第6話 観覧車の亀裂

 バスを降りて、海に向かう。まだ昼間だから、秋なのに暑かった。


「あ~~~、涼しい!!」


 さっきまでぐっすり眠っていたからか、巧輝はすっきりしたように見えた。

 太陽の方を向いて伸びをしている巧輝。今更気づいたけれど、私たちは二人ともリーフのTシャツを着ていた。完全なるおソロである。

 周りの夫婦が、こちらを見てにっこりと笑っている。やっぱりカップルと思われてる……?


 いやいや、このことを考えるのはやめようっ。

 今はデートを楽しむのが一番!

 太陽が反射してキラキラと輝いていて、目が焼ける。


「冷たい……」


 海に吸い寄せられた私は無我夢中に海岸へ走り、海水を触った。冷たかった。それでいてさらさらとしていて、綺麗だった。


「……綺麗だ」


 思っていたことが口に出てしまって手で押さえ巧輝を振り向くと、巧輝は私の方を見て微笑んでいた。

 え? やけに低い声だなぁと思ったら、今『綺麗』って言ったのって巧輝?


 最初は海が綺麗だと言っているんだと思って、


「綺麗だよね! 海」


 そう言ったのに。


「違う。飛鳥が」


 歩み寄ってきた巧輝が放った言葉は、だった。


 ——ねぇ、なんで。

 なんで巧輝は、そんなことばかり言うの?

 このままじゃ、自分の心が壊れてしまいそうで。


「……」


 何も、答えなかった。

 視界の隅で曇った顔をした巧輝が見えたのは、きっと幻覚だ。私が黙り込んだだけで悲しむはずない。彼氏でもないはずなんだから。


 何分経っただろう。太陽が南の空から西へ下り始めた頃、


「……遊園地、行くか」


 静かに巧輝がそう言った。

 なぜか、その声が遠く聞こえた気がした。


 なんとなく目を合わせる気になれなくて。


「……うん」


 顔を上げないままそう頷いた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そのまま無言で遊園地へのバスに揺られた。ついさっきまでの甘い雰囲気はどこかに行ってしまい、お互いに視線を逸らして時間を過ごした。


 何の刺激もないから眠ったり外を向いたりしたけれど、お互いにもたれ掛かったり目があったりすることは無かった。


 でも、やっぱりお互いに離れたくなかったのは事実。一定の間隔でぽつりぽつりと何かを喋って、すぐに話が終わってまた戻る。


 居心地は悪かったけれど帰る気にはなれなくて、私の手はずっと巧輝の手の中だった。


「着いたぞ」


 現実と夢の狭間にいた私は、その低音イケボで現実に引き戻された。


「あ……ごめんね、周り見てなくて」


 いつの間にか遊園地の前に着こうとしていた。こんな状態で遊園地を楽しめるのだろうか。


「大丈夫。行こう」


 自然に私の手を取ってバスから出る巧輝。決して嫌にはなれなくて、その手に身を任せた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ジェットコースター、お化け屋敷、海賊船などあらゆるアトラクションを楽しんだ私たちは、最後の方に観覧車に乗ることになった。


 その頃には、日が沈みかけていた。


 特に距離を置くでもなく甘々になるでもなく、心地の良い距離で過ごすことができた。今の私たちにはちょうど良かった。


 平日の夕方ということもあり、観覧車は比較的空いていた。並ぶのも三分ほどで済み、二人でゴンドラに乗り込む。


「時間経つの、早いな」


 巧輝が外を向いたままそう言った。私もちょうど、そう思っていたところだ。

 今日バス体で会った時から、ものの二時間くらいしか経っていない気がしてしまう。


 存分に楽しめたわけではないけれど、時間が経つのは早かった。

 やっぱり楽しかったんだ——巧輝といることが。


「……そうだね」


 黙っているわけにもいかないから、そう答える。なんでこんなにも話しづらいんだろう。

 私があそこで黙り込んでしまっただけで、なんでこんなにもするすると言葉が出ないんだろう。


「今日、楽しかった?」


 久しぶりに目が合った気がする。巧輝が私に視線を戻して言った。

 その瞳は、夕陽を写して輝いている。

 その住んだ瞳に吸い込まれるように、


「もちろん。めっちゃ楽しかった!」


 身を乗り出してそう言ってしまった。


 海岸で黙り込んでしまったことを思い出して、不自然に思われていないか怖くなり視線を下げる。

 でも、その視線についてくるように巧輝は私の顔を覗き込んでくる。


 そして——。


「なら、よかった」


 と、微笑んだ。

 その頬が、心なしか赤く染まっているように見える。

 じっと見つめてくる巧輝。ゴンドラはいつの間にか頂上に達していた。


 その柔らかな表情に安心して、つい口走ってしまったんだ。


 ——絶対に言うべきでなかった言葉を。




「巧輝って……私の彼氏なの?」




 太陽が雲に隠れ、日が翳った。

 それと共に明らかに傷ついた表情になる巧輝。

 それだけで、私は巧輝を深く傷つけてしまったのだと痛感した。


 だからって、聞きたくないことじゃなかった。この世界でずっと聞きたかったことだった。

 怖いけど、知りたかった。


「——そうか」


 何分経っただろう。そろそろゴンドラが地上に着く頃に、巧輝が口を開いた。


「最近の態度がよそよそしかったのも、そういうことなんだな」


 まっすぐ私を見たその目はキッとしていて、もう私のことなんか信じてくれないんだって悟った。

 さっきの傷ついた表情はどこかへ行ってしまった。


 ……怒ってる。


「あの、巧輝——」

「お疲れ様でした!」


 私が口を出そうとしたその瞬間、遊園地のスタッフさんがゴンドラのドアを開けた。それに私の声は遮られてしまう。


「お楽しみ頂けましたか? 閉園まであと一時間ありますので、最後までたっぷり楽しんでくださいね~!」


 愛想のよいスタッフさんはそう言うと、私たちをゴンドラから送り出した。


「……そういうことなら、俺はもう帰るな。類田駅行きのバスに乗れば、途中で最寄り駅があるから間違えるなよ。じゃあな」


 そういうこと、って何……?

 早口にそう言うと、巧輝は歩き始めてしまう。


「ちょっと待って、巧輝——!」


 絶対に、なにか誤解を生んでしまっている。それが分かった私はすぐに駆け出したけれど、すぐに知らない人と派手にぶつかってしまった。


「すみません!」とぶつかってしまった男の人に言いながら、バッグから出てしまったものをかき集める。その間もずっと巧輝から視線を逸らせない。


 でも閉園間近の遊園地はさっきより人が多く、目の前を数えきれないほどの人が通り過ぎていく。


 やっとのことで集めきったものを抱え、巧輝がいた方へ駆け出す。明日は練習試合だ。このまま迎えたくない。


 だけどぶつかってからだいぶ時間が経ってしまったのだろう。もうどこにも巧輝の姿はなかった。


「どうしよう……」


 何をすれば良いのか分からなくなってしまった私は、しばらくその場に立ちすくんでいた。

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