原稿合宿

緋色ザキ

第一章 湯河原温泉編

第1話 拙筆の現実

「筆の遅い生涯を送ってきました」


 六畳間。

 その天井を眺めながら、夏目湊斗は生気のない声で呟く。


 その視線の先には、パソコンがあり、開いたファイルにはタイトルだけが打ち込まれていた。


『揺蕩う魚たち』


 湊斗が書き始めようとした、学園物の作品のタイトルである。主人公ら高校生が学校という空間の中で荒波に揉まれながらも、力強く生きていこうとする物語だ。


 構想は二週間前にあらかた形になり、プロットも練った。流れは幾度となく頭の中で確認した。

 だが、未だに文字にすることができないでいた。


 いや、厳密にいえば、三度書き始めた。だが、自分の理想の文章には遠く及ばない。そのたびにすべて消して、また新しく書き出そうと決意を固める。

 しかし、なかなか自分の思うような言葉や表現は出てこず、そのうちに自身のあった自身の作品の構想を顧みて疑い始める。


 本当に、この作品は面白いのだろうか。


 設定を考えていた当初は名作になる予定だった。

 小説投稿サイトにアップし、瞬く間に人気作品の一角となり、書籍化。

 重版して、社会を騒がせ、アニメ化、ドラマ化。サインやインタビューでの返答についてまで完璧にこなせる自信があった。


 そんな未来まで予測して、一人ほくそ笑んでいた。

 それが、どうであろう。現実は一行、いや一文字すら書けないで悶々と苦しんでいた。


「ああ、現実はなんと儚く辛いのだろう」  


 湊斗は独りごちて、床へバタンと倒れたのであった。




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