桜井さんにとっては幸詩しか見えなかったのだろう。仕方ないと言えば、仕方ないとは思う。

 そんな桜井さんが、俺を呼び出す理由もまた、一つしか無い。


「あの、単刀直入にお願いします。望月くんと、一度だけでもいいので一緒に演奏したいんです、お手伝いいただけないですか!」

 頭を深々と下げる桜井さんの後頭部を見ながら、ああやはりと思う。


「それは……本当に、幸詩が決めることだから」

「でも、一度だけでも、お願いできませんか?」

「いやぁ、そう言われても……」

 中々に粘り強いタイプなのだろう。必死に頭を下げ続ける姿に、俺は何もやっていないのに、罪悪感が湧いてくる。

 どうやって断るろうかと、言葉をあぐねる俺に、桜井さんはすかさず言葉を繋げた。


「望月くんと演奏するのが、私のだったんです!」

 。真っ直ぐな彼女の視線と言葉は、俺の心に鋭く刺さる。


「……幸詩のこと、知ってたんだよね」

「はい! ショート動画で回ってきて、何て凄いんだって思って! その一曲しか無かったけど、もう心にグサッときちゃって!」

 桜井さんが見た動画は、やはり幸詩にトラウマを植え付けた動画だろう。


「……そうなんだ」

「あの曲を、あんなにも甘く切なく歌い、ギターの旋律もアレンジも巧みで……何よりも、私、幸詩さんの歌声に救われたんです」


 救われた、とはどういうことだろうか。雲行きが変わる単語に引っかかりを覚えた俺は、なにがあったのかとすかさず尋ねてみた。すると、桜井さんは俯き、言い辛そうに小声で答えた。


「私、中学の頃、イジメられてたんです」


「それは……大変だったね」

 かなり重い内容に、俺は言葉が上手く見つからなかった。桜井さんは、「ほんと理由は大したことないんです」と乾いた笑いを貼り付ける。


「クラスの男子に告白されて振ったら、次の日からもう……」

 ああ、よくある凄く厄介なやつだと、俺は「ああ……」と思わず同情する。


「あの時、もっと断り方をとか、付き合えばよかったのかとか……凄く後悔しました」

「それ、桜井さん何も悪くないよね」

 なあなあで付き合って幸せになるパターンなんて少ないと思うが、どうしても振ったとなると良いイメージじゃなくなるのは確かだ。


「でも、私、こう見えて、猪突猛進タイプで……立ち回り下手くそすぎて……」

 確かに立ち回りが上手くないのは、幸詩を説得している姿を見ているだけでも伝わる。


「だから、本当にどん底だった私に、昔は名前も知らなかったけど……望月くんの動画を見て、元気を貰ったんです」

 そうやって、嬉しそうに笑う桜井さんに、俺は余計に返す言葉を無くしてしまう。

 普通に聞けば、なんと良い話だと感動して終わる話なのに。


 ああ、なんという皮肉だろうか。


 幸詩を苦しめた無断動画で、救われた人がいるなんて。正直俺の心中は複雑でしかない。言葉を紡げず、相槌だけをうつ俺に、桜井さんは思いの丈を語り続ける。


「だから、もし叶うなら、いつか望月くんと一曲演奏して歌いたいと、ベースとボーカルを始めたんです」

 桜井さんの目がキラキラと美しく輝き始める。


「まさか、運命って本当にあるんだって、思ったんです。このチャンス、逃したくないんです……!」

 桜井さんの言葉が強い響きを持って、胸に刺さる。


 自分の夢に真っ直ぐな姿は、あまりにも眩しい。


 俺は、ふと想像してしまった。

 光り輝くステージの上で、幸詩と桜井さんが並び立って演奏する姿を。


 思い浮かべた俺の心臓は、ぎゅうっと力強く握り潰されたかのような痛みを発する。この湧き上がる感情は何だろう、直視してはいけない感情だと理性が叫んでいるのに、胸の奥でざわめきが止まらない。


「そこをなんとか! い、今なら、買ったクッキーもあげます!」

 しかし、こんなにも懸命に、お願いし続ける桜井さんを無下にも出来ない。しかも、包装がまだしっかりとした袋に包まれたままのクッキーを、桜井さんは俺に差し出した。コンビニで売っている少し高めの大判のクッキーお菓子。袋を握る桜井さんの手が、小さく震えている。


「……一応、聞いてみるよ。ただ、期待しないでね、クッキーも大丈夫だから」

 桜井さんの熱意の前に、流石に俺は折れた。

 酷く歯切れの悪い俺の返答にも関わらず、桜井さんの顔が一気にパッと明るくなり、嬉しそうに笑った。その姿は、大輪の花が咲いたかのように美しかった。


 こんな可愛い子が、幸詩のことを……。


 桜井さんが明るくなるほどに、俺の気持ちはどんどんと暗く良くない方に歪む。

 ああどうしよう、と俺は心の中で頭を抱えた。


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