ベニクラゲ夫人

 赤を基調にした豪奢なスカート。リンゴのように丸く膨らんだそれは、夫人の身体からおおよそ大人二人分の横幅を持つ。スカートの裾は床上3センチほどのラインを維持し、決して床に触れずに歩く様はホバークラフトのようだ。

 他方で夫人の上半身は華奢だ。普通に考えればスカートはほとんど空洞だろう。それでもスカートに踏み込み彼女に近づく参加者はいない。なんとも孤独なファッションだ。

「君はベニクラゲ夫人に興味があるのか?」

 僕は渡り廊下の手すりに手をかけて、ぼんやりと階下の来客たちを眺めていた。すると、近寄ってきた同僚が僕に声をかける。

 彼も僕と同じ黒のワイシャツに黒いビジネススーツ。靴もグローブも黒。僕らが行き来している渡り廊下は夜闇に溶けていて暗い。足元から廊下を照らすLEDライトがなければお互い消えてなくなってしまいそうだ。

「ベニクラゲ夫人?」

「下だよ下。あの赤いスカートの女」

 同僚は右手を手すりの外に出し、指先を階下へ向ける。身を乗り出して下をみると、夫人とマントヒヒの仮面の一行が人混みのなかでぶつかり合っていた。

 マントヒヒの仮面をつけている三人組は夫人と逆で、頭をすっぽりと覆う被り物だけがやたらに大きい。

「あの人はベニクラゲ夫人っていうんだ?」

「本人がどう名乗っているかは知らないよ」

 同僚がさらりと答えるものだからそのまま話を続けそうになったが、なんだって?

「わかりやすくベニクラゲ夫人と呼んでる」

「君が勝手に?」

「まあ俺だけじゃないかもしれない。わかりやすいニックネームだし」

 わかりやすいだろうか?

「それじゃあ、あっちのサルの三人組も呼び名があるの?」

「……どうだろう、マントヒヒか?」

 首を傾げながら被り物そのままの呼び名をつけている様子を見るに、マントヒヒの一行をみたのは同僚も初めてらしい。

「あのサルの面も主催者側で渡すのかな? あんなのに挟まれたらお互い大変だ」

 来場客には顔を隠すため仮面を交付されている。主催者が渡す仮面は動物を象っているが、主に目元と鼻を隠す中世の仮面舞踏会用の面である。マントヒヒ一行が被っている、人の頭の3倍近いフルフェイスマスクは他にはみない。

「あの被り物は持ち込み。入札時にはマントヒヒの上から面を付ける。ちなみに彼らに配布された面はライオンだ」

「なんでそんなこと知っているの?」

「マントヒヒ一行が入場したときに近くを見回っていたんだよ」

「君が?」

「そう、俺が」

 同僚は左手で自分の顔を指さすが表情はわからない。僕たちスタッフは参加者と異なりフルフェイスヘルメットを配布されている。マントヒヒの一行と異なり、大きさは常識的だが、互いに確認できるのは動物の頭部を模した外装だけだ。ちなみに同僚の頭部は鶏、僕は白兎の頭を模している。

 生々しい獣の外装とは対照的に、ヘルメット内はハイテク技術の塊だ。マスクに搭載されたカメラ映像をリアルタイムに表示するモニター。オークションのタイムスケジュールや地図。スタッフ間での連絡事項が並ぶチャットルームに、外気温や装着者の心拍数を図るモニターすら存在する。欠点は、2キロ近い重量くらいだろう。

「さっき、彼らのことは知らないような素振りじゃなかった?」

「知らないのは知らないぜ。今日初めて会ったんだから。まあ、もしかしたら街中で素顔を見せ合っているかもしれないけど」

 ベニクラゲ夫人には呼び名を付してマントヒヒには呼び名を付さない理由を知りたいのだが、上手く伝えられなかったらしい。もっとも理由を聴いても役立ちそうにはない。

「被り物を持ち込むのは肩が凝りそうだね」

 僕は諦めてマントヒヒ一行の頭部に話題を変えた。

「まあなぁ。材質にもよるんだろうけれども。その点、ベニクラゲ夫人は足元が大きい造りなのがいい。肩こりとは無縁そうだ」

 夫人とマントヒヒらは、立食用に用意された食事を取るのに競合していたらしい。彼らが離れると渋滞気味だった人の流れが戻る。

夫人はそのまま立食パーティー中の広間を離れて、通路へと流れていき、マントヒヒ一行は手にした食事を持って移動をはじめる。あの被り物でどうやって食事を摂るのかは興味があるが、彼らに気づかれず正面から監視できる場所はなさそうだ。

「ところでなんで夫人はベニクラゲなの?」

「見た目」

 そうなのだろうか。僕にはリンゴに見えるし、そもそもベニクラゲを知らない。

「リンゴのスカートと思っていたけれど」

「果物から人間は生えないよ。警備ルートの説明で会場は観ただろ? マントヒヒと違って彼女のスカートじゃ座席に座れない。あのスカートは場所に応じて縮む。その様子はベニクラゲそのものなんだ」

 同僚が両腕をうねらせてスカートの形状変化を示すがさっぱりわからなかった。

「客は入場前だろ? 衣装のことなんてわからないじゃないか」

 ヘルメットを通じて入ってくる情報は、スタッフか否かの識別だけ。ベニクラゲ夫人は他の来場客と異なり目立つがそこまでだ。

「なんだ、君は初回か。この仕事」

 同僚は嘴の前で両手を交差させて左右に身体を揺らす。ジェスチャーが大きい。

「初回って……何回目なんですか?」

「ん~3、いや今回で5回目だな。3年ほどこの仕事にありついている」

 3年。驚きの期間に僕は言葉を失った。こんな仕事、会場警備や入札補助のアルバイトが2回以上雇われると思えなかった。

「驚くことじゃない。俺以外にもリピーターはいる。オークショニアの補助係、接客スタッフにも一部バイトがいるんだぜ」

「それは意外」

「秘密が守れて余計な詮索をしない奴は重宝するんだよ。バイトは本格的な仲間に引き入れるほどじゃないのがよい。それで、さっきの質問に戻るが、ベニクラゲ夫人のスカートの秘密を知っているのは前に見ているからさ。彼女は毎回同じ服装でやってくる」

 なるほど。この同僚が僕の知らない来場客の情報を持っているわけだ。

「マントヒヒは初めて見たが、変わり種は何人かいる。一般客と風体が違うやつはリピーターが多い。覚えておくと楽しみにはなる」

「楽しいですか? その情報」

 風体が異様なのはみればわかる。それに異様さでいけば動物頭の僕たちが上だ。

「俺はこの仕事の楽しい部分だと思うよ。さて、あんまり油を売っていると警備主任にどやされる。仕事に戻ろうぜ。今日のスタッフで鶏頭は俺だけ。シイバだ。よろしくな」

 シイバと名乗った鶏頭が手を差し出す。他人に触れるのは気が進まないが、彼が僕に気をかけてくれたことには応えたい。

「リンです。兎は何人かいるから、次に会ってもわからないかも」

「リンの表情かおは覚えたから見間違えない」

「僕たちの顔は着ぐるみじゃないですか?」

「着ぐるみでもわかるよ。リンは怪しい奴じゃない、俺が断言する」

 謎の太鼓判を押してシイバが巡回ルートへ戻る。警備にしては浮かれた足取りの彼を見送り、僕は再び階下の様子に目をやった。チャットルームを介して送られる指示によれば、もう少しここにいても差し支えない。

 ベニクラゲ夫人がエントランス側へ戻ってきて、通路際のベンチに腰をかけるのが見える。ベンチの横幅がスカートより狭いからか彼女の身体を包むようにスカートが盛り上がった。確かにリンゴではなさそうだ。


“巡回ルートが更新されました。警備スタッフは各自巡回ルートを確認してください。異常を発見した場合は速やかに報告をしてください”


 ヘルメット内に業務連絡の通知が流れる。ここにいたら警備主任にどやされそうだ。僕はヘルメットを支え続けて重たくなってきた肩を何度か回して、背筋を伸ばす。

 夜はまだ長い。僕らの仕事は始まったばかりなのだ。

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