第11話


 翌日恐る恐る登校するとあんなに押し寄せてきていた部活動勧誘がぱたりと止んでいた。

 静さんが対応すると言ったのは昨日のお昼のことであるが、静さんは半日程度の期間で学園生徒を抑え込んでしまったことになる。

 どんな手段を使えば半日でそんな話を浸透させられるのかさっぱりわからないが、これも郡山君が言うところの静さんの政治力というやつだろうか。

 とにかく休み時間ごとに人が押し寄せてくるような事態にはならずにほっとする。

 それならばと僕は、手すきになった休み時間で鳴海さんと瀬田君に声をかけた。


「一ノ瀬先輩のことを知りたいだあ?」


 僕の話に、瀬田君が顔をしかめた。


「別に俺らに聞かなくても里崎の方がよおく知ってるだろ?」


 どことなく皮肉交じりな瀬田君の言葉に、隣の鳴海さんも無言でうなずき同意する。

 昨日の件があるからかはたまた部活勧誘制限のお触れが出ているからか、ふたりの態度は昨日と比べて明らかに冷たい。

 僕はちょっぴり心がくじけそうになりながらも努めて笑みを浮かべてふたりを説得する。


「郡山君にも言ったけれど、僕は青嵐学園での静さんの話をあまり聞かされていないからさ。静さんが後輩の中でも特に親しいって言うふたりに話を聞いてみたくて」


「……静音先輩が?」


 僕の説明に鳴海さんが食いついてきた。


「うん。昨日もちょっと急いでいたから話もできなかったけど申し訳なかったって言ってたよ」


 そう言うと鳴海さんは目に見えてほっとしたような表情を浮かべた。瀬田君の方もどことなくうれしそうな表情でうなずく。


「そ、そうかよ。まあ、そういうことなら話してやらないこともないかな」


 事実とは多少違うので心苦しくあるが、だいたい合っているので許しほしい。

 僕がふたりに声をかけたのは、こうしてふたりの機嫌を取っておくことでクラスメイトとの関係を良好にしたいという思惑と、静さんを説得するための材料を得るために情報を集めたいということからだった。

 僕は手始めに瀬田君に水を向ける。


「そういえば静さんが、瀬田君が野球で怪我をしたって聞いたけど……」


 僕が静さんから聞いた話を振ると瀬田君は頷いた。


「ああ、俺と一ノ瀬先輩が運命的な出会いを果たした時の話だな」


「……運命的?」


 何やら大袈裟な修飾句が付いてきたので思わず聞き返すと、蕩々と語り始める。


「あれは俺が中学一年生だった頃……その頃から超優秀な野球人だった俺は当然のように練習試合でベンチ入りして気合いが入っていた……」


 なんと。実は瀬田君は野球がすごく上手い静さん信者だったらしい。

 驚く僕の隣で鳴海さんがぼそりとつぶやく。


「うちの野球部は初心者じゃなかったらすぐに練習試合に出すから別にこいつがすごかったわけじゃないわ」


「……あ、そう」


 微妙な顔をする僕のことなど見えていない……というか自分の世界に入り込んでしまっている瀬田君の語りは止まらない。


「途中から試合に出た俺は打席でこそ上級生相手に凡退しちまったが、その分守備で結果を出そうと気合いを入れ直して守備についた。……あ、俺はサードなんだけどよ」


「そうなんだ、すごいね!」


 野球にはあまり詳しくないので守備位置がどうとかなんてよくわからないのだが、とりあえず持ち上げておくことにする。


「はっはっは!そうだろうそうだろう!」


 ちょっと適当すぎたかとも思ったが、瀬田君が気を良くしているので問題ないだろう。

 ……どちらかというと根が単純そうな瀬田君が青嵐に受かって僕が落ちたということを鑑みるに、僕の出来が相当悪かったのだと思うととてもつらい。


「その日は休日だったんだが、他の部活のやつらとかがけっこうな数の人が見に来ててよ。俺の華麗なグラブ捌きを見せてやろうと手ぐすね引いて待っていると、上手いことボールが飛んできたんだ」


「へ、へ~……」


 今のところ瀬田君の話に静さんが出てくる様子はない。ちらりと鳴海さんを見ると、既に飽きているのか普通にあくびを漏らしていた。

 そんな鳴海さんのことなんて視界に入っていないらしい瀬田君の独演会は続く。


「三遊間を抜けていきそうな鋭い打球だったんだが、反射神経抜群な俺は即座に反応して横っ飛びに跳んだ!そして俺のグラブには打球が収まり打者を打ち取ることに成功した……のは良かったんだが、その時着地に失敗しちまってな」


「それで怪我を?」


「ま、名誉の負傷ってやつだな。地面に手をついた時に手首を捻っちまった。ま、骨折しなかっただけましだろうよ」


「あたしもその試合見てたけど監督にめちゃくちゃ怒られてたわよ、こいつ」


「そういうことは言わねえお約束だろうが!試合的には盛り上がったから良いんだよ!」


 鳴海さんのちゃちゃに反応した瀬田君であったが、何かを思い出したように顔をだらしなく緩ませ始める。


「そんなこたあどうでもいいんだ。肝心なのはそこで俺は女神様に出会っちまったって話しだよ」


「女神様って……もしかして静さんのこと?」


「他に誰がいるよ」


 いやまあ、文脈を考えれば他の相手なんて思い当たらないけれども。

 確かに静さんは美人さんではあるけれども、女神なんてのはちょっと大袈裟なような……。


「その時はちょうどマネージャー陣が買い出しに出てて誰もいなかったんだよな。野郎に手当されるのなんて不愉快だから怪我の手当は自分でやろうとしたんだが、片手だと中々難しくてなあ」


「そこで静さんが出てくるんだ」


「その通りだ!片手で救急箱を開けたりだなんだって四苦八苦していた俺に声をかけてくれて、手ずから治療をしてくれてなあ……せっかく試合に出れても無茶をして怪我をしたら意味がないなんて説教されて、そのくせそれに反発しようとした俺のプレーを手放しで褒めてくれてよ。あんな美人にそんなことされたらたまらねえよ。看護師のねーちゃんを白衣の天使なんていうが、本当の天使はあの時俺の目の前にいたね」


 女神だったり天使だったり忙しい静さんである。


「あの時から一ノ瀬先輩は俺の心を捉えて放さねえのさ……。俺は先輩が練習を見に来てくれれば必ず話しかけに行き、先輩が試合を見に来てくれたら全力でプレーした」


「いや、静さんがいなくともプレーは全力でした方が……」


「先輩が高等部に進学しちまった時はお目にかかる機会が減ってつらかったが、こればかりは仕方がねえ。先輩がいくら俺の勇姿を見たがっていたとしても高等部の人が中等部の部活に顔を出すなんて中々できないだろうからな」


「ほんと、自意識過剰よね。静音先輩がわざわざ瀬田のことを見に行くわけないじゃない」


 鳴海さんが中々に辛辣なことをぼそりとつぶやくが、幸いにして瀬田君には聞こえなかったらしい。あるいは聞こえないふりをしたのかもしれないが……。

 というか、鳴海さんは瀬田君のことをことあるごとにこき下ろしているが郡山君と与坂さんみたいな幼馴染だったりするのだろうか?


「そうしてつらい一年を過ごした俺は晴れて高等部に進学し、俺の女神とも劇的な再会を果たしたと思ったんだけどよお……」


 僕の気が逸れている間も話し続けていた瀬田君がふいに僕のことをじろりと睨みつけてくる。


「そんな俺と女神の再開に水を差してくれちゃったやつが目の前にいるんだよなあ……」


「い、いやあ……」


 上手く話を持っていけていたと思っていたのだが、その先には特級の地雷が埋まっていたらしい。


「そいつは俺がちょっと先輩とおしゃべりして舞い上がっている間に、身だしなみのチェックをされて、あまつさえ手ずからネクタイを直されててなあ……。野郎で一ノ瀬先輩にそんなことされたやつは初めてみたぜ」


「……」


 僕は静さんにほとんど毎日身だしなみチェックをされてるし手ずからネクタイを締められている、とはとても口に出せない状況だった。


「俺は別に自分が一ノ瀬先輩の隣にふさわしいなんて思い上がっちゃいねえよ。あの人のことを知っていたらそんなこととても言えねえ。……それでもあの人が誰かのものになるなんて認められるほど往生際が良くねえんだわ。他のやつらだって少なからず似たような気持ちを抱えているだろうさ。だから里崎にはわりいが、やっぱりお前のことは認められねえ」


「……そっか」


 僕はこちらを射貫くような瀬田君の視線から目を逸らしながら、それだけ答えた。

 僕にとっての静さんは身近にいる世話焼きな姉でしかないけれど、瀬田君や他の生徒達にとっては憧れの先輩であるという当たり前の事実に対して、他に言う言葉が見つからなかったのである。


「ありがとう、瀬田君。……それで、鳴海さんは女子バレー部の活動で静さんと交流があるんだよね?静さんが部外者の自分にも積極的に声をかけてくれてありがたいって言ってたけれど……」


 既に気持ちが萎えている僕だったけれども、こちらから声をかけた義理として話は聞かなければならないと鳴海さんにも話を聞くことにする……が。


「部外者なんて!バレー部で静音先輩をそんな風に言うやつはいないわ!」


「おおう……?」


 ご機嫌取りのために口にした言葉に鳴海さんが強い言葉で反応したので、僕は面食らってしまった。


「うちの女子バレー部が活気づいているのは間違いなく静音先輩のお陰だもの。先輩には生徒会のお仕事もあるし他の部活への義理や遠慮があるから部員にはなられていないけれど、ほとんど部員みたいなものなんだから!」


「そ、そうなんだね……」


 目が完全に据わっている鳴海さんに、僕は腰が引けてしまう。


「静音先輩が時々バレー部の練習とか試合にに参加するようになってから、どれだけ部の活動に貢献してきたか……。確かに最初は佳内子かなこ先輩が背が高いからなんて理由だけで部外者を連れてきた時はふざけんなって思ったし、静音先輩が部員以上にバレーが上手いってわかってからも他に頑張ってる部員がたくさんいるのに、部外者が試合に出るなんておかしいと思ったわ。静音先輩も最初は乗り気じゃなかったみたいだし」


「……よくそんな状況で静さんを受け入れたね」


「佳内子先輩がそれだけ強引だったのよ。あの人、三年生が引退して部長を引き継いでから勝つために環境を変えるとか言って好き勝手やり始めてね……。顧問の先生は放任主義だったし」


 佳内子先輩、というのはおそらく静さんが言っていた負けず嫌いな友人のことだろう。どうやら権力を笠に着て強引に静さんの参加を部員に認めさせたらしい。


「静音先輩は時々部活にやってきては進んで雑用を請け負っていたわ。部外者が遊び半分で練習に出るだけなのは申し訳ないからって。初めは皆楽ができてラッキーだなんて言っていたけれど、部外者な癖に部の誰よりもバレーが上手い先輩が雑用をやってるのが気まずくなって皆で手伝い始めて。静音先輩が来てからは部の環境は劇的に改善したわ。そうしているうちに皆が静音先輩からアドバイスを受けるのが当然になって、そのうちバレーとは関係ない話も聞いてもらうようになった。先輩は当然のように親身になってくれるから皆が慕うようになって」


「……」


「静音先輩って試合に出てもすごいのよ!先輩はどのポジションでもできるんだけど、アウトサイドヒッターになればがんがん点を取るし、ブロッカーになれば鉄壁だし!けどやっぱりセッターになって皆を率いてる時が一番すごいの!あの人がセッターやってる時とそうじゃない時じゃチームの動きも段違いで!」


 鳴海さんが静さんを賞賛する言葉は次第に熱を帯びていったが、そこでふと声が途切れる。


「そんな先輩が、もう部活に参加しないって言ったの。生徒会も辞めて今後は家のことに集中するからって」


 鳴海さんの熱を失った声で紡がれる言葉と視線が僕に向けられて、僕は背筋に寒気を覚える。


「あたしや他の皆が静音先輩に絶対に全国行きましょうねって話しても先輩は自分は部外者だからって言い続けてた。それでも優しい先輩はあたし達を全国に連れてってくれると思ってたのに」


 瀬田君の時とは逆に、僕は鳴海さんから視線を逸らせなかった。身体も動かせずに、蛇に睨まれた蛙みたいに硬直することしかできない。


「だからあたしはあんたが許せないのよ。急に学園にやってきたと思ったら、皆が慕う静音先輩を奪ってくれちゃって、ホント憎たらしい。あんたなんて──」


 鳴海さんがそこまで言いかけたところで、授業開始のチャイムがなった。

 瀬田君も鳴海さんも、僕に言葉をかけることなく席に戻って行く。

 僕も彼らにお礼を言うこともできず、のろのろと席についてそっとため息を吐いた。

 ……今回の作戦は大失敗だった。

 現状を打開するための有効な手立ては見つからず、ふたりと友好関係を結ぶつもりが自ら地雷を踏み抜いてしまった。

 チャイムで我に返ったふたりの気まずそうな表情だけが、今の僕唯一の救いである。

 しかしまいった。

 彼らが僕に向ける視線の意味を郡山君から聞いたつもりになっていたけれども、結局それもうわべだけのものだったらしい。

 静さんのことも所詮はちょっとしたアイドル程度の扱いで、学園生徒の反応もアイドルに恋愛スキャンダルが発覚した時と同じような感覚なのだろうと考えていたのに、こんなにも深く静さんが想われていたなんて思いもしなかった。

 ……もし仮に、僕が中学受験に成功して最初から静さんや彼らと共に過ごしていたならば、もっと彼らに馴染んで彼らと仲良くなれていたのだろうか?

 教師が入ってきて授業が始まった後も、そんな空想だけが頭の中に渦巻いていた。

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