第13話「あたし、答えられません」

「ありがとうございます、お嬢様。参りましょうか」


 アシャは差し出された手を取り、ランバートに導かれるまま廊下を歩いた。

 すれ違うのは裕福そうな年配の女性客ばかりで、無性にいたたまれなくなりながら部屋に入る。


 室内は貴族邸の寝室を忠実に再現しているらしく、伝統的な刺繍入りの壁布で彩られていた。

 カーテンやベッドカバーにも繊細な織物が使われており、宿泊用の客室とは全くの別物だ。


 ここはあくまでも標準ランクで、更にハイクラスな部屋が幾つもあるというのだから恐れ入る。

 インテリアが醸し出す高級感に気後れするアシャを、ランバートはベッドのふちに座らせた。

 彼自身も横に座り、肩にかかる程度の銀髪を手ぐしで軽く整え、笑みを投げかけてくる。


「どうか気を楽にして下さい。僕は、ただのつまらない男ですから」


「い、いいえ……そんなことありません」


 思わず斜め下に視線を逸らしてしまう。

 店主が一夜の相手を買って出るとは予想しておらず、二人きりで何を喋れば良いか分からなかった。


 そもそも、ランバートの実年齢さえ掴めていないのだ。

 艶のある髪やきめ細かい肌は二十歳前後にしか見えない。

 達観した余裕ある態度からして、人間族に換算すれば四、五歳は上だろうと当て推量をするのが精一杯だった。


「あたしなんて、いい歳して未経験で……お店の力を借りてしまって、恥ずかしいです」


 謙遜への上手い返しが思いつかず、アシャは口角を引きつらせて自虐する。

 ランバートは愛想笑いをするでもなく、すぐさま首を横に振ってみせた。


「恥など、とんでもない。価値あるものを守るのは当然ですよ」


 置き場なく胸元へ当てていた手に、ランバートの手が重ねられた。

 青い静脈の浮く骨ばった造形にアシャの胸が沸き立つ。


 迷いなく断言されると、本当に気にすべきことでもなかったと思えてくるから不思議だ。


「このランバート、決して後悔はさせません。お任せ下さい」


 紳士然としたそつのない言葉を呪文のように甘く響かせ、アシャの腰に腕を回して立ち上がる。

 湯浴みの必要性を思い出すと心臓がより高鳴り、とっさに片手でランバートのマントを掴んでしまった。


 質の良い緋色にしわが寄っても、ランバートはアシャの幼稚な所作を咎めず、つまづかないようにとだけ言い含めて歩を進める。


 水源の限られた離島では、雨水を清めて水量自体を増やせる水の魔石の恩恵が大きい。

 火の魔石と併せて使い、手頃な入浴を可能にしていた。


 浴室にあったのは、たらいのような木製の大型の浴槽一つだけ。

 アシャは胸元と腰に布を巻いて、何とか湯船に浸かる。

 ウェストコートを初めとする制服一式を脱ぎ、無駄のない筋肉をあらわにしたランバートもアシャに倣って前を隠した。

 宿と風俗店の主人を兼任しているわりに日焼け跡はほとんど見られず、島暮らしの生活臭を感じさせなかった。


「ところで、お嬢様。不躾な問いではありますが、ご先祖の中に精霊と契った方がいらっしゃるのですか?」


「せ、精霊? どうして、そう思うんです?」


 唐突な質問にアシャは不意をつかれる。

 ランバートは水面から片手を出し、軽く左右に振った。


「大した理由ではありませんよ。その天然の紅色と身体を巡る豊富な魔力に、人間族よりもそちらの血統を感じた次第です」


 黒に紛れてまばらに生えた赤髪は、アシャ当人の想像を超えて目立つらしい。

 肉親のいる家庭で育っていれば、難なく答えられるただの雑談だっただろう。


 アシャは答えにくそうに眉をひそめ、下唇を噛み締めた後、ぽつりと呟いた。


「あたし、答えられません。生まれてすぐ孤児院のような場所に捨てられて、親の顔も知りませんから」


 嘘にも預けられたなどと肯定的な表現は使わなかった。

 衣食住を保証された環境であっても、あの場所は、ただ心が死んでいくばかりの苦界だった。

 封じ込めた記憶の一欠片を掘り起こしただけで暖かな湯の中にあっても怖気が走り、身震いする。


「そうでしたか……一方的な憶測を語ってしまい、大変失礼いたしました」


 アシャのただならぬ様子について深掘りせず、ランバートは頭を下げた。

 しんみりとした静寂に気まずさを覚える。


 馬鹿正直に過去を晒さずとも、茶化したり誤魔化したり、上手にあしらう方法は幾らでもあったはずなのに。


 アシャは下を向き、水面に映る自分の顔を見て心中で反省会を催した。


「お嬢様」

「はっ、はい?」


 突然、明るい声音で呼びかけられる。

 アシャの呆けた顔にランバートはクスッと笑い、顔元へと片手を伸ばしてきた。


 汗の浮いた頬に指先が触れ、肉の少ない手のひらで撫でられる。


「貴方のルーツを詮索するつもりはありませんが、アシャ様が仮に異種族との契りを望まれるなら、容易く叶うと保証しますよ」


 異種族婚への興味を明かしてもいないのに、見透かしたようなことを言われて胸に動揺が走った。


「ど、どうして……ですか?」


「濃密な魔力の匂いは、半ばフェロモンに近いのです。敏感に嗅ぎ取れる種族にとっては、抗いがたい媚薬たりえます」


 軽やかな語り口のエルフの頬に朱が差しているのは、入浴による体温上昇だけではないのかもしれなかった。

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