閑話・閉店後
「ありがとうございました!」
給仕服を着た少女アリスは、そう言って客である四人組の冒険者を見送りました。
しかし、どうにもその四人組の足取りが覚束なくて危なっかしい。
大分飲んでいたみたいだし、このままだと迷宮の魔物の餌食になりかねない。
業務範囲外ではありますが放っておいて死なれると気分が良くないし、何よりそれを知った彼女の主が大いにヘコむだろうことが予想できるので、サービスで迷宮の外まで送ってやることにしました。
空間転移の魔術は難度が高い上に魔力の消耗が激しく、自在に使える人間はほとんどいないのですが、高位の魔族であるアリスにとっては食器を片付けテーブルを拭きながらの片手間でできる事に過ぎません。
彼らの方を見もせずに呪文を唱えあっさりと迷宮の外まで送る、これで良し。
彼女の主の趣味が高じて創ったこの迷宮ができて以来、早数ヶ月。
毎日毎日することもなくヒマを持て余してはテーブルばかり拭いていましたが、今日ようやく初めての客が来店しました。
主に教えられた通りに接客をこなしてはみましたが、上手くできただろうか?
彼女の主は褒めてくれるだろうか?
休まず手を動かしながらそんなことを考えていると、店の奥にある厨房の方から、
「アリスお疲れ様、教えたとおりよくがんばったね」
優しげな微笑を浮かべた黒髪の青年が、ねぎらいの言葉を口にしながら出てきました。その一言だけでアリスは全身が至福に包まれ全ての疲れや苦労が消えていくのを感じます。
「それじゃあ、僕たちもご飯にしようか」
「はいっ」
そして、彼女の主が作ったまかないを二人きりで食べる時間のなんと甘美なことでしょう。
それから初めての来店客となった今日の冒険者たちの事や、料理の感想、新しい食材、他愛のない日常の話などをするのです。
彼女の話すなんでもない話題、たとえば今日は野菜が安かったとか、虫に驚いて皿を割ってしまったとか、そんなどうでもいいような話を主は時には笑い、時には驚きながら、ニコニコと楽しそうに聞いている。その楽しそうな笑顔を見ていると、いつの間にかアリス自身も笑っているのです。
五百年を生きる魔族であるアリスは、書物や伝聞で得た知識と体験で様々な娯楽や贅沢を知っていますが、そのどれもこれもがこの主との会話と比べるとまるで取るに足りません。
けれど、楽しい食事の時間もやがては終わる。
名残惜しいが、いつまでも主を引き止めて嫌われてしまったら、もう生きていけないと本気で思う。彼女の主はそんな事くらいで誰かを嫌ったりしないことはよく知っていますが、その辺は理屈ではない乙女心の領分なので自分でもどうしようもないのです。
二人で手早く食器を片付けると、もう後は翌日に備えて眠るのみ。
寝室は店の奥に別々の部屋があるので、部屋の前で別れ際の言葉を交わします。
「おやすみ、アリス」
「おやすみなさい、魔王さま……」
アリスにとって生きるための睡眠は必要ないのですけれど、起きたままだと主と会えない朝までの時間が長すぎるので、すぐに着替えを済ませてベッドに潜り込みます。
「どうか魔王さまの夢を見れますように……」
小さな声でそう呟くと、アリスの意識は次第に夢の中へと溶けていくのでありました。
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