第33話「俺が育てたんです」

 下腹の奥で強く拍動を感じた瞬間、アシャの視界は白く飛び、身体の感覚が失われた。

 次に覚醒した時には気が気でない不安そうな表情をしたダニエルに横抱きにされ、バスタブで湯に浸かっていた。


 行為を経て免疫がついたのか、互いに隠すもののない裸体である。

 アシャが意識を失っている間、ひと通り後処理を済ませてくれたらしく、肌のどこにも不快感はなかった。


「良かった……お目覚めになられた」


 ダニエルは胸を撫で下ろすも、未だ憂いを帯びたまま、甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 熟練の従者さながらに、湯上がりの拭き取りから身支度の手伝いまで完璧にこなした。


 しかし、アシャが退出準備を終えた時。


 彼は前かがみになりがちな姿勢を改め、つむじが見えるほど深く頭を下げてきた。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。お、お客様に甘えて自制が出来ないなんて、とんだ未熟者です」


 自責の念に駆られた重々しい謝罪へ、アシャはあえて快活な笑い声を返す。


「さんざん煽ったあたしが悪いんですから、気にしないで下さい」


 消極的なダニエルをその気にさせるためとはいえ、吸血を求めたり卑猥な真似をしたり、ずいぶんと大胆な行動に走った。

 それらが裏目に出たとしても、決して彼のせいではない。


「あたしの体力がないからああなっちゃっただけで……すごく大切にしてもらえて、嬉しかったですよ」


 見知らぬ者への臆病な緊張が抜ければ、相手を敬い丁重に扱う人の良さが垣間見えた。

 これから先、ダニエルの気質と習得している技巧の相違に驚き、惚れ込む客は多く現れるだろう。


「お、恐れ入ります……」


 アシャの飾らない素朴な励ましに、ダニエルは照れのある控えめな笑顔を返した。


 受付で手続きをしていると、部屋に留まったはずの彼が息を切らしながら走ってきた。

 優雅さに欠ける行動を同僚に叱咤されつつ、アシャへ一輪の白薔薇を差し出す。

 茎のトゲは残らず取り去ってあった。


「俺が育てたんです。枯れないよう魔力を込めてあって……その、良かったらお受け取り下さい」


 唐突な贈り物に見えたが、受付の男が介入せず愛想笑いを崩さない点から、薔薇は指名をつけた客に必ず渡す品だろう。

 手順の欠けに気付き、慌てて追いかけてきたに違いない。


「ありがとうございます。とっても綺麗ですね」


 アシャは薔薇を受け取ると、その繊細な花びらの集まりに見入った。

 説明通り枯死を避けるために乾燥させていて、うっすらと香水の匂いがする。

 彼の好む入浴剤とよく似た香りだった。


 宿屋に帰る道すがら。

 歓楽街の出入り口として知られる小さな橋の付近で、アシャは偶然ルネと鉢合わせた。

 夜も更けてきた頃だというのに、行きがけには使っていなかった日除け用の外套をすっぽり被っている。

 表情は晴れやかで、機嫌良く鼻歌を奏でてさえいた。


 理由が気になったが、他者の目と耳がある場所で立ち話をするわけにもいかない。

 二人部屋のベッドに腰を据えてから、今宵の感想を語り合う運びになった。


 ルネの吸血鬼への不信感を鑑みたアシャは吸血や気絶など彼女が憂慮する要素を省き、不慣れな男性の上に率先して乗ったというまとめ方をした。


「殿方に働きかけるのも大切ですものね。上手くいったようで、何よりですわ」

「うん……そっちはどうだったの?」


 話を振られたルネは意外にも即答しなかった。

 ゆるく腕を組み逡巡した後、室内でも着込んだままでいた外套をゆっくりと脱ぐ。


「なっ、何、それっ……?」


 アシャは息を飲んだ。

 真っ先に視界へ飛び込んできたのは、彼女の両腕全体に広がる大小不揃いな赤い円。

 吸盤のついた太い縄できつく縛られたような、奇妙な痕跡だった。


「少々痛みは伴いましたが、期待以上でした。私以外のお客様も沢山いましたし、すぐに教会の認可が下りることでしょう」


 ルネは内出血が起きている自身の二の腕を平然と眺め、所感を述べる。


「そんな暴力的なところに行ったの?」

「いえ。蛸の人魚のみが所属する性感マッサージ店の噂を聞き、確かめに向かったんです」

「た、蛸? 性感?」


 一つずつの単語は知っていても理解が及ばず、頭に疑問符が尽きない。

 鳥獣人の店では直接的な行為をせず、もつれ合うのを目的としていたが、彼らとも方向性が異なるようだ。


「寄生植物による触手プレイは死を招く夢物語ですけれど、かのお店は蛸足で夢を実現していますの。手足の自由を奪われ、口も塞がれて……無力を感じながら快感に負けるのです」


 ルネは黄金色の双眸を煌めかせて自分の肩を抱いた。

 直立になった兎耳も、今は気にならないようだ。

 もてなされる客として行ったのに負けていいのだろうか。

 指摘したくなったものの、つい先ほどまでの自分の有り様を思い出すと否定しづらく、アシャは疑わしげな顔を保つしかなかった。

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