白猫の終わらない休日

赤魂緋鯉

前編

 ――かつて〝雪豹ゆきひよう〟と呼ばれ、その抑止力として裏社会の人間を恐れさせた、世界最強の殺し屋の少女がいた。


 彼女はおおよそ3千人の裏社会の人間を始末した日から、異名の由来となった色素が抜けた白髪の目撃情報も、彼女が殺したらしい、といううわさすらも忽然こつぜんと消えてしまった。


 抑止力が消えた裏社会は、彼女の登場前と同じ巨大勢力同士の綱引きに戻り、その隙をついて無秩序な新興勢力がのさばる様相を呈していた。


 しかし、いよいよ新興勢力側の悪行が過ぎ、看過できなくなった巨大勢力側との大抗争が勃発した。


 そんな最中、いったい彼女はどこへ行ってしまったかというと、


「眠いから12時間後に来て……」

「……いや、それだと深夜2時なんですけど……」


 とある地方都市の某所にある、やや古くさいが立派な建物と広い敷地を持つ、洋風建築・夜塚やつか邸のリビングにて、ソファーの上で毛布にくるまっていた。


 ――白いモコモコパジャマの彼女からは、異名の猛獣の要素がまるっきり抜け落ち、すっかり抜けてしまっていたのだった。


「というか誰……?」

「ええっ」


 彼女を尋ねてやって来た、スーツ姿の若い女性が、テーブルを挟んで向かいに居るにも関わらず、礼儀もクソもあったものじゃない寝ぼけ眼で彼女へ訊く。


「あら? 殺し屋さん時代のお知り合いだって聞いたけれど?」

美耶みや……。そうやってほいほい信じるのやめて……」


 その隣に座って膝を貸している、家主である20代後半の女性・美耶が、極めておっとりとした声と挙動で首を傾げ、そのノーガードさを〝雪豹〟はうにゃうにゃとたしなめる。


 彼女はシンプルな白のブラウスに黒いカーディガン、灰色のロングスカートという出で立ちで、その所作からは育ちの良さが一目瞭然だった。


「いや、知り合いじゃないですか! ほら、あなたの事後処理要員の1人だった!」

「そういえばそうだったかも……。エーコちゃんだっけ……」

「そうですっ! 覚えてるじゃないですかっ!」

「今思い出したから……」


 ガタッと立ち上がって声を張る、自身がエーコと呼んだ女性へ、彼女はやや申し訳なさそうに顔をしかめて返した。


「よく分からないけれど、ユキちゃんのお友達で良いのよね?」

「うー……。まあ、それでいいや……」

「結構、仲良かったと思ってたんですけど……」


 ほんの数秒考えようとする前に諦めて、ユキちゃんと呼ばれた〝雪豹〟にそういうことにされ、エーコは脱力してソファーに座った。


「それはそうと――」

「殺し屋に戻れ、っていうなら帰って……」

「そ、そんな……」

「せっかくこんな遠くまで来てくれたんだから、お話ぐらいは聞いてあげない?」

「美耶がそう言うなら聞く……」


 にべもなさすぎる返答をしたユキだが、美耶の提案をあっさりと受け入れた。


「じゃあ3秒でまとめて……」

「いや俳句じゃないんですから」

「無茶いわないの」

「うー……」


 ちょっと上手いこと言ったエーコに、美耶はクスッと笑ってユキの側頭部に緩やかなチョップを入れて窘めた。


 エーコはたとえ断られるのが確定としても、現在の裏社会の状況をユキへ説明する。


「――というわけで、いろいろ大変な事になってるんです」

「あっそう……。じゃあね……」

「ユキちゃんってそんな凄かったんだ。知らなかったわ」

「それ自慢する事じゃないから。ていうか、そもそも美耶に言って無いから……」


 とにかく興味なさそうに渋い顔で聞いていたユキは、本当に聞くだけ聞いて美耶の膝に幸せそうな顔で頬ずりした。


「いやいやいやっ。それでもなんかこう、あるじゃないですかっ。お願いしますよっ」

「だって別に私も頼まれてやってたもん……。秩序がどうのって言われても困る……」

「ですけど、このまま放置したら表の人達にだって被害がっ」

「私が埋まるだけ人員増やせばいいじゃん。昔だって私1人がやってないでしょ?」

「まあそうなんですけど……」

「あ、そうなの?」

「3年しかやってないのに、3千人も行けるわけないじゃん……」


 私1人だと500人ぐらいだよ、と、裏社会の治安維持を司る組織の吹かしを全く疑わず、感心しきりの美耶にユキは呆れた様子でため息をついて言う。


「でもそれ十分多いんですよ。相手に隙が無くても殺せる人員なんて、『スピリット・オフ』の人達以外は多くて年20人とかなんで」

「あらあら。確かに人数の確保に骨が折れるわね」

「はい。損耗の補充まで考えると、1年で今現役の全殺し屋の人数超えちゃうんですっ」

「案外少ないのね」

「まあ、昔よりは裏社会も縮小してるので、人員も需要も少なくなってまして」


 エーコは作戦を変更して、ユキ本人ではなく、同情している様子で彼女が言うことを聞く美耶を説得にかかった。


「困っているのは分かったわ」

「はいっ」

「でも、ユキちゃんが嫌だっていうし、申し訳ないけれど安易に頼ろうとするなら諦めてちょうだいな」


 だが、それまでゆるふわな笑みを浮かべていた美耶は、その意図を察して真顔になると、ユキよりも取り付く島もない雰囲気で突っぱねた。


「それについては大変失礼しました……。ですが、そんな事言ってる場合じゃないんですっ」

「あらあら?」

「なんで……?」

「それは――」


 ある機密情報を言う必要があり、ユキはともかく美耶に聞かせて良いか迷ったエーコだが、


「美耶さん、その、くれぐれも他言無用でお願いしたいんですが……」

「ええ当然。私もあながち表社会の人間じゃないもの」

「? では、言いますが。……ここ最近、『組織』に登録されている殺し屋関係者が、相次いで殺害されているんです」


 背に腹は代えられないので、美耶の発言に疑問を覚えつつ、彼女は処分覚悟で下位管理者級の権限でしか知る事が出来ない、その衝撃的な情報を明らかにした。


「そういうときのための『スピリット・オフ』じゃないの……?」

「……〝黒犀くろさい〟さんが殺されたから、あなたに頼みに来たんです」

「えっと。その人って序列4位だよね?」

「1位のあなたが抜けたんで、現3位です」


 流石に寝ぼけ眼だったユキは、更に驚愕きょうがくの追加情報で流石に目が覚めた様子になった。


「『スピリット・オフ』?」

「簡単に言えば『組織』の切り札の10人って感じ。神隠しって意味だって」

「まあまあっ。それならエーコさんも危ないわね」

「私に機密バラしたって言って、解雇されたら安全じゃない?」

「そっ、れは……。……流石に無責任ですからっ」

「部外者に自分の判断で機密を漏らす時点で、とっても無責任だと思うけど」

「うぐっ」


 のそり、と起き上がったユキからの正論を喰らって、覚悟を決めていたエーコの表情が痛そうにしかめられた。


「秘密を共有させて、なんか協力するしかない空気にするのも卑怯ひきょうだと思うよ。そういうことするなら今すぐ帰って。はっきり言って邪魔者だよ君」

「うう……」

「ユキちゃんっ。ほらその、手心というか……」

「だってさ、それで引き受けて私が解決しちゃったら、何回も来るでしょこの子。なんかのきっかけで美耶が裏社会こつちがわに落っこちるリスクでしかないじゃん。それ」

「それはそうだけれど……。でも、もうちょっと優しくしてあげて? ね?」

「美耶がいうなら……」


 眉間に拒絶を示すしわが寄っているユキが冷たく言い放ち、立ち上がってエーコをつまみ出そうとするのを美耶が手を掴んで止め、彼女は不承不承な様子で元の位置に戻った。


「じゃ、最初から言ってるけど私は協力しないから」

「そこをなんとかっ。『組織』から言い値で依頼料をお支払いする様に言われてますので……っ」


 傍らの肘掛けに立て掛けてあった鞄の中から、空欄の小切手を手にしたエーコは、ユキの足元で滑り込む勢いの土下座を見せて懇願する。


「ちょっと可愛そうだし、妥協してあげても良いんじゃない?」

「……じゃあ、その殺し屋殺しが来たら協力するってことでいい?」

「どうエーコさん? ダメ?」

「あっ、いえっ。限定とはいえ、ご協力いただけるだけでもありがたいです!」


 渋々妥協策を出したユキとそれ出させた美耶に、エーコは床に額が付くのもいとわずに深々と頭を下げた。


「……でも本当に1回だけね。ないから」

「そ、それはもちろんですっ」


 はっきりとは言わなかったが、ユキは手で首を切る動きをして、エーコへ殺してでも断る事を念押しする。


「では、用事も済ませましたし、この辺りでおいとまさせてもらいます」

「まって。その『組織』の関係者って事は、あなたも狙われる可能性あるじゃない?」

「そうなりますね」

「解決するまでウチにいても良いわよ。ユキちゃんのそばが一番安全だし」

「ええ……。そんなことしなくても、この子自分でなんとか出来るよ?」

「ほら、優しく優しく」

「むう……」


 不服そうに口を尖らせて美耶を見て、ユキは彼女へ猛反発するが、その揺るがない笑みの圧に負けてあっさり引っ込めた。


 ため息を1つ吐くと、ユキはそのままふらっとリビングから退出していった。

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