涙茉と結雁は、森の近くにある町を訪れた。

 商店街には様々な店があり、多くの人で賑わっていた。団子を頬張る少女たち、親へと華やかな下駄をねだる子ども、着物を眺める老夫婦――そんな人々の合間を縫うように、二人は進んでいく。


「涙茉さん、何か気になるものはありましたか?」

「そう、ですね……わたしは、結雁さんが選んでくれたものなら、何でも嬉しいと言いますか……」


 黒髪の毛先をいじりながら、涙茉はぼそぼそと言う。

 彼女の隣を歩く結雁が、問う。


「……例えばそれが、かんざしでも、ですか?」

「え」


 涙茉は思わず、足を止めた。

 結雁は真剣な顔付きで涙茉のことを見つめていた。

 涙茉は、知っている。

 男が女に簪を贈るのは、求婚を意味するということを。


「あ、ええ、ええと」


 涙茉は自らの顔が熱くなっているような気がした。

 赤色と緑色の混ざり合う綺麗な結雁の瞳に、動ずる涙茉の姿が映り込んでいる。

 だめだとわかっているのに期待してしまう自分を、涙茉は愚かだと感じる。

 何か答えなければいけないと思い、涙茉が桜色の唇を開いたときだった。



「――――こんなところにいたのね、涙茉」



 もう二度と聞きたくはないと思っていた、声がした。

 涙茉は呼吸を忘れながら、その方向を見る。

 瑠陽が、いる。


 *


 かちかちと、震える口内で歯が音を鳴らした。

 華やかな着物に身を包んだ瑠陽は、にこにこと笑いながら涙茉へと歩み寄ってくる。


「ずっと探していたのよ? 皆、貴女のことを心配しているわ。さあ、早く、屋敷に帰りましょう」


 どうしようもない違和感を、涙茉は覚える。

 瑠陽が、やさしい。

 どうして?

 その疑問の答えを、涙茉はすぐに知ることとなった。


「ところで、貴方は……涙茉の、ご友人ですか?」


 甘い香りを漂わせながら、瑠陽は結雁を上目遣いで覗き込んだ。


「とても格好よくて、思わず見惚れてしまいました。お名前は何と仰るのですか? その瞳……本当に、お綺麗です」


 瑠陽は、つうと結雁の胸元に人差し指を沿わせる。

 その光景を、涙茉は何も言うことができないまま見つめていて。



 ――――気付けば涙茉は、瑠陽のことを突き飛ばしていた。



 大きな音を立てて、瑠陽が地面に転がる。


「奪わっ……ないで……」


 涙茉は両手で頭を抱えながら、叫んだ。


「もうこれ以上、わたしから何も、奪わないで! どうか、せめて……結雁さんだけは、奪わないでっ……!」


 涙茉の言葉に、瑠陽は呆然と息を吐いて。

 それから立ち上がって、涙茉の着物の襟を掴んだ。


「お前……〈蠅〉の分際で、誰に口を聞いているのか、わかっているの」


 言い返そうとして、涙茉は気付く。

 結雁に、嘘をついたままだった。

 か細い声で、涙茉は言う。


「……言わ、ないで」

「は?」

「お願い……〈蠅〉だって、言わないで……」

「……ああ」


 瑠陽の口角が、つり上がる。

 それから彼女は、結雁へと微笑みかけた。


「もしかしたら、貴方はご存知ないでしょうか? この子はね、〈蠅〉の力を授かったお嬢様なのですよ。ですから……気持ち悪い匂いが、するでしょう?」


 涙茉は、ぼろぼろと泣いてしまう。


「ところで、わたくしはね、〈百合の花〉の力を授かったのですよ。ですから、この子よりもずっと、わたくしの方が……」


 瑠陽が言い終える前に。

 結雁は強い力で、涙茉を瑠陽から引き剥がすと。



 涙茉を抱きしめて、その桜色の唇に――優しくくちづけをした。



 涙茉は黒く澄んだ目を、見開いた。

 結雁は蔑むような目付きで、口をぱくぱくと動かしている瑠陽を見る。


「貴女は……涙茉さんを、気持ち悪い匂いと仰いましたが」


 結雁の声は、冷めた温度だった。


「俺にとっては、涙茉さんが、世界で一番いい香りなんです」


 そう言って、結雁は瑠陽に見せつけるように、涙茉の頭を撫でる。


「……むしろ俺にとっては、甘ったるい貴女の匂いの方が、気持ち悪い」


 夢でも見ているのだろうかと、涙茉は思った。


「もう二度と、涙茉さんに関わらないでください」


 結雁はへたり込んだ瑠陽にそう告げると、涙茉の身体をお姫様のように抱きかかえて、去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る