傍で聴いていて
― 報告のあったルートを利用して戻ることは許可できません
― 来た道を戻るのが一番早いと思いますが?
― 報告によるとお二人は隠し通路を利用していますね。その通路はホテルの関係者以外には知られてはいけないものだそうです
― 見つけちゃったんだから仕方ないでしょ
― ええ。偶然発見したのであれば問題はありません。しかし、それを更に広めるとなると話は別。幸いにも別のルートから戻れる場所にいるわけですから、ハムスター候に隠し通路を教えるのは避けてください
― なら地図をくださいよ。控室まで戻るまでにまた迷子になっちゃ困るでしょ! あと、入口の施錠どうにかならない? 出られないんだよ
― 防犯カメラがないので位置情報が正確にとれないのです。お二人がいる場所を運営側で確認できる情報をください。搬入係を急ぎ向かわせます。
「ああ! もぅ、面倒な」
主任達のチャットを受けて部屋の隅でシイバが声をあげた。僕も履歴は眺めているが、焦れったい。
「彼は随分とわかりやすいね」
僕と共にベンチに座り、ルートの確定を待つのはハムスター候と呼ばれる出品者だ。本人曰く、名はジョッシュ。
僕達のヘルメットと違い、彼が話す度に鼻と口許がヒクヒクと動くのが見える。150センチの体躯を包むゴールデンハムスターのボディスーツにどんな機構が組み込まれているのだろうか。
「なんか騒がしくて申し訳ありません」
「申し訳ないなんてことがあるもんか。彼のようなわかりやすさも、こういう場所では武器になるよ」
ジョッシュはそういうとシルクハットを少し深く被ってクスクスと笑ってみせた。主任らに伝わるはずのない大きなジェスチャーをしながらチャットをしているシイバが面白いのだという。
僕達がいるのは“根の広間”と呼ばれる展示室だ。ジョッシュは僕の予想通り、会場側の見張りをすり抜けて舞台裏へと入り、出品前の商品を見物していた。僕達はシイバが隠し通路を見つけたおかげで、見事ハムスター候を見つけ出したのだ。
ところがここに問題が立ち塞がる。ジョッシュが広間正面の正式な入口から部屋に入り、僕達は裏口から入ったためだ。“根の広間”の最奥、樹木の内側をイメージしたという“ウロの間”。シイバが見つけたのはそこに設けられたアルコンの隠し通路だった。
アルコンが開示を望まないため、その存在を知らないジョッシュは通過させられない。困ったことに僕達は正面から控室に戻るルートを知らないし、商品紛失防止のために正面入口は外側から施錠されていたのだ。
「君たちが来るまで商品に気を取られていてね。施錠されているとは知らなかった」
ジョッシュは常に少しのんびりとした口調で話す。落ち着いた声で安心できるのだが、他法で彼の所持品の出品時間は迫っている。
焦りは禁物と言われても、シイバが焦る気持ちはわかる。僕は僕で、ジョッシュが無事に壇上へ上るまで機嫌を損ねないように相槌をうったりフォローするので精一杯だ。
「そもそも、施錠前に搬入係が内部を見てまわらないのがいけないんです」
「彼らは見てまわっていたよ。僕がウロの間の通路に隠れたんだ。君たちスタッフの付き添いなしでここにいては拙いと思ってね」
大変まずいと僕も思う。舞台裏とオークション会場を区切っているのはこの状況を回避するためだ。落札までの間、商品には無用に触れられないように管理する。ジョッシュがここにいることで前提は崩れている。
僕にできるのは部屋に並んだ商品に悪影響が出ていないと根拠なく信じることだけだ。
「商品を見たかったんですか」
「不思議かい?」
「ええ。まあ」
出品された以上、商品はいずれ壇上に並ぶ。出品者もリストバンドをつけており落札は許されている。彼が求める商品に払う犠牲の大きさはさておいて。
「理由は幾つかあるのだけれどね、一番大きいのは、僕が会場で商品を見るのは難しいこと。もう一つは、僕にはその商品を落札できないことだ」
落札できない。それは、つまるところ。
「君が思っている商品ではないよ。後半の出品物にしては珍しく危険性もないし特殊な通貨も使わない。落札できないのは僕自身の事情による」
「手持ちが足りないのですか?」
口にして馬鹿馬鹿しい考えだと思った。精算はその場でなされるのだ、今は足りずとも夢想無限球の代金で賄えるのではないか。夢想無限球の取引通貨は$なのだから。
「オークションだからそんなこともあるかもしれないね。欲しがる奴の心当たりもある。けれども、根本的な問題は、僕の出品よりあとに出品されることなんだ」
ジョッシュは自分の小さなハムスター様の両手を見つめ、それから、僕の顔をみて小さく1度だけ頷いた。
「君の相棒の様子じゃ部屋を出るまでまだ時間がある。ただ僕を見張るのも暇だろう? 少しだけ僕と僕が出品した商品、それに僕が観に来たものの話をしよう。
興味がなければ聞き流して構わない。君たちが仮面の奥でどんな顔をしても動物の顔しかみえないのだから。これは僕が話したいから勝手に話すんだ」
――
君たちはオークショニアとは別口で雇われているんだろ。それなら僕が出品した商品のことは知らないかもしれない。
僕が売るのは夢の卵。名前が違うって? そうだね。
ところで、このオークションは何だって売れる。美術品や歴史的な価値があるものに限らず、ただの小石、あるいは人間、はたまた、本来あってはならないものも売買できてしまう。
君たちスタッフが細心の注意を払って商品を運ぶのは、君たち自身が商品の影響を受けて日常へ戻れなくなることを防ぐためだ。欲しがる者以外に無為な影響を広げない。オークションのこの姿勢だけは信頼できる。
僕が売る夢の卵もあってはならないものの部類なんだ。説明は難しいけれどね。
可能性の保存と上書き。あれは無限に夢を見せて、記録して、そして上書する機能だ。
卵は僕の手元にあるときだけ展開を続けることは聴いているね。手品みたい? まあそうだね。遠目で見ると綺麗な手品にみえると思う。展開する鉄の模様と光、それは僕が卵で覗いた可能性……僕が選ばなかった選択、選んで後悔した選択、僕が知らなかった選択、僕とは関係のない選択。僕はあの卵を手にしてから見られる限りの選択を覗いて、記録して、そしてやりなおした。
やりなおしが何を惹き起こすのかもわかったうえで、僕だけの選択を探し続けたんだ。
ここで君と話している僕は、その選択の結果だ。そして、卵は僕の先も、ここに至らない選択をした僕の先も全て再現できる。そうやって、僕が選択を覗きこみ、上書きすることを卵は心待ちにしているんだ。
怖い? そうだね、初めから、そして今でも怖い。でも、手放すのはそんな理由じゃない。このままでは僕はあの卵と付き合うことに限界を迎えてしまうんだ。僕という器は有限だった。だから、別れが来たってわけだ。
何の話かよくわからないだろうけれど、それでいい。欲しなければならない人以外はしらなくてよい。
ただね、問題は、僕は卵の選択をみて、上書きを経た僕だということだ。僕の手元から卵が消えたとき、僕がここにいる可能性が残っている保証はない。だから、僕はその前に見ておきたかった。卵を覗きみるうちに知った、僕と関係のない可能性。
関係がないから上書きを選ばなかったことの結末を、僕は見ておく責任がある。そんな気がしてね。
ああ、シイバ君、君はこの部屋で一番若い出品番号を探しているんだろう。それなら、そこの布が外れている商品だ。
商品№50。名を“整列した死”という。怯える必要はない。この商品は純粋な展示品だ。ショーケースのなかではなく、ショーケースに入った経緯に価値がある品なんだ。
そうだよ。僕はこの商品を観るためにここに来た。だから二人ともお願いだ。
聴いているふりでいいなんて願ったのに身勝手だとは思っている。それでも、展示室の扉が開くまでもう少しだけ、このショーケースを眺めさせてほしい。
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